イチローのバットを贈呈
その後、石川は『天城越え』などの名曲で紅白常連の大物演歌歌手に成長。全国を飛び回る多忙な日々の中でも水俣との絆は色褪せることなく、患者たちと手紙のやり取りを続けていた。
「石川さんは金子さんへの追悼文のなかで、1978年当時の患者たちが《自分たちも1つのことを成し遂げ、これからの大人としての自覚をもって生きていきたい》と切に願っていたと振り返っています。障害を抱えながらも力強く生きる同世代の患者たちに、特別な共感を覚えて関係を続けてきたのでしょう」(芸能関係者)
彼らと石川が再会したのは2010年のことだった。
「1978年のコンサートを収めたドキュメンタリー映画を水俣で上映することを知らせると、石川さんはひとりで駆けつけてくれました。肩を並べて映画を鑑賞し『懐かしいね』と思い出を語り合いました」(滝下さん)
この再会で「もう一度コンサートを」との機運が高まり、2017年2月、2度目のコンサートが実現。石川は涙を浮かべつつ、38年前と同じステージで『津軽海峡・冬景色』などを熱唱した。
「石川さんは当時ブログにアップした『水俣の皆さんに心を寄せて』という文章で《いっぱいの思い出が作れますよう、心を込めて歌いに参ります》と記しており、かなりの意気込みが伝わってきます。実際、石川さんは水俣の“友人たち”のために、親交のあるイチローさんに頼んでバットを譲り受け、それを贈呈していました」(前出・芸能関係者)
その後も交流は続き、2022年には石川が熊本市で開いたデビュー50周年記念コンサートに金子さんらを招待。今年も対面の約束を交わしていたが、それは果たせなかった。それでも石川は追悼文をこう結んでいる。
《約束した11月21日、私も水俣へ歌いに参ります》
48年前、若者たちの夢から始まった歌声が、旅立った“親友”のために三たび水俣に響く。
※女性セブン2026年11月12・19日号