60才の節目を迎えた本木はいま、歌人の永田和宏さんと河野裕子さん夫婦を描いた朗読劇『たとへば君 四十年の恋歌』の本番を控えている。
「ふたりは河野さんががんのため64才で亡くなる前日まで、40年間で380首の相聞歌を残しました。愛情だけでなく、不平不満や怒りなどさまざまな感情を歌に込めて詠み合った夫婦の人生を通じて、本木さんは也哉子さんや義父母との歩みに思いをはせているといいます」(前出・芸能関係者)
也哉子が生まれる前から別居を続けていた希林さんと裕也さんが、一風変わった夫婦の形を歩んだことはよく知られる。
長くがんを患った希林さんは2018年9月に鬼籍に入ったが、最期は終の棲家へ戻ることを希望し、自宅に落ち着いてわずか12時間ほどで亡くなった。その半年後には、希林さんの後を追うように裕也さんも旅立った。
「亡くなってからわかったのですが、裕也さんの元には、希林さんから送られたたくさんのFAXが大切に保管されていたそうです。そこには『陽だまりの中でただ傍らにいることを噛みしめたかった』というような思いが書き残されており、本木さんは希林さんと裕也さんのピュアで初々しい愛情を感じ取ったそうです」(別の芸能関係者)
金文字で遺された希林さんの名前
埼玉県桶川市で15代続く農家の次男として生まれた本木。也哉子との結婚に際し、希林さんから「内田姓を継いでくれないか」と頼まれて、「面白そうだ」と婿養子になった。
「本木さんは2000年頃から都内の高級住宅地に建てた二世帯住宅で希林さんと一緒に暮らしていました。長女の留学を機にイギリスとの二拠点生活になってからも日本での拠点はこの自宅。年に数回帰ってくる裕也さんの面倒を見るだけでなく、晩年は本木さんが希林さんの通院に付き添う姿もよく見かけました。
自宅を建てるとき、希林さんと本木さんは好みがぴったりだったそうです。自宅は外部から中をうかがうことができず、敷地内には木漏れ日の差す庭があり、薄暗いところで思索にふけることができるような空間が広がっているのだとか。也哉子さんは『私はもっと燦燦と日が差す家がよかったのに』と冗談交じりに話していましたが、母と夫の共通点をどこかうれしそうにしていました」(前出・別の芸能関係者)

内田家の一員として生涯を過ごす。それは本木が下した選択であり、希林さんと裕也さんのようにお互いを見つめ続ける夫婦の形は本木も理想とするところなのだろう。そして亡き義父母を慕う気持ちはいまも変わらない。本木の心を象徴するのが自宅に掲げられた表札だ。
「ふたりが亡くなってから約8年が経過しましたが、表札にはいまも希林さんの本名と裕也さんの名前が金色の文字で刻まれています。それは“この家はいつまでたっても希林さんと裕也さんのもの”という本木さんの思いの表れであり、それが義父母に受け入れられて内田家に加わった者としての使命だと考えているのでしょう」(前出・芸能関係者)
激情を秘めながらも、すべては「一切なりゆき」という姿勢で生涯を全うした希林さん。人生の達人の生き方は、“息子”にも色濃く受け継がれている。
※女性セブン2026年10月29日・11月5日号