『光る君へ』第32話(8月25日放送)で、ドラマ序盤から妖しい存在感を放っていた陰陽師・安倍晴明が死去。ドラマ内では憎き相手を呪詛(じゅそ)する場面がたびたび登場するが、実際のところはどうだったのか? 呪詛は奈良時代から鎌倉時代にかけて盛んに行われたが、実は形を変えて現代でも続けられているという。呪詛の始まりから現代までの知られざる話を紹介しよう。
最古の呪詛は夫婦げんかだった
「呪詛がいつ始まったかは明らかになっていませんが、記録では『古事記』や『日本書紀』に登場するイザナミが使ったものが最古といわれています」と言うのは、歴史民俗学者の繁田信一さん。
「火の神を産んで死んでしまったイザナミを、夫であるイザナギは黄泉の国まで迎えに行きます。
そこでイザナミは、『元の世界に帰りつくまで、決して私の姿を見ないでください』と念を押します。しかし、その約束を破りイザナギはイザナミの姿を見てしまい、変わり果てたその姿に驚いて逃げ出してしまいます。
これに激怒したイザナミは、『毎日、あなたが住む世界の人間を1000人殺す!』と呪いの言葉を夫にかけ、これが日本に残る最古の呪詛とされています」(繁田さん・以下同)
これには続きがある。その呪いの効果はてきめんで、毎日1000人が命を落としたため、イザナギは、「私は毎日、1500人の子供ができるようにする!」と返したという。
「個人的な恨みで『死ね』『殺す』と発するだけで呪詛になるといわれているので、決してマネはしないでください」
日本より恐ろしい中国の呪詛
日本で行われていた呪詛の多くは、中国から伝来したとされている。
「中国には、『蠱毒』というものがあります。これは、壺の中にムカデやクモ、ヘビなど『蟲』と呼ばれ、気味悪がられていた生き物を入れて戦わせます。そして、最後に残ったものを最強の生き物として、呪う相手の家の床下に埋めていたのです。日本には奈良時代に伝えられ、蠱毒を行った人は流刑などに処されることになっていました」
平安時代頃までは、呪詛のお礼に、依頼人が着物や絹織物などを渡していたという。
「先ほどの円能は、2枚の呪符を作って、絹織物(米一石相当)や絹製の着物(米二石以上相当)の報酬を得ています。
米一石は、庶民の一般労働者の100日分の稼ぎに相当しますから、民間の陰陽師はかなり豊かな暮らしをしていたようです」
呪詛禁止時代があった
日本宗教史研究家の渋谷申博さん呪詛禁止時代に言及。
「古代では、しばしば呪詛が禁止されていました。飛鳥時代の法律『養老律令』の『賊盗律』では、蠱毒や人形を使った呪詛を禁止しています。また、天平元年(729年)には呪詛を行った場合、主犯は斬首刑、従犯は流罪とするという勅(天皇の命令)が出されています」(渋谷さん・以下同)
わら人形の起源は宇治の橋姫伝説
呪詛の道具といえば、わら人形が思い浮かぶ。
「わら人形の起源は、『平家物語』にも記載されている『宇治の橋姫伝説』といわれています。夫を奪われた妻が、相手の女を殺すために生きたまま鬼になろうと宇治川に21日間つかったという話。これを基に作られた室町時代の能『鉄輪』に、わら人形が登場します。
この話には、安倍晴明が呪われた夫の身代わりとしてわら人形を作り、鬼となった妻はそれを夫と思って襲いかかるものの、晴明の呪術によって退散する場面が描かれています。これがわら人形の始まりとされています」
繁田さん曰く、意外なことに、ひな人形はわら人形と同じルーツなのだとか。
「ひな人形のルーツは、紙や木の枝でできた人形に穢れを移して川に流していたもの。ところが、江戸時代以降になると人形の技術が発展し、いまのような飾るタイプのひな人形になったといわれています。
人形は奈良時代や平安時代の遺物として、釘を刺されたり、一部が意図的に壊されたりしたものも見つかっています。人形はお祓いに使われるばかりではなく、呪いのアイテムとしても使われていたのかもしれません」(繁田さん・以下同)
奈良時代には死刑になっていた
奈良時代には呪詛の技術が確立されていたというが、実際に呪い殺された人はいたのだろうか。
「奈良時代には、権力者が病気になったり、亡くなったりすると、呪詛のせいと思われていたようです。
そのため、権力者が亡くなったタイミングで呪詛をしている人が見つかったら、大罪人として死刑になっていました。実際のところは、偶然だったのかもしれませんが……。
平安時代には死刑は廃止されていますが、それでも禁錮刑になるなど罪に問われていました。呪詛には効力があると江戸時代まで信じられていたんです」
呪詛に効力はない、罪に問わないと決まったのは、明治時代になってから。
「当時の日本は欧米列強と肩を並べることに必死でしたから、『呪詛を信じているなんて、日本は遅れている』と思われたくなかったのでしょう。明治政府は突如、呪詛の効力を否定したんです」
明治政府は表向きには否定したものの、それ以降も密かに呪詛は行われていたという。
「第二次世界大戦中には、日本政府が全国の寺院に依頼して呪詛をさせていたといわれています。
当時のアメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトは脳卒中で急死していますが、日本政府の呪詛のせいという説もあるんです」
縁結びの神様が呪いの神様に
「呪詛はいまでも行われている」と、繁田さんは言う。
「全国各地の神社の敷地内では、呪詛の道具である釘が地面などに落ちているそうです。特に縁結びの神社ではよく見られるようです。
縁結びの神様には、本来は良縁を願い、それが叶ったらお礼参りをするのが常ですね。ところが、相手に裏切られたり、捨てられた場合に、『あんな男と引き合わせたのは神様なんだから、責任をとって彼を不幸にしてください』と、恨みを晴らす願いに変わることがあるのです」
そのほか縁切り神社でも呪詛を行った形跡が見られるという。
「究極の縁切りは相手に不幸が起こることと考えられているため、絵馬には不幸になってほしい相手の名前、住所、電話番号、最近ではメールアドレスも書かれていることが目につきます。
これは細かな個人情報を書くことで、神様が相手を間違えずに呪い、不幸にしてくれることを目的としているようです。しかし、神社サイドはこういった行為を認めていませんし、迷惑をしているとも聞きますのでやめましょう」
“人を呪わば穴二つ”という言葉があるが、人を呪えば自分に返ってくるといわれる。
「晴明のような卓越した術者も、護身法をした上で呪術を行っていたはずです。素人が生半可にマネをするのは危険なのでやめましょう」(渋谷さん)
くしゃみは呪詛のせい!? 呪いを解くおまじない
くしゃみをすると、「誰かが噂している」といわれることがある。
「これは、いつの時代からかはわかりませんが、くしゃみをすると『鼻から魂が抜け、早死にする』『揉めごとに巻き込まれる』など、不吉な予兆とされ、もののけや呪詛などのせいと思われていたことに由来します。
くしゃみをしたあと、悪いことから逃れるための呪文があるんです。『休息万命急々如律令』。これをお唱えするとよいようです」(繁田さん)
もしも呪詛をされていたらどうする? 家庭でもできるお祓い
家庭で簡単にできるお祓いを繁田さんに教えてもらった。
「本格的な呪詛を解くには修験者(密教僧)に不動明王法や大威徳明王法などの修法を行ってもらうか、陰陽師に禊祓を行ってもらうしか方法はありません。ただ、悪い夢を見て、『呪われている』と思ったら、次の呪術を試すといいでしょう」(繁田さん・以下同)
●準備するもの:人の形に切り抜いた紙。水を入れた器。
●やり方:【1】紙で作った人形を左手で持ち、右手に水が入った器を持つ。【2】東側のドアか窓を開け、外に向かって「悪夢は草木に着き 好夢は宝玉と成る」と3回唱え、人形と水を捨てること。
「呪詛は言霊のため、『私は幸せ者だ~』など、ポジティブな言葉を口にするのもいいようです」
※外に捨てた時点で、人形に呪いは残っていないので、すぐに回収し、ゴミ箱に捨ててもOKだそう。
◆教えてくれたのは:日本宗教史研究家・渋谷申博さん
仏教や神道など宗教史についての執筆活動を行う。著書に『呪いの日本史 歴史の裏に潜む呪術100の謎』(出版芸術社)ほか。
◆教えてくれたのは:歴史民俗学者・繁田信一さん
神奈川大学日本常民文化研究所特別研究員。著書に『日本の呪術』(エムディエヌコーポレーション)ほか。
取材・文/廉屋友美乃
※女性セブン2024年9月19日号