
古今東西、家族関係の悩みはなくならず、とりわけ嫁姑問題は時代が変わってもなお永遠だ。実際の事件を紐解くと、深い憎しみが、一線を越えてしまう悲劇が明らかに──。
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福島県のJR郡山駅から車で30分ほどの場所にある2階建てアパート。近くを幹線道路が走っているが、アパートは通りから一本裏に入った閑静な住宅街にあるため、静かで住みやすい。
そのアパートに怒声が飛び交ったのは、2008年5月の夕暮れ時。「あんたに何もかも奪われてたまるか!」といった女性同士の争う声が響いたという。
近隣住民が慌てて飛び出したところ、2階の通路で胸から流血して横たわる藤沢裕子さん(仮名・31才)と、血に染まった柳刃包丁を握りしめる照子(仮名・59才)を発見した。
住民は急いで警察に通報。駆け付けた警察官が照子を取り押さえ、裕子さんは救急車で運ばれたが、搬送された病院で死亡が確認された。
「現場は照子の長男(32才)と妻の裕子さん夫婦が暮らす部屋の玄関前でした。照子は約20年前に東京から長男と長女と3人で福島県に引っ越し、アパートを経営していました。
引っ越し当初、照子は子供たちと一緒にお祭りに参加するなど近隣住民とも明るく挨拶していましたが、事件当時は出歩いているのをあまり見かけなくなっていた。周囲は何か悩みがあるのではないかと心配していたそうです」(全国紙社会部記者・以下同)
警察の取り調べで、照子が管理しているアパートなどの相続や、同居問題が明らかになる。
「裕子さんは夫である照子の長男を連れて、自身の出身地である沖縄県に移住することを希望していたようです。それをよく思わなかった照子は、裕子さんに長男との離婚を迫っていたという話もあります。照子は逮捕後、“裕子さんに冷たくされて不満がたまっていた”と供述しました」
犯行は突発的なものではなく周到に用意されたものだった。
事件当日、照子は市内の雑貨店で包丁3本を購入。さらに灯油とライターも用意し、裕子さんをアパートの外階段で待ち伏せていた。夕方4時半頃に裕子さんが帰宅し話し合いになったが、思うような回答を得られなかったからか、照子は用意した包丁を裕子さんに向けた。
司法解剖によると胸や腕、ほほなど9か所を刺されており、最も深い胸の刺し傷は深さが14cmにもおよび、心臓まで達していた。
照子は「私が刺しました」と犯行を認め、明確な殺意も認めていたが、殺人と銃刀法違反で起訴されると一転して殺意を否認。
「刃物は護身用に所持していたもので、裕子さんを殺すつもりはなかった。もみ合って衣服を掴まれ、覆いかぶさるように転んだときに、偶然刺さった」──そんな主張を裁判で展開したのだった。
2009年1月、福島地裁で裁判長は「自己中心的な犯行で酌量の余地はみじんもない」として殺意を認定し、懲役18年の実刑判決を言い渡した。照子は高裁、最高裁で争う姿勢を見せたが、ともに地裁の判決を支持。長男は妻、そして母を一度に失ってしまった。
※年齢は事件当時。
※女性セブン2026年6月18日号