宮内庁が皇后雅子さま(当時は皇太子妃)が適応障害であることを発表してから20年――。2004年7月の発表後は、精神科医の大野裕医師が主治医として治療に当たり、長い療養生活を続けられ、公務もお休みになることが多かった。しかし、近年は天皇陛下とおふたりで海外や全国各地を精力的に回られている。そこで20年前の発表からご快復傾向にある現在までのご様子を振り返る。
適応障害の発表前、「雅子の人格を否定するような動きがあった」
愛子さまを出産された翌年の2002年12月、ニュージーランドとオーストラリアを訪問された天皇皇后両陛下(当時は皇太子夫妻)。このときのご訪問は1995年の中東訪問以来、約8年ぶりの海外親善訪問だった。
訪問前の記者会見で、雅子さまはニュージーランドとオーストラリアへのご訪問に対し、感謝の気持ちを述べられると共に、妊娠と出産の2年間をのぞいた6年間について、心境を語られた。
「結婚以前の生活では私の育ってくる過程、そしてまた結婚前の生活の上でも、外国に参りますことが、頻繁にございまして、そういったことが私の生活の一部となっておりましたことから、6年間の間、外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は、正直申しまして私自身その状況に適応することになかなか大きな努力が要ったということがございます」
雅子さまは幼少期を海外で過ごし、結婚前は外交官として活躍されてきた。海外に縁がある雅子さまにとって、外国に訪問ができなかった期間の苦悩が、会見のお言葉から伝わる。また、2004年5月の記者会見で天皇陛下(当時は皇太子)は、当時の雅子さまのご様子を述べられた。
「雅子にはこの10年、自分を一生懸命、皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、私が見るところ、そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。
最近は公務を休ませていただき、以前、公務と育児を両立させようとして苦労していたころには子供にしてあげられなかったようなことを、最近はしてあげることに、そういったことを励みに日々を過ごしております。そういう意味で、少しずつ自信を取り戻しつつあるようにも見えますけれども、公務復帰に当たって必要な本来の充実した気力と体力を取り戻すためには、今後、いろいろな方策や工夫が必要であると思われ、公務復帰までには、当初考えられていたよりは多く時間が掛かるかもしれません。
早く本来の元気な自分自身を取り戻すことができるよう、周囲の理解も得ながら、私としてもでき得る限りの協力とサポートをしていきたいと思っています」
「人格を否定するような動きがあった」という世間を驚かせた記者会見から約2か月後、宮内庁は雅子さまが適応障害であることを発表した。
オランダ王室の招待で夏休み、そして11年ぶりの公式訪問へ
療養生活を送られていた雅子さまを励ましたのが外国の王室だった。オランダのベアトリックス女王(当時)から招待があり、ご一家は2006年8月17日から8月31日までオランダに滞在された。
この時のご静養について、天皇陛下は2007年2月の記者会見で「オランダ行きは、私たちにとって、オランダ王室の方々と交流でき、また、有意義な体験でした。また、雅子の治療にとっても有益であったと思いますし、愛子にとっても様々な新しい経験をすることができ、良かったと思っています」と述べられた。
オランダ王室がご一家に声をかけたのは、このときだけではない。7年後の2013年4月30日、オランダ国王の即位式へ出席された天皇皇后両陛下。同年6月に行われた記者会見で天皇陛下は、オランダ王室から雅子さまのご体調への配慮もあったことを明かしている。
「オランダ王室からは、雅子の出席について、即位式とそれに続くレセプションという中心行事に出席していただければ、そのほかの行事についてはご無理いただかなくても結構ですとのご配慮を頂いたことは大変有り難いことでした」
また、雅子さまの約11年ぶりの外国への公式訪問について「かなり長いこと外国を公式に訪れていなかった雅子にとっては、大きな決断であり、大きな一歩でしたが、この行事に臨むことが新たな一歩を踏み出す一つの契機になるのではないかと思い、雅子の体力的な点を含めて、お医者様とも相談の上で決まりました」と述べられた。
マキシマ王妃からの電話での招待が、療養生活を送っていた雅子さまの出席を後押ししたと報道された。現在、雅子さまが公務に出席される機会が増えているのは、オランダ王室との“絆”が大きな一歩として影響を与えたのかもしれない。