エンタメ

《哀悼秘話》郷ひろみ、母・輝代さんが逝去 その存在を抜きにしては語れない「引退宣言」「松田聖子との破局」「二谷友里恵との離婚」の真相

母と最後の時間を過ごした郷ひろみ
写真5枚

 亡き母に宛てた手紙が読み上げられると、斎場は一層の悲しみに包まれた。厳しくしつけた母と、期待に応え続けた息子・郷ひろみ(70才)。芸能界を共に生きた親子が過ごした、2人きりの最期の時間──。【前後編の前編】

「斎場の入り口には、郷ひろみさんがお母様の肩に腕をまわした写真や、2015年に亡くなったお父様も一緒に写った家族写真などが飾られていました。白と紫を基調とした祭壇に掲げられた遺影は、穏やかな表情でした。郷さんは参列者に丁寧に頭を下げていましたが、唇をかみしめて涙をこらえるような表情が印象的でした」

 1月12日に亡くなった郷の母・原武輝代さん(享年92)の葬儀が、17日に東京・桐ヶ谷斎場で営まれた。一般参列も認められ、前日の通夜と合わせて郷のファンら約1800人が参列。冒頭はそのファンの言葉だ。

 郷の輝かしい芸能人生は、輝代さんの存在抜きでは語ることはできない。福岡県で原武家の長男として生まれた郷は、国鉄職員だった父・英夫さんの転勤で4才のときに家族で東京に転居。輝代さんは郷を「九州男児」として厳しくしつけた。

 芸能界入りのきっかけになった映画のオーディションで、直前になって「やっぱり行きたくない」と怖気づいた15才の郷を「九州の男なら、やると決めたら最後までやりなさい!」と平手打ちをして会場に向かわせたのは有名なエピソードだ。結果的にオーディションには落選したが、たまたま会場に来ていたジャニー喜多川氏(享年87)の慧眼に見出された。

「旧ジャニーズ事務所に所属した郷さんは、1972年8月に『男の子女の子』でデビューすると、その年の日本レコード大賞新人賞を受賞。西城秀樹さん(享年63)、野口五郎さん(69才)と共に『新御三家』と呼ばれ、トップアイドルの階段を一気に駆け上がりました」(芸能関係者)

 しかし1973年12月、人気絶頂の郷に突如として“引退騒動”が持ち上がる。発端は、輝代さんが雑誌のインタビューで「(郷を同年の)紅白歌合戦を最後にきっぱりと引退させます」と宣言したことだった。

輝代さん(右)の誕生日を祝った郷(2025年、インスタグラムより)
写真5枚

「当時の郷さんは毎日テレビに出ずっぱりで、輝代さんは息子の体を心配し続けていました。寮暮らしで自宅に帰ってくることがほとんどなかった郷さんから、“お母さん、ぼく疲れたよ……”と覇気のない声で電話がかかってきたこともあったそうです。

 さらに、当時5万円だった郷さんの月給は、事務所が貯金という名目で管理しており、本人の手に渡っていなかった。息子が不憫だと感じ、同時に事務所への不信感も募って引退宣言に至りました」(前出・芸能関係者)

 のちに弁護士の立ち合いのもとで事務所との話し合いが行われ、郷の“働き方”は改善。引退は撤回された。輝代さんの息子を思っての“実力行使”が実った形だ。

 プライベートでも母の存在は大きかった。1980年代に松田聖子(63才)と交際していた郷。結婚間近とされた1985年1月、聖子が涙ながらに開いた会見で破局が明らかになった。

「輝代さんは郷さんから恋人を紹介されるたびに、彼女と一緒にキッチンに立つなどして、振る舞いや人柄を細かくチェックしていました。あるとき、聖子さんは郷さんの別荘で彼の家族と一緒に過ごしたのですが、仕事で東京に先に戻る郷さんに“悲しい”と泣きついた。その姿を見た輝代さんが、“結婚相手にふさわしくない”と郷さんに助言したことが、破局につながったといわれています」(前出・芸能関係者)

 1987年に郷は二谷友里恵(61才)と結婚。2人の娘に恵まれたが、結婚3年目に不穏な空気が流れ始めた。

「結婚当初は郷さん夫婦と輝代さんとの関係は良好だったのですが、子供が生まれてからは、やや距離を感じるようになったようで……孫にも頻繁に会えなかったそうです。郷さん家族が二谷さんの実家近くに新居を構えたことも寂しい出来事だったようで、“内孫なのにお尻も拭かせてもらえない”“ひろみを婿に出した覚えはない”と周囲に漏らしていたそうです」(前出・芸能関係者)

 1998年4月に郷の女性問題などが原因で離婚。2000年に一般女性と再婚した郷だったが、2005年に再び離婚した。

(後編へ続く)

女性セブン202625日号 

関連キーワード