さまざまな分野の最前線で活躍し人々の憧れのまとである人にも、目標にし、励まされ、時には手を取り合った「憧れの人」がいる。人生を輝かせた「あの人への思い」をインタビューした。現在、落語界で活躍する女性は東京に約40名、上方(大阪・京都など)に約20名。そのトップランナーが「日本初の女流落語家」である露の都(68才)だ。
落語会に入ってから心を奪われた宝塚トップスター
私生活では2度の結婚を経験し、6人の子を持つ母でもある。松下幸之助や中村天風の本を好み、「あれこれ考えるより“素直な心”で行動する」をモットーに、落語と家庭を両立してきた。
そんな彼女が子供の頃から憧れていたのは、落語家の笑福亭仁鶴さん(享年84)だ。
「小さい頃から仁鶴師匠の大ファンで、高校3年生のときに毎日放送の『素人名人会』に出演したのち、審査員だった露の五郎兵衛に弟子入りを志願しました。『女には無理だ。帰りなさい』と何度も断られても毎日通い、半年経った1974年3月に入門しました」(露の都・以下同)
だが、実際に落語界に入ってから心を奪われたのは宝塚歌劇団のトップスターだった。
「もともと男性が演じるためにつくられている落語の登場人物は当然ながら、男性が多い。30才を過ぎ、演じるのにひと苦労していたところ、師匠が『女が男を演じるのがどういうもんか、宝塚見て勉強したらどうや』と提案してくださって、宝塚ファンだった娘さんからビデオをお借りしたのがきっかけ。当時宝塚男役トップスターだった剣幸さんの退団公演『川霧の橋』でした。
山本周五郎原作の、江戸時代の下町が舞台の作品で、剣さんが演じる大工の幸次郎が、それはもう、なんてカッコいいんやろうと。すぐにハマりました」
剣の舞台から伝わってきたのは、女が男を演じることの魅力や、その技術の素晴らしさばかりではない。性別を超えた「心」だった。
「『男性』を演じようとしているのではなく『幸次郎という人間の心』を演じているから、性別を超えて、情が伝わってくるんです。幸次郎が橋の上で、相手役の町娘に蛍をつかまえてあげるラストシーンは涙が止まらず、何十回も繰り返し見ました。“私もこんなふうに、心が伝わる落語がやりたい”と思って、古典落語の人情噺をよく選ぶようになったんです」
観劇を通じて肌身で感じ取った「心を伝える芝居」
当時の宝塚は涼風真世や天海祐希が男役トップで、華やかなりし頃。すっかりハマった露の都は、東京で剣の公演があれば新幹線で上京し、兵庫県宝塚市の大劇場にも足繁く通った。観劇を通じて心を伝える芝居を肌身で感じ取ることで、落語の腕もめきめき上達していく。
「舞台を見ながら心で演じることの大切さを学び、当時から得意にしていた人情噺『子はかすがい』をかけるときは、登場人物の子供や嫁はん、おとっつぁんの心を意識するようになりました。このネタは生前の師匠から褒められたことはなかったけれど、亡くなったときに奥さんから、師匠が“あんな難しい話、あいつよう自分の得意ネタにしよったな”とよく言っていたと聞きました。最高の褒め言葉をいただいたなと思います」
憧れの人でありながら「推し」でもある剣とは今年、新聞社の対談企画で初めて顔を合わせることができたという。
「剣さんにもし会えたらずっと聞いてみたいことがありました。それは“男役をどういうふうにつくってはったんですか”ということ。対談で質問したら、“私は宝塚の男役としては小柄なんです。だから懐の広さをどう演じていくかを考えた。そして女性が共感してくださる男性を演じた”とおっしゃっていて。
私と同じで、心を演じていたんだなと感激しました。お客さんに“都さんの落語の男の人は男前やね”と言われるんですが、ちょっと宝塚が入っているのかも。
それに、剣さんが“実は落語をやってみたいんです”って! 上方落語専門の定席、繁昌亭で、いつか二人会をやりましょうねって、お話ししたんです。
私も今年で芸歴50周年。剣さんとの二人会を楽しみにしつつ、これからも人の心に届いて、思い切り笑って泣ける落語ができるよう、精進していきます」
【プロフィール】
露の都(つゆのみやこ)/1974年、露の五郎兵衛に入門し、翌年に初舞台。日本初の女流落語家となった。1991年、現在まで続く「東西女流落語会」を史上初めて主宰。プライベートでは6人の子を持つ母でもある。
※女性セブン2024年11月14日号