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柴田理恵さん、95才の母を見送って実感したこと「どう生きたが自分らしい最期につながる」 “年齢や性別に関係なく誰にでも心を開いた母”への憧れ

柴田理恵さん
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 誰にでも平等に訪れる「死」だからこそ、自分が思うような最期を迎えたいと願う人は多い。さまざまな人生の終い方があるが、どんな憧れの死に方があるのだろうか。

 俳優でタレントの柴田理恵さん(67才)は、富山県でひとり暮らしをしていた母・須美子さんの遠距離介護を7年ほど続けた。

 2025年1月に95才で他界した母を見送った彼女はいま、「生き方と死に方は似ている」と感じているという。

「自分がどう死ぬかはわからないけど、正直に生きることはできます。理想の死を迎えられなくても、どう生きてきたかが自分らしい死に方につながると思っています。うちの母を見てそう思うようになりました」(柴田さん・以下同)

 小学校の教師だった母は、晩年になっても「人生の目標」を失わなかった。

「教師をやめてから90才になるまで若い先生の相談に乗ったり、趣味のお茶を教えたりしていました。

 要介護状態になってからも“あそこにもう一度行きたい”と言って歩く練習をするなど、具体的なやりたいことを見つけてはそのためにがんばって努力していました。私なんて足元にも及ばないけど、そうした具体的な努力の積み重ねが生きる力になって、最終的には人生の閉じ方につながっていくのだと思います」

 いくつになっても他人を気遣って声をかける母にも柴田さんは感銘を受けた。

7年間、母(右)の遠距離介護をしてきた柴田さん(左)(写真提供/柴田理恵さん)
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「叱るときは鬼のような顔になって怖い母でしたが、年を取るにつれて若い人をニコニコして見守るようになった。

 人見知りだったり、自分を表現するのが得意でなかったりする人のことも常に気にかけて、“最近どうなの?”と声をかけて話を聞いていたそうです。おかげで母が亡くなった際、多くのかたが“いつも声をかけてもらって、話を聞いてくれてうれしかった”と感謝してくれました。ああ、母はいいことをしていたんだと思いましたね」

 そんな母は入院中も多くの“ファン”に愛された。

「看護師さんや介護の職員さんは母と一緒にいるのが楽しくて、みんな母の病室に行きたがったそうです。

 もちろん施設や病院は患者さんに平等に接するけど、いつも怒っている人より“アンタ今日は元気そうね”と声をかけてくる人の方がうれしいのでしょうね」

 人間関係が希薄になるなか、死の直前まで目標を持ち続けて、周囲とのコミュニケーションを欠かさなかった母の姿は、いまも柴田さんの心に残っている。

「年齢や性別に関係なく誰にでも心を開いた母の生き方に憧れます。ご近所づきあいがなく名前も知らない間柄の人が増えるなか、関係性を作ろうと努力するわけでもなく自然に人と親しくなるのはすてきなことです。そうやって生きてきたから死ぬときも孤独をあまり感じなかったはず。

 私もそんな母のように生き、そして死にたいと思っています」

※女性セブン2026年7月9・16日号

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