
笑うシーンではないのに笑われた
遺作となった映画『わたしのかあさん―天使の詩―』など3作品に出演した渡辺いっけい(62才)は目頭を熱くし、こう話す。
「人生100年時代と言われていますが、監督のように魂を燃やして、最後の最後までエネルギー120%で生きる人はなかなかいないと思います」
山田さんに初めて会ったときのことは、いまでも忘れられないという。
「撮影場所から離れたディレクターズチェアに座って、モニターを見ていました。山田さんは現場を助監督に任せて本番を待っていたんですが、助監督が段取りを説明している最中、“本番いくよ!”と遠くから声がかかるんです。つまりせっかち(笑い)。とにかくカメラを回したくて仕方がないんだなって思いました」(渡辺・以下同)
山田さんから役や演技について指導されたことは一度もなく、「役者として与えられた役に、血と肉をつけるというシンプルな役割に挑戦できるのがおもしろい」と語る渡辺には、印象深い作品がひとつある。明治・大正時代に女子教育に力を注ぎ、女性の人権活動に尽力した矢嶋楫子を描いた『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』(2022年)だ。
「撮影は1、2日ぐらいでしたけど密度の濃い撮影でした。ぼくの役は元武士で、時代に取り残されたイライラを、お酒を飲んで家族に当たり散らす男。子供にまで刀を振り上げるような役で、夢中で演じていたら子役の子があまりに怖くて泣き出してしまってね。
何とか本番を終えると監督が“あんたおもしろいねぇ”って笑ったんです。笑うシーンじゃないのに、そう言ってもらったのは鮮明に覚えています」
以降、山田さんからのオファーは台本を見る前に「やります」と即決。『わたしのかあさん―天使の詩―』では寺島しのぶ(52才)の夫役で、役者人生で初めて、吃音を演じた。
「実際に吃音のかたも見るだろうし、役者として生半可なことはできない。いつも以上に演技は繊細でしたが、どう演じようかと真剣に考えたことは役者人生の糧になりました。現場でしのぶちゃんや子供たちと実際に演じると、台本を読んでいた以上のことができる。それがまたおもしろかったです」
3作品を通じて、山田さんが映画に込めた思いを渡辺はこう考える。
「大人になると処世術として覚えていく嘘もある。丸だと思っても三角だと言わなきゃいけないこともある。でも監督は“丸いものを丸いと言える人になりなさい”“おかしいことはおかしいと言える人になってほしい”と願っていたと思います。そういう人が多くなれば社会を変えることができると信じていたんだと思います。
山田さんの作品はこれからも多くの人に見ていただける。映画の中に監督は生きていて、多くの人に山田さんの熱い思いに触れてほしいですね」
92年の生涯に幕を閉じた山田さんの作品は、いまも全国各地で上映会が開催されている。