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《追悼・寿美花代さん》政宏と政伸が揃った“静寂の家族葬” 不仲を認めていた息子たちを繋いで、再びひとつになった“高島ファミリー”

息子たちに家を乗っ取られると

 おしどり夫婦が厳しい現実に直面する一方で、一家を支えるはずの息子たちの間にも不協和音が囁かれるようになる。異変のきっかけの1つといわれたのが、政伸の離婚トラブルだ。

 2008年に俳優の美元(47才)と“交際6日婚”をした政伸は、わずか2年で離婚調停を申し立て、2012年に協議離婚が成立した。

「忠夫さんの介護が過酷さを増すなか、泥沼の離婚騒動も重なり、寿美さんは極度の心労から全身に帯状疱疹が出たそうです。次第に兄弟間で意見がぶつかることも増え、あれほど一致団結していた一家がギクシャクするようになりました」(前出・高島家の知人)

俳優の高島政伸
写真4枚

 前述の2013年のドキュメンタリー番組を最後に兄弟が揃って公の場に出ることはなくなり、2019年に忠夫さんが他界した際も、政宏と政伸は臨終に間に合わず、看取ったのは寿美さんただひとりだった。

「忠夫さんが亡くなる直前、高島家豪邸の土地の200分の1の権利が政宏さんに生前贈与されました。老老介護の疲労もあってか、当時の寿美さんはご自身の財産について強い不安を口にすることがあったといいます。“息子たちに家を乗っ取られる”との妄想を抱くようになった寿美さんが自宅を勝手に処分するのを防ぐために、政宏さんが苦渋の決断として一部を所有した事情も報じられました。忠夫さんが亡くなる少し前には兄弟の“共演NG説”も広まり、実際、逝去後の会見で政宏さんは弟との不仲を認めるような発言をしました」(前出・芸能関係者)

 最愛の夫に先立たれ、寿美さんの心身は少しずつ衰弱していったという。

「忠夫さんの死後、寿美さんは豪邸にひとりで暮らしていましたが、体調を崩し、外出する回数が減っていきました。彼女はこの家を終の棲家にしたいと望んでいたものの、体力的に施設への入居はやむを得ず、決断した政宏さんにとっても断腸の思いでした」(前出・高島家の知人)

 天国と地獄を何度も経験した寿美さん。年老いた彼女が最後まで気にかけていたのは、やはり息子たちのことだった。

「寿美さんが最も好きだった言葉が『一家団らん』。兄弟が再び手を取り合うことを誰よりも望んでいました。2人ともそんな母の深い愛情を汲み取り、ここ数年は争うことなく、寿美さんの介護についても話し合ってしっかり役割分担していたと聞きます。政宏さんは、政伸さんが母の最期に立ち会えたことに『本当によかった』と心から感謝していました。家族葬でも政宏さん、政伸さん双方が揃い、穏やかに故人を見送ったそうです。最後に再び“ファミリー”がひとつになって、寿美さんもきっと本望だったでしょう」(前出・高島家の知人)

 寿美さんが願った通り、高島ファミリーの“絆”は次代に受け継がれていくはずだ。

※女性セブン2026年9月3日号