一升瓶を持って足しげく通った
この春、社会の利益や公共のために多大な貢献をした人物に贈られる藍綬褒章を受章した加賀見氏。彼は一体どんな経歴の持ち主なのか。
「創業から現在まで、東京ディズニーリゾートの発展を支えてきた人物です。1960年、オリエンタルランドは、パークの建設予定地である千葉県舞浜地区の埋め立てから事業をスタート。加賀見さんは地元の漁師の方たちに埋め立てに納得してもらうため、時には一升瓶を手に足しげく家々を回ったそうです。
1995年に社長に就任してからは、2001年の東京ディズニーシー開園を主導。長年の功績が認められ、2008年には米ディズニー社から『ディズニー・レジェンド』の称号も贈られています。これは日本に5人しかいない特別な称号です」(経済ジャーナリスト)
ディズニーと皇室は、実はかかわりが深い。昭和天皇と香淳皇后、上皇ご夫妻、そして若き日の陛下も、米カリフォルニア州のディズニーランドを訪問されたご経験をお持ちだ。
「昭和天皇は1975年の訪米時にディズニーランドへ。その際、ミッキーマウスの腕が針になった腕時計をプレゼントされたのですが、昭和天皇はそれを大変気に入られ、長年ご愛用。ご公務の際にもその腕時計をつけたままお出ましになろうとして、周囲が慌てて止めたこともあったほどです」(皇室ジャーナリスト)

そして、中でもディズニーにひときわ強い思い入れを持っていらっしゃるのが、天皇ご一家だという。
「2006年3月、陛下と雅子さまは当時4才の愛子さまを伴って、ディズニーランドとディズニーシーを訪問されました。雅子さまにとってディズニーは、幼い頃の愛子さまとの思い出が刻まれた大切な場所なのです」(前出・皇室記者)
2004年に適応障害を公表され、療養中だった雅子さま。ディズニーご訪問の2006年当時は、ご公務への復帰の見通しが立たない中、愛子さまの子育てに向き合われていた時期だった。
「雅子さまと陛下は、皇室という特別な環境に生まれた愛子さまに、“同世代の子供たちと同じような経験をしてほしい”というお考えをお持ちでした。ご夫妻のそうした願いを知ったオリエンタルランド側がご一家を招待し、異例のディズニー訪問が実現したのです」(前出・宮内庁関係者)
その際、ご一家のおそばに付き添い、案内役を務めたのが当時オリエンタルランドのCEOを務めていた加賀見氏だ。
「パーク内のアトラクションは1つずつ貸し切りにし、ほかの来場客への影響を最小限に抑えてご一家が安全に楽しめるような工夫がなされました。また、“キャスト”と呼ばれる従業員の中から最も優秀な人物が選ばれる“アンバサダー”が、加賀見さんとともに愛子さまをアテンド。愛子さまは、はじめミッキーマウスに人見知りされる場面もありましたが、次第に笑顔を見せられるようになり、くまのプーさんのアトラクションやパレードを心から満喫されている様子でした」(前出・皇室ジャーナリスト)
この経験は、普段は閉鎖的な環境で過ごされることが多かった幼い愛子さまにとって宝物になったという。
「ディズニーでの楽しい時間から2日後、陛下はご公務のため単独でメキシコへと発たれました。そのお見送りのため雅子さまと車寄せに現れた愛子さまの手には、ディズニーランドのチケットがしっかりと握りしめられていたのです。当時の雅子さまにとっては、幼い愛子さまの心に刻まれる体験をさせてあげることができたという充実感が何よりの癒しになっていた」(前出・宮内庁関係者)
あれから20年。雅子さまは皇后としての重責を日々果たされ、愛子さまも、国内外で数々のご公務を担う成年皇族へと成長された。
「多くの賓客をもてなされる愛子さまのお姿は、人見知りだった幼い頃の姿を知る加賀見さんにとっては感慨深いものがあるでしょう。マイクで記録されることはなくとも、雅子さまと愛子さまは、当時の感謝を必ずや伝えられるはずです」(前出・宮内庁関係者)
幼いプリンセスを笑顔にした、“夢の国”でのおもてなし。その確かな記憶が、ご一家の心を温め続けているに違いない。
※女性セブン2026年11月12・19日号