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薄井シンシアさん、時給1300円の電話受付をしていた私が“誰もやりたがらない仕事”から“ベストセラー商品”を生み出すまで

薄井シンシアさん
薄井シンシアさんが新しい職場へ入るたびに実践してきたこととは?
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17年間の専業主婦を経て、仕事を再開した薄井シンシアさん(64歳)は、47歳から転職を繰り返し、2022年秋に外資系企業に就職しました。シンシアさんが新しい職場へ入るたびに実践してきたことは? 今回は、時給1300円で働いていた会員制クラブでの経験を中心に、職場で実力を認められるための秘訣を聞きました。

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仕事を完全に引き受ければ、自由にアレンジできる

職場には、誰もやりたがらない仕事がありますよね。私が帰国後すぐ、会員制クラブの電話受付をしていたときは、会員の子ども向けの「誕生日会」が、それでした。クラブはスタッフを売り上げで評価します。だから単価の低い「誕生日会」の予約が入ると、みんな一斉にため息をつく。

私は「やりまーす」と積極的に手を挙げて、企画と運営のすべてを引き受けました。担当者が私だけになれば、自由にアレンジしても文句を言われません。誕生日会に付加価値をつけて売り出したら、ベストセラー商品になりました。

大皿料理からワンプレートに

それまで、誕生日会の料理は大皿にハンバーガーやフライドチキンが盛られたスタイルでした。でも、子どもが取り分けると料理はぐちゃぐちゃ。だから大皿料理を辞めて、1人前ずつ皿に盛るパッケージ商品を考えました。

薄井シンシア
さまざまな”改革”を行った薄井シンシアさん
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パッケージは、ミニハンバーガー1つ、ミニソーセージ1つ、フライドポテトとドリンクで1セット。子どもの人数分を準備すればよいので、注文時の「大皿にハンバーガーは〇個ありますか?」という無駄なやりとりが無くなりました。料理も余らないし、子ども同士が料理を取り合うことも無い。準備がずっと楽になりました。

風船、ケーキ、マジシャンも

次に、ゲストへ配る風船の販売を始めました。それまでは、主催者が人数分の風船を持参していましたが、手間でしょ? オプショナルで風船を販売したところ、ゲスト1人当たりの単価がどんどん上がりました。

その次はバースデーケーキ。それまでは主催者が持ち込んでいましたが、キッチンのシェフにホールケーキを作ってもらい、オプションで販売を始めました。「子どもの顔をケーキに入れたい」という注文が来れば、さらに追加料金を取りました。

誕生日会にはエンターテイメントも必要です。マジシャンやバルーンアーティストを見つけてきて、これもオプションに加えました。誕生日会は、どんどん高額商品になりましたが、オプションを選ぶかどうかはゲスト次第なので、「料金が高い」というクレームもつきません。毎週末の誕生日会の予約枠はびっしりと埋まり、平日の枠も増やす商品となりました。

人脈が広がればチャンスも広がる

私は必ず誕生日会に立ち合うので、多くのコネクションもできました。あるとき、大手製薬会社の会長から誕生日会の予約が入ったことがありました。ロビーへ行くと、会長が「2歳の子どもの誕生日ディナーを、19時から親族を集めて開きたい」と言います。私は大口の注文に驚きつつも、マジシャンなどを入れた誕生日会を企画。とても盛り上がり、会長も大喜びでした。

薄井シンシア
63歳で外資系大手企業に転職した薄井シンシアさん
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数週間後、その製薬会社から「これまでホテルで開いていた懇親会を、会員制クラブで開くことにしました。担当はシンシアさんで」と連絡がありました。同僚たちは「なんで、このおばさんが数百万円の仕事を請け負っているの?」という反応でしたが、それ以来、新しい仕事がどんどん入りました。

直接、上司に職場の弱点を聞く

私はブルーオーシャン(=競争相手がいない未開拓の市場)を突き止めるのがすごくうまい。まず、新しい職場をよく観察します。ホテルに勤務していた時は、直接、上司に「ペインポイント(=弱点)はどこですか?」「どの仕事が滞っていますか?」と聞くこともありました。

当時は宿泊の営業をしていましたが、海外からの問い合わせに対する返信が遅かったことに気づき、「24時間以内に返事をした方がいい」と提案して、窓口を設けてもらいました。それまでは問い合わせが来ると、総合窓口がコーディネーターに話をつなぎ、コーディネーターが対応する人を決めてから、営業担当に案件を回していました。それでは返信に時間がかかるので、英語での対応が必要な時は総合窓口から直接、営業担当に案件をつなぐ運用に変えました。私が顧客なら1分でも早く返事が欲しいからです。

ピンチヒッターをこなして、ものを言う

入社後まもない私の提案が受け入れられたのは、その直前に私がピンチヒッターをこなしたからです。

それまで発注を仲介していた人がしばらく休暇を取りました。私がその人に代わって仕事をさばいてから改善を提案したので、説得力があったのだと思います。

よく「大企業の偉い人たちは中小企業に天下ればいい」という人がいますが、「ふざけるな!」と思います。現場を知らないから、いざそこのポジションについても仕事ができないことが多い。そういうことを言う人たちは、中小企業で働いて、上の立場から見えないシステムを理解してから意見を言ってほしいと思います。

◆薄井シンシアさん

薄井シンシアさん
薄井シンシアさま
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1959年、フィリピンの華僑の家に生まれる。結婚後、30歳で出産し、専業主婦に。47歳で再就職。娘が通う高校のカフェテリアで仕事を始め、日本に帰国後は、時給1300円の電話受付の仕事を経てANAインターコンチネンタルホテル東京に入社。3年で営業開発担当副支配人になり、シャングリ・ラ 東京に転職。2018年、日本コカ・コーラに入社し、オリンピックホスピタリティー担当に就任するも五輪延期により失職。2021年5月から2022年7月までLOF Hotel Management 日本法人社長を務める。2022年11月、外資系IT企業に入社し、イベントマネジャーとして活躍中。近著に『人生は、もっと、自分で決めていい』(日経BP)。@UsuiCynthia

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撮影/黒石あみ 構成/藤森かもめ