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《出産かキャリアかの苦渋の決断を経て》シーラ杉本宏之会長×港区・清家愛区長が語る活躍の原点「区民の皆さまには同じ経験をしてほしくない」

対談をおこなったシーラ杉本会長と清家港区長
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短期集中対談「シーラホールディングス杉本宏之会長が女性トップランナーに聞く『未来の作り方』」第3回・後編

(前編から続く)

杉本:前編では港区の現状と未来についてお話をうかがいましたが、今回は改めて“生まれも育ちも港区”でいらっしゃる清家区長ご自身の原点について深くお聞きしたいと思っています。お父さまは石材店を営まれていて、幼い頃は職人さんがたくさん出入りする環境で成長してこられたとのことですが、大学は青山学院大学に進学されています。どのようなキャンパスライフを過ごされたのでしょうか。

清家:青学はキリスト教による人格教育を掲げるミッション系の大学なので、根底にキリスト教の精神があって、お互いに助け合う文化があると感じていました。生徒も先生もフラットで、男女差別もなく自由な校風でしたね。私の選挙のときも多くの仲間が支えてくれましたし、いまでも変わらず交流が続いています。

杉本:私は高校卒業後すぐに専門学校で宅建の資格を取り、不動産販売会社に就職しました。そのため大学ならではの人間関係は想像するしかないのですが、そうした長く続くつながりは本当に素晴らしいですね。そもそも、なぜ青学を志望されたのですか?

清家:高校生のときにロータリークラブの奨学金で、1年間オーストラリアの公立高校に留学しました。そこで、ベトナムやカンボジアから来た難民の子供たちと知り合う機会があり、家族と離れ離れになった子供たちの現実を目の当たりにし、「政治が間違った方向に進むと、人生が大きく変わってしまう」と実感しました。そこで帰国後は、国際政治学を学びたいと思い、青学の国際政治学科に進学しました。

杉本:留学での経験が、現在の政策にもつながっているのですね。大学時代はバックパッカーとして世界を旅されたとも聞きました。

清家: アジアを中心に旅をしました。アルバイトでお金を貯めて、戦争の跡地や途上国を中心に自分の目で見たいと思ってまわったんです。ケニア、タイ、チベット、カンボジアなどを巡り、社会の格差や文化の多様性を肌で感じました。地雷が埋まっているすぐそばに白骨が転がっているような世界でも、子供たちの笑顔は本当に輝いていたのが印象的で、人々の生きる力に圧倒されると同時に、胸に刺さるものがありましたね。

杉本:若い頃だからこそ挑戦できる、貴重な経験をされましたね。

清家:ええ。子供たちが置かれた環境を少しでも改善したいという思いから、大学卒業後は産経新聞の記者になりました。当時はまだ、自分が政治家になるとはまったく思っていない頃の話です。

新聞記者から区長へ「現場の声」を政策に変える力

杉本: 産経新聞では記者として、具体的にどのような取材に携わってこられたのでしょうか。

清家: 主に社会部で、事件・事故、教育、福祉といった現場を担当していました。取材をするなかで、行政と生活者の間に存在する「温度差」を強く感じる場面も多かったですね。

杉本: 書類だけでは見えない、現場特有のリアルがありますよね。特にどのようなテーマに関心を持って取材されていたのでしょうか。

清家:主に日本の司法制度やマスコミのあり方についてです。児童虐待や女性の性被害などプライバシー保護の観点で繊細に報じなければならないのに、被害者が実名報道されたことに端を発してネット上で批判されるなど、被害者が救われないことに疑問を持っていました。性加害の厳罰化についても関心があり記事にしていましたが、ようやく少しずつ社会が動いてきたと感じています。
また地方自治体を取材するうちに、情報公開や市民参加が不十分で地方議会が機能していないと感じ、この国を再生するためには地方議会改革が急務だと痛感して取材を進めていましたね。

杉本:そういう社会を守っていきたいという正義感が、のちの政治への視座にもつながっていったんですね。とはいえ、当時は女性記者として働くのは相当ハードだったと想像します。

清家:確かに激務でしたが、天職だと思って働いていました。でも20年以上前は、妊娠や子育てをしながら働く人に対する配慮が当たり前の時代ではありませんでした。深夜や早朝に突然取材が入ることもあれば、付き合いの会食や泊まりがけの仕事もこなすのが、どんな環境の人にとっても当たり前という空気がありましたね。

杉本:今でこそ労働環境を改善する立場になりましたが、私が営業職として働いていた頃は、毎日朝早くから夜遅くまで働くのが普通という雰囲気でした。個人的に「誰よりも働き、努力すること」を目標としていたのもありますが(笑い)。

シーラ杉本会長
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清家:よくわかります。そんな状況でも記者を続けたいという思いがありましたが、結婚して子育てしながら働けるのかが不安でした。当時は出産を機に仕事を一時的に離れると、キャリアも遠ざかっていく時代でした。出産かキャリアかどちらかを選ばなければならず、苦渋の決断で退職しました。

杉本:私と同世代の女性たちからも、似たような経験を聞いたことがあります。女性が能力を生かして働ける環境は本来もっと整うべきで、当社でも女性社員へのヒアリングを実施して、長期的に安心して働ける環境づくりに向けた制度整備などの支援に取り組んでいます。ただ、清家区長の新聞記者時代は、まだ社会の側が追いついていなかった。過去を振り返ると、理不尽な時代でしたね。

清家:女性にとって出産は“落ち度”ではまったくないのに、第一線から外れてしまう。この理不尽さへの絶望感はいまでも忘れられません。その経験は決してする必要のないものだったと今でも思っていますが、同じ経験を区民の皆さまに味わわせたくないという区長としてのスタンスに生きています。

杉本:辛い経験を糧にして前を向く、区長の人間力の高さを感じます。退職後、フリーランスの記者として仕事をしながら出産・子育てをされ、母親たちの現場の声を行政に届けようと「港区ママの会」を発足したのも同様の思いからですね。

清家:当時の港区は保育園の待機児童数が23区の中でも特に多く、3才になっても保育園に入れない状況でした。キャリアを諦めざるを得ない女性が増え続けるのは、日本にとって大きな損失だと真剣に悩みました。そこで、子育て当事者が感じる社会課題を発信しようとブログを始めたら、同じ悩みを持つ母親たちの声が何百件とすぐに集まりました。それをきっかけに、区の育児支援政策に現場のママの声を反映させようと、「港区ママの会」を発足しました。あのときの活動が港区議になるきっかけになりましたね。

杉本:草の根的な活動が、そのまま政治の現場へとつながっていったのですね。

清家:当時は政治の専門知識も経験も、人脈もありませんでした。固定票もないところから選挙を始めましたが、同じ悩みを抱える多くのママたちの応援が助けになりましたね。最初の区議選では娘が2才で、演説中でも泣き止まなければ途中でやめて娘をあやし、それでも泣き止まなければ自宅に帰るという感じの活動をしていました‥‥。でも娘の泣き声を聞きながら、娘に胸を張って「女の子でも夢を諦める必要はないんだよ」と言える社会にしたいという思いも強くなりました。今から15年くらい前の話ですね。

杉本:まだ課題はたくさん残されていますが、当時と比べたら「女の子でも夢は叶う時代」に近づいたと思います。港区がおこなっている手厚い子育て支援も、その時代を現実にする大きな一歩ですね。

これからの人生と自分を取り戻す時間

清家港区長
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杉本:清家さんのお話をうかがっていると、新聞記者、港区ママの会、政治家と、これまでずっとご自身のこと以上に「社会」を優先して活動してこられたのだと感じます。もちろん区長という立場で難しい部分も多いと思いますが、今後、プライベートで実現してみたい目標や、思い描いていることがあればぜひお聞かせください。

清家:杉本さんに言われて改めて振り返ってみると、これまで私生活よりも業務を優先し、自分のための時間をほとんど持てなかったように思います。子育てと仕事を両立できる社会をつくりたいと願って働いてきましたが、自分自身がその先頭に立っていた時期には、まさにその両立が難しく、子供との時間を犠牲にしてしまった部分もありました。今後は家族との時間も大切にしていきたいですね。

杉本:そのお気持ち、とてもよく伝わってきます。清家さんたち先駆者の取り組みがあったからこそ、出産後も活躍できる女性が増えました。これは間違いないと思います。

清家:子供と過ごせる時間は本当にあっという間です。みなさんにはぜひ家族との時間を大切にしていただきたいですね。

杉本:いまは区長としてお忙しく、なかなか休む時間も取れないと思います。時間ができたら、やってみたいことはありますか?

清家:もう一度バックパッカーとして世界を旅したいですね。海に潜るのも大好きなので、時間を見つけて行きたいです。

杉本:海って、本当に癒されますよね。滅私奉公の精神に頭が下がりますが、広い海に身を預けてゆっくりとした時間を過ごす日をぜひ作ってくださいね。

◆シーラホールディングス会長 杉本宏之さん
1977年生まれ、神奈川県出身。高校卒業後、宅建主任者資格を取得し不動産会社に営業職として就職する。2001年に独立し、エスグラントコーポレーションを設立。05年、不動産業界史上最年少で上場を果たすが、09年に民事再生を申請。2010年にシーラテクノロジーズを創業し、事業の拡大を続け、2023年に米国ナスダックへの上場を実現。業界の発展にも積極的に関与し、一般社団法人AI不動産推進協会の監事、一般社団法人日本不動産クラウドファンディング協会の理事、新しい都市環境を考える会の理事を務める。2025年に株式会社クミカと経営統合を行い、同年6月1日付でシーラホールディングスへと商号変更。代表取締役会長に就任した。

◆港区長 清家愛さん
1974年生まれ、東京都港区出身。青山学院大学国際政治経済学部国際政治学科卒業後、産経新聞に入社。記者として社会部で、主に事件、行政取材を7年間担当する。退職してフリーランスとして働くも、出産後に待機児童問題に直面。ブログ上で同じ悩みを持つ母親たちの声を集めて行政に提言する「港区ママの会」を発足。2011年から港区議会議員を4期13年務め、2024年に港区長に就任した。

港区民という共通点から話が盛り上がる
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