
「昨年の2月に私が大腸がんの手術をした後、弟と一緒に大分に帰ってきて、顔を見せてくれました。それが娘に会った最後です。9月10日はお仕事で長崎に出かけていて、帰り際に『ちょっと具合が悪い』と話していたそうです。そのまま東京に帰って、13日の明け方に病院に運び込まれたときには、もう……。私も詳しいことはまだわからないのですが、そう聞いています」
こう話すのは、歌手の松原のぶえさん(享年65)の母・シゲ子さん(85才)だ。『NHK紅白歌合戦』に7回出場するなど、演歌歌手として活躍した松原さんが、都内の病院で亡くなったのは9月13日のことだった。
「午前3時頃に119番通報があり、品川区の自宅マンションから救急車で搬送されました。その時点でかなり厳しい状態で、午前5時半頃に死亡が確認されています。病死だったそうです」(消防関係者)
『おんなの出船』『演歌みち』などのヒット曲で知られる松原さんがデビューしたのは1979年。艶のある伸びやかな歌声と愛くるしい笑顔は当時、“演歌の新星”と脚光を浴びた。
「中学生のとき、北島音楽事務所にスカウトされ、デビュー曲『おんなの出船』で日本レコード大賞新人賞を受賞。その後も、ヒット曲に恵まれ北島ファミリーの一員として活躍しました。師匠である北島三郎さんは、松原さんの死に『弟子というより、親子同然と思ってきました。また一緒に舞台に立つ約束をしていたのに……』とコメントしています」(芸能関係者)
1985年に紅白に初出場し、トップ歌手の仲間入りを果たすと、私生活でも注目を集めた。

「年上作曲家との熱愛・破局が取り沙汰された後、事務所のマネジャーだった男性と31才で結婚。都内に推定3億円とされる3階建ての豪邸を建て、夫婦で独立しました。しかし、結婚11年目の2003年、夫に多額の借金が発覚。松原さんは記者会見で釈明に追われるなど、苦境にさらされました。離婚が成立した後は、実弟とともに活動し、現在も元夫が残した借金の返済が続いていたそうです」(前出・芸能関係者)
そんな松原さんは、借金だけでなく、病にも苦しんだことで知られている。
「2008年に『慢性腎不全で2つの腎臓が2%ずつしか機能していない』と診断。週3回の透析治療を続ける中で、松原さんは歌手の命である声のハリが失われていくことに危機感を覚えていた。そこに救いの手を差し伸べたのが、事務所の社長である弟さんでした。『まだまだ歌っていきたいでしょう。ぼくの腎臓をひとつあげるから、手術を受けよう』と提案してくれたそうです」(別の芸能関係者)
2009年に生体腎移植を受けると、松原さんの体調は劇的に回復。移植後は、これまで以上に健康に気をつけて、水泳やウオーキングなどの運動にも積極的に取り組んでいた。
コロナ禍を乗り越え、近年も精力的に活動していた松原さん。17日には、生前に収録していた『昭和歌謡パレード』(BSフジ)に、北島三郎の卒寿を祝う出演陣の1人として参加した。
冒頭のシゲ子さんが涙ながらに続ける。
「北島先生と北山たけしさんとのぶえが、一緒にテレビ出演するという宣伝を見て、楽しみにしていたところだったんです。太く短い人生でしたけど、皆さんに支えられて、すごい歌手のかたがたとも肩を並べてここまで来れました。長く歌い続けることができて幸せな人生だったと思います」
最期まで歌を愛し、歌に愛された生涯だった。
※女性セブン2026年10月1・8日号