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《『光る君へ』で注目》「呪詛」とは何か?専門家が解説 「平安時代、陰陽師は数百人いた」「紫式部や清少納言もお祓いを依頼」

『光る君へ』の第29話で、伊周(三浦翔平・36才)が道長(柄本佑・37才)を呪詛する場面のイメージイラスト
『光る君へ』の第29話で、伊周(三浦翔平・36才)が道長(柄本佑・37才)を呪詛する場面のイメージ。実際は、道長ではなく姉の栓子(吉田洋・年齢非公開)が亡くなっている(イラスト/諏岸マリエ)
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『光る君へ』第32話(8月25日放送)で、ドラマ序盤から妖しい存在感を放ってきた陰陽師・安倍晴明が死去。息を引き取る前に残した言葉が注目を集めた。ドラマ内では憎き相手を呪詛(じゅそ)する場面がたびたび登場するが、実際のところはどうだったのか? 専門家に話を聞いた。

平城宮跡地から木製人形が出土

「呪詛というのは、特定の相手に対して悪しき呪術を行うことです」と言うのは、日本宗教史研究家の渋谷申博さん。

SNSでもたびたび話題になる『光る君へ』の呪詛シーン
SNSでもたびたび話題になる『光る君へ』の呪詛シーン。イラストレーター諏岸マリエさんが投稿した左のイラストには、4000以上の「いいね」が(イラスト/諏岸マリエ)
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「そもそも“呪術”と“呪詛”は違います。呪術は人類が登場した頃より行われており、戦いに勝つ、疫病を避けるなど、本来はよい結果をもたらすために、または、悪いことを避けるために行われていました。

それが徐々に特定の人物を不幸にするために行われるようになり、呪術を悪用することを“呪詛”と呼ぶようになったのです」(渋谷さん・以下同)

『光る君へ』に出てくるような呪詛が行われるようになったのは、奈良時代になってからのことだという。

「平城宮の跡地からは木製の人形が出土しています。その中には釘が打ち込まれたものもありました。当時、釘は家を建てるだけではなく、呪詛の道具としても使われていたようです」

ドラマでは、最愛の妹で、一条天皇の中宮になった定子が亡くなり、左遷された藤原伊周が、自分を差し置いて左大臣となった藤原道長を逆恨みして、夜ごと、木製の人形を刃物で斬りつけ呪詛を行うシーンが出てきたが……。

「このとき、伊周が使った人形などは、厭物と呼ばれる呪物で、平安時代はそれらを屋敷の床下や井戸に隠し、相手を呪ったとされています。

厭物の種類はさまざまです。たとえば『宇治拾遺物語』に出てくる道長呪詛未遂事件では、2つ合わせた土器を黄色い紙縒りで十字に結んだものが法成寺の境内に埋められていたとしています。

土器の中には何も入っておらず、土器の底に朱色で一文字だけ何かが書かれていて、この厭物の上を道長が歩くと呪いがかかる仕組みでした。また、『栄花物語』には、呪いを込めた爪楊枝を御帳台(貴人の寝所)の下に入れて呪詛する方法が記されています」

お札以外にも“呪いのアイテム”が

さらに、「お札も呪詛の道具としてよく使われていた」と言うのは、歴史民俗学者の繁田信一さんだ。

「呪詛の基本は言霊です。『○○が不幸になりますように』と相手を呪うような言葉を口にすれば呪詛になりますが、お札に呪いの言葉を書けば、さらに強い効力を発揮すると考えられていたようです。

この時代、不幸になってほしい相手の家の床下にお札を密かに置き、呪詛することも多かったようです」(繁田さん・以下同)

お札を使った呪詛では、道長や道長の娘の彰子、さらに彰子が産んだ皇子もターゲットになっていたという。

「黒幕は伊周とされていますが、実際は彼の周囲の貴族がやったといわれています。このときに使われた厭符を作ったのは僧侶で陰陽師の円能でした。

ちなみに、円能は捕えられて禁錮刑となりましたが、黒幕の貴族たちは罰せられることはありませんでした」

紫式部や清少納言もお祓いを依頼

同ドラマでは、安倍晴明をユースケ・サンタマリア(53才)が演じたが、第26話で晴明は道長に、「あなたさまにとって不都合な皇子が生まれる」と告げた後に「呪詛いたしますか?」と問いかけていた。そんなことが、本当にあったのだろうか?

人を助けるための呪符のイメージ
人を助けるための呪符のイメージ。「呪詛のための呪符は公に伝えられていないんです」(繁田さん)(イラスト/諏岸マリエ)
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「晴明は陰陽師といっても高級官僚のような存在。晴明には道長のような高貴な人物でないと仕事の依頼はできませんでした。そんな立場の晴明が、わざわざ自分の手を汚すような呪詛の話を持ちかけ、自ら行ったとは思えません。

では、下級貴族たちはというと、民間の陰陽師に呪詛を頼んでいたようです。伊周の関係者が道長を呪詛するために頼んだ円能も、民間の陰陽師です」

民間の陰陽師は下級貴族や民間人の依頼を受け、主にお祓いや占いを行っていたという。

「そのため、具体的な人数の記録は残っていませんが、おそらく数百人はいたと考えられています」

紫式部や清少納言も民間の陰陽師にお祓いなどを頼んでいたという。

「清少納言の『枕草子』や紫式部の歌集にも、民間の陰陽師にお祓いや占いを頼んだという記述が残っています。

ここには、清少納言や紫式部は下級貴族だったため、陰陽師に依頼できないことに苛立ち、民間の陰陽師に八つ当たりしたような話も残っています」

陰陽師の仕事は気象庁の予報官

では、陰陽師の本来の仕事は何だったのか?

「彼らはいわば技術官僚で、天文や暦などの知識をもとに、災厄や自然災害、悪霊の祟りまでを予測し、その対応策を考える仕事をしていました。現代でいえば、気象庁の予報官が近いですね」(渋谷さん・以下同)

実際の晴明は、定年間近に出世できた遅咲きの官僚だったという。

「彼が天文博士になれたのが50才頃。歴史に名を残せたのは道長に重用されたからですが、道長との年齢差は45才ありました。

晴明の専門は天文観測でしたが、道長などの貴族の個人的依頼で、縁起のいい方角や日にちの教示、呪詛を除くお祓い、災厄除けの呪法をしたと思われます」

道長は、死ぬまで何度も呪詛をかけられていたといわれているが、この先、ドラマではどのように描かれるかも注目だ。

◆教えてくれたのは:日本宗教史研究家・渋谷申博さん

仏教や神道など宗教史についての執筆活動を行う。著書に『呪いの日本史 歴史の裏に潜む呪術100の謎』(出版芸術社)ほか。

◆教えてくれたのは:歴史民俗学者・繁田信一さん

神奈川大学日本常民文化研究所特別研究員。著書に『日本の呪術』(エムディエヌコーポレーション)ほか。

取材・文/廉屋友美乃

※女性セブン2024年9月19日号

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