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色づいた紅葉の木々に挟まれた皇居・乾通りの一般公開がこの秋も始まり、連日、多くの人が都心の中心部にある豊かな自然を満喫している(12月8日まで)。
上皇さまの傘寿を記念して2014年に始まった春と秋の一般公開は、コロナ禍での中断はあったものの、すっかりと定着した。スマホで写真を撮りながらそぞろ歩きをする人の中には、ベビーカーを押す家族連れや外国人観光客も多く見られた。英語と中国語に対応するスタッフが常駐していることに、皇居が観光名所であることが伝わってきた。
しかしそうした喧騒は、皇居内にある、天皇ご一家が暮らす御所までは届かない。今秋の一般公開開始翌日の12月1日、愛子さまは御所で、23才の誕生日の祝賀を受けられた。園遊会へのご出席や、単独での地方公務など、成年皇族としての活動の幅を、愛子さまは着実に広げられている。
「御所では宮内庁長官や次長、侍従長ら側近からの挨拶を受けられました。周囲の支えもあってこの日を迎えられることを愛子さまも切にお感じになっていますから、心からのお礼の言葉を返されたそうです」(皇室記者)
“主役は愛子さまに”というお気持ちか
そんな愛子さまのお姿に、同席された天皇陛下も目を細められていたという。しかし雅子さまは不在だった。
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「愛娘の晴れの場ですから同席してもよさそうなものですが、雅子さまは祝賀を欠席され、お姿を見せられることはありませんでした。今年4月に日本赤十字社に就職され、社会人として初めて迎えられた誕生日でしたから、“主役は愛子さまに”というお気持ちもあったのかもしれません」(前出・皇室記者)
だが、実はその2日前の11月29日に都内で開催された「自治体消防75年記念大会」にも雅子さまのお姿はなく、天皇陛下がおひとりで臨席された。
「長期療養以降、皇后となられてからも、『四大行幸啓』などの一部の公務を除いて、雅子さまのお出ましは事前に公表されません。ただ、“陛下のみ”の公務予定だったとしても、ふたを開ければ雅子さまが同行されているといったケースは少なくない。関係者には雅子さまご出席への期待もあったようですが、結果的には、予定通り陛下おひとりでした」(前出・皇室記者)
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立て続いた「雅子さまのご不在」の背景には、三笠宮妃百合子さまの逝去という、皇室にとって8年ぶりの弔事もあったのだろう。
「百合子さまが11月15日に薨去され、雅子さまは当日と翌16日に陛下と三笠宮邸を弔問されました。一般の通夜などにあたる24日と25日にも弔問され、27日には豊島岡墓地(東京・文京区)に足を運ばれて百合子さまの遺骨が納められた墓を拝礼されました。連日のように外出が重なったことで、お疲れがあったのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)
公務へのお出ましはもちろん、宮中行事や祭祀へ出席される機会も増しているとはいえ、雅子さまがご快復の途上であることには変わりない。だからこそ、毎年の雅子さまの誕生日には、いまでも医師団の見解が公表されている。
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※女性セブン2024年12月19日号