
数々の優れた文学作品を残し、波瀾万丈に激動の時代を駆け抜けた宇野千代をモデルに描く朝ドラがスタート! 「桜も日本一、錦帯橋も日本一、こんな日本一の故郷を持っている幸せ者が二人とあるだろうか」と希代の作家にいわしめた故郷、秋の岩国を歩こう。岩国市には千代ゆかりの地が数多く点在し、いまもなお、彼女が生きた軌跡を鮮やかに感じることができる。ぜひ秋の散策を楽しんでみて。
錦帯橋
千代が愛した日本を代表する木造橋
日本三名橋のひとつで、清流・錦川に堂々と架かる5連アーチが美しい木造の橋。1673年に岩国領主・吉川広嘉により建てられ、幾度かの流失を経て、その都度強度を増して再建されてきた。長さ約193m、幅約5mで、巻金とカスガイで組み合わせる高度な木組みの技術が素晴らしい。裏側から見ても圧巻!
住所:岩国市岩国1
秋の遊覧船 もみじ舟
錦帯橋と紅葉の競演を水上から堪能できる

錦帯橋は四季によって異なる姿を見せ、秋は紅葉が美しく、その時季は「もみじ舟」が運航する(11/1~11/30の土日祝と紅葉期の平日。春は「さくら舟」を運航)。錦川は透明度が高く、泳いでいる魚が見えるほど。千代の小説『水西書院の娘』には錦川の鵜飼舟が出てくる場面も。
住所:岩国市岩国1(乗り場)
宇野千代生家
厳格な父のもとで波乱の幼少期を過ごした千代の原点を辿る旅へ

錦帯橋から徒歩約20分、旧山陽道沿いにたたずむ明治時代の町家が千代の生まれ育った場所。朽ちゆく実家を再建したいと、千代自身によって1974(昭和49)年にほぼ当時のままに修復された。晩年に岩国を訪れた際は、生家で寝泊まりし、執筆していたという。約300坪の敷地にある千代こだわりの日本庭園も素晴らしく、春は桜、夏は苔、秋は紅葉で彩られる。
住所:岩国市川西2-9-35



岩国学校教育資料館
藩校の歴史をくむ千代が通った小学校

1871(明治4)年に、岩国藩主・吉川経健が藩の青少年を育成するために開校。後に岩国尋常小学校となり、千代も通っていた。ほかにも、小説家の国木田独歩や日本のエジソンと称される東芝の創業者のひとり・藤岡市助など、近代日本の礎となった人物を多く輩出している。現在は当時の貴重な教育資料などを多数展示。
住所:岩国市岩国3-1-8
教蓮寺
最期は故郷に帰りたい…岩国の菩提寺に眠る

生家から徒歩5分の場所にある宇野家の菩提寺。千代の墓は東京に用意してあったが、やはり故郷の岩国に帰りたいとの願いで、教蓮寺(浄土真宗)に墓が建てられたそう。千代の命日の6月10日に「薄桜忌」の法要を行っている。
住所:岩国市川西2-1-10

紅葉谷公園
紅葉の名所にたたずむおはん文学碑

かつては「寺谷」と呼ばれた、寺院が集まっていた場所を公園化し、紅葉の名所として親しまれている。公園内に千代の代表作である『おはん』の文学碑があり、臥竜橋の上で主人公の男と元妻・おはんが再会する冒頭の一説が刻まれている。
住所:岩国市横山1-10-2


1897(明治30)年に山口県玖珂郡横山村(現岩国市)に生まれる。作家、編集者、着物デザイナーとして幅広く活躍。代表作に『おはん』『色ざんげ』など著書多数。野間文芸賞、女流文学者賞、日本藝術院賞などを受賞。1996(平成8)年、98才で逝去。
宇野千代のここがスゴイ!
恋して、おしゃれして…98才まで生涯現役!激動の時代を楽しく、自由に、幸福に生き抜いた
4度の恋と別れ…いつでもまっすぐ愛に生きた

22才でいとこの藤村忠と結婚したが、処女作『脂粉の顔』が時事新報の懸賞小説で1等になり、作家の道へ。文士の尾崎士郎と熱烈な恋に落ち結婚するが、梶井基次郎との噂が広まり破局。その後、画家の東郷青児(上写真)、作家の北原武夫と生涯で4度の恋と別れを繰り返した。
いち早く断髪したモダンガール第1号

川端康成、萩原朔太郎など名だたる文士が集う東京・馬込で尾崎士郎と暮らしていた頃(下写真)、いち早く当時流行りの断髪にし、最先端のモダンガールだった。川端や萩原の妻も千代の真似をして髪を切ったそう。
『スタイル』創刊で大ヒット!着物デザイナーとして世界的に活躍


1936(昭和11)年に日本初の女性ファッション誌『スタイル』を創刊。戦中の休刊を経て、戦後に復刊すると爆発的大ヒットに。その後、倒産して莫大な借金の返済に追われる。またアメリカで着物ショーを開催するなど、着物デザイナーとしての才能も発揮。
生涯現役を貫き98才まで書き続けた
90代になっても「書くことが楽しくてたまらない、書かずにはいられない」と語り、98才で生涯を閉じるまで精力的に書き続けた。

撮影/田中宏幸、小彼英一 取材・文/岸 綾香 写真提供/株式会社宇野千代
※女性セブン2026年10月15日号