【岩下志麻が明かす『極道の妻たち』シリーズの裏側】清純なイメージからの挑戦と自ら創り出した新たな“極妻像”「街で複数の男性たちから整列して見送られたことも」
役はフィクション、役者はリアル──別物にもかかわらず、名演がゆえに役と役者が同一視されることがある。そんな当たり役に恵まれることは役者として幸運なことではあるが、時にそれが足枷になったりすることもある。誰もが知る当たり役を演じた名優が、そんな葛藤を経ていま思うことを明かす──。
任侠作品に当初は戸惑いがあった
「“いままでのあなたの役柄には粋と婀娜(あだ)っぽさがなかった。それをこの作品で作ってあげる”──五社英雄監督からこう言われ、出演の覚悟を決めました」
そう語るのは、1986~1998年にヒットした東映の仁侠映画『極道の妻(おんな)たち』シリーズ【※注】で、歴代ヤクザの妻を演じた岩下志麻(83才)だ。
【※注/劇場版は1998年まで。その後、1999~2013年までは東映ビデオ制作作品となり、シリーズは16作まで作られている】
この映画は、ノンフィクション作家・家田荘子さんの同名ルポルタージュが原作で、岩下はシリーズ10作品のうち8作品で主演を務めた。当時、ヤクザ映画の人気は下火だったが、闘争に明け暮れる男たちではなく、男を支えつつも毅然と生きる女性を主役に据えた本作は、その珍しさからも好評を博した。
しかし当初は「戸惑いがあった」と振り返る。岩下といえば、故・小津安二郎さんの映画『秋刀魚の味』のヒロインに代表される清純なイメージが強く、1969年の『心中天網島』や1977年の『はなれ瞽女おりん』などの文芸作品でも実力を認められていた。仁侠作品にはなじみがなかったのだ。
「役作りのため、本物の極妻さんの家に住まわせてほしいとプロデューサーにお願いしました。ところが、“とんでもない! 岩下志麻の極妻でいい”と言われ、まずは私が思う“極妻さんの形”から入ることにしました」(岩下・以下同)
岩下は新たな極妻像を創り出すことにしたのだ。
「着物の襟はゆったりとぬき、和服にはタブーとされるピアスやネックレスをつけ、髪も大きく結いました。拳銃を撃つシーンがあるので帯はやや下に結ぶことに。声を低くし、あごを上げて見下ろす感じでしゃべり、外股で歩く。この役のため、たばこも吸い始めました」
友人の電話につい“わてや”と出てしまうことも
1作目製作時の岩下は45才。五社監督の宣言通り、この作品で清純なイメージは一掃され、プライベートでも、極妻像を重ねられることが増えていったという。
「街で複数の男性たちから、映画さながら、整列して見送られたことがありました。私は役に入り込むタイプなので、そういうときも、“おう”と応える感じで悠然と通り過ぎました。友人の電話にもつい“わてや”なんて出てしまうことも」
本来、強く個性的な女性を演じるのが好きな岩下にとって、極妻はまさに適役だったのだ。
「いま振り返っても極妻役は大きな財産となりました」
という83才の現役女優は、今後も新たなイメージを創りたいと意欲を見せた。
【プロフィール】
岩下志麻/1941年、東京都生まれ。1958年にNHKドラマ『バス通り裏』に出演。1960年に『乾いた湖』で映画デビューし松竹の看板に。代表作に『秋刀魚の味』など。夫は映画監督の篠田正浩。
※女性セブン2025年1月1日号