三笠宮妃百合子さまが、11月15日午前6時32分、101才でこの世を去られた。明治以降の女性皇族として最長寿だった百合子さまは、脳梗塞や誤えん性肺炎のため、今年3月に東京・中央区の聖路加国際病院に入院し、療養を続けられていた。
百合子さまは、大正天皇の第四男子だった三笠宮さまと1941年に結婚。もとは華族の家に生まれた令嬢だった。三笠宮さまとの間には、3人の男子と2人の女子が誕生し、三笠宮家の彬子さまや瑶子さま、高円宮家の承子さまらは孫に当たる。
11月7日の検査で、心臓や腎臓など全身の機能低下が進んでいることが判明して以降は、訪英中だった彬子さまが急きょ帰国されて病院に直行されたほか、高円宮妃久子さまらが連日のように病院にお見舞いに訪れられていた。中には、百合子さまの第一子である近衞甯子さんの姿もあった。
生前、百合子さまは日本赤十字社の名誉副総裁や、母子愛育会の総裁などを務められた。
近年は体調を崩されることも多かったが、交友関係も広く、宮邸に客人を招くことも多かったという。宮内庁関係者が明かす。
「三笠宮邸にお客さまがあると、お話のお供としてプリンが出されることがありました。実際に作っていたのは侍女長でしたが、レシピは百合子さまのオリジナルだったそうで、ほっぺたが落ちそうになるほど美味しかったといいます。客人が招かれたときに必ず出されるわけではないので、“今回はプリンがなかった”と口惜しそうにしている人もいました」
百合子さまがこの世を去っても、残された“レシピ”は、この先も客人をもてなしていくのだろう。