医療の進歩により確実に生存率は上がっているがんだが、日本人の2人に1人が罹患するのも事実。実際に自分ががんと告知されたら、家族や大切な人にどう伝えるか。2005年に子宮頸がんを、2009年に子宮体がんを経験したタレント・女優の原千晶(50才)は、母親に伝えるのが怖かったと振り返る。
「なんという親不孝をしているのかと、胸が締めつけられた」
2度のがんを経験した原が思い悩んだのは、2度目を母にどう伝えるかだった。
2005年、30才で子宮頸がんが見つかったとき、母と一緒に告知を受けたが、その際母が言葉を失うほどショックを受けていたためだ。
「告知後、母は“あなたがいなくなるなんて考えられない。お願いだから手術を受けてほしい”と涙ながらに懇願し、私はなんという親不孝をしているのかと、胸が締めつけられました」(原・以下同)
医師からは再発の可能性があるとして、予防のためにも子宮の全摘手術をすすめられたが原は腫瘍のみを取り除き、こまめに検診を受けることを条件に温存することを選択。しかし忙しさで毎月の検診に行かなくなると、2009年に今度は子宮体がんを発症した。
母を裏切ってしまった…治療を拒否した自分を呪う気持ちに
「そのとき、まず頭に浮かんだのが母の顔でした」そう原は振り返る。
「一度がんを患ったのに適切な治療を拒否し、定期検診まで怠った結果だと後悔して、自分を呪う気持ちでいっぱいでした。私を支え続けてくれた大切な母を大きく裏切ってしまい、どう説明しようかと悩みに悩みました。母のリアクションを想像するとすごく怖かったです」
1週間考え続けた末、故郷の北海道で暮らす母に「ごめんなさい。またがんが見つかってしまったんだけど……」と電話でストレートに伝えた。少し間があって母はこう口を開いた。
「わかった。年が明けたらすぐに行くから、それまで待っていなさい」
原の後悔や悩みをすべて受け入れてくれるような強い一言だったという。
「泣いているのかと思ったら、非常に冷静な声で母はそう言いました。なんて強い人なんだろうと思い、いまでも頭が上がりません。その後、生活面から経済面まで、母は懸命に私を支えてくれました」
抗がん剤治療中も顔色変えず隣にいてくれたパートナーと結婚
献身的な支えのもと、子宮の全摘手術を受け、抗がん剤治療に挑んだ。2度目のがんは、母に加え、もう1人の大切な人とも一緒に闘った。
「2度目のがん告知を受けた際、傍らには交際中のパートナーがいました。彼は“とにかく病気を治そう。これからのことはあまり心配せず、まずは目の前の問題を解決しよう”と語り、いつも冷静沈着にがん患者である私と向き合ってくれました。抗がん剤で髪の毛が抜けて、ブクブクにむくんで太っても顔色ひとつ変えず、同じ歩幅で淡々と隣にい続けてくれました」
ある朝、病院に付き添うためにおにぎりを握る彼の姿を見て、原は思わず涙した。そのときだけ、いつも冷静な彼も原の泣き顔を見てぽろぽろと涙をこぼし、ふたりで泣いた。
2度目のがんの判明から1年が経過した2010年10月、そのパートナーと結婚。家族に見守られてがんと向き合ってきた原は、「患者は何も遠慮する必要はありません」と語る。
「一概には言えませんが、患者は自分より家族や周囲の人を心配しがちで、言いたいことも言えなかったり、隠し事をしたりします。
だけどいちばんつらくてショックを受けているのは、がん患者である自分自身です。遠慮する気持ちもわかりますが、伝えるべき人には率直に事実を伝える方が、最終的にお互いにとって楽かもしれません。
感情的にならず事実を伝えるためにも、まずは自分がしっかりと病気を受け止め、納得のいく治療を受けるための準備を整えることができたら、治療も家族との関係もきっといい方向に進んでいくと思います」
◆タレント・女優・原千晶
1974年北海道出身。1994年に第21代「1995クラリオンガールグランプリ」でデビューし、ドラマや映画などで幅広く活躍。2005年に子宮頸がんを、2009年に子宮体がんを経験。https://www.yotsuba-kai.com/
※女性セブン2024年9月12日号