1985年に全日本選手権初優勝を飾り、そこから8連覇を達成。1992年のアルベールビル五輪では銀メダルを獲得したフィギュアスケート界のレジェンド・伊藤みどりさん(54才)は、今もスケートに携わっている。浅田真央や宇野昌磨を育て上げた名伯楽、山田満知子コーチ(81才)に見出され、トリプルアクセルで世界を魅了した彼女。しかし、スケート人生は喜びばかりではなかった。【全3回の第2回。第1回を読む】
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スタイルがよくもなければ、美しくもない
伊藤さんが心血を注いだトリプルアクセルは、全6種類あるジャンプのなかで、唯一前向きで踏み切り、そのまま空中で回転し、後ろ向きに着氷する。ほかのジャンプより半回転多く回る必要があるため、難易度が高いとされる。
2022年の北京五輪では羽生結弦さん(29才)が4回転アクセル(4回転半)を跳び、世界で初めてISU(国際スケート連盟)から認定された。一方で、伊藤さんがトリプルアクセルを跳ぶまで、女子のフィギュアスケーターにおいてジャンプは重要視されていなかった。
「昔は、フィギュアは“美しい方がよろしゅうございます”という時代でした」
と彼女は当時を振り返る。どんなに多くの3回転ジャンプを決めても、外国人選手より評価が低いことに対するやり場のない葛藤が、トリプルアクセルへの道を開いた。
「私は、外国人選手みたいにスタイルがよくもなければ美しくもないので、同じことを追求しても勝てない。じゃあ自分の得意なものは何かといえばジャンプだった。当時は男子でも数人しか跳べないトリプルアクセルを世界の舞台で決めて、みんなに見てもらいたいという思いが強かったですね」(伊藤さん・以下同)
外国人選手のビデオを繰り返し見てジャンプの軌道を頭に叩き込み、何度も転倒した末に習得したトリプルアクセルは、伊藤さんの唯一無二の武器となった。
だがそれは諸刃の剣でもあった。フィギュアスケートの4分間の演技は体力消耗の激しい競技だ。加えてトリプルアクセルは着地の瞬間に体重の3〜5倍の力が片足にかかるとされる。現役時代、体重45kgだった伊藤さんは最大225kgもの重力を片足で受け止めていたのだ。
「いまは1人のアスリートをトレーナーや栄養士が複数でサポートするけど、当時は体のケアは選手任せ。忍耐や努力で乗り切れと言われた時代でした。実際に何度も骨折をしたし、腰や膝、足首にはいまもひどい後遺症が残っています」
現役引退後もアイスショーへの出演を続けたが、32才の頃、ついに代名詞であるトリプルアクセルが跳べなくなった。時を同じくして、伊藤さんは華やかなショーの世界からひっそりと身を引いた。
「トリプルアクセルを跳べない私が滑る意味があるのか」──自問自答する日々が続いた。それからおよそ10年。荒川静香さんや浅田真央さんの活躍で盛り上がるフィギュアスケート界を一歩離れた場所から見ていた伊藤さんは、長い沈黙を破って、2011年の「国際アダルト競技会」への出場を表明する。2009年にアイスショーに復帰したことはあったが、ISU公認大会への出場は、実に15年ぶりだ。
当時41才の彼女がめざしたのは楽しく滑ること。そして、自分にとって何よりも大切な、そして観客も大いに期待を寄せる、アクセルジャンプを決めることだった。トリプルアクセルが跳べないなかで、ダブルアクセル(2回転半)を跳ぶことにこだわった。伊藤さんと親交が深いスポーツライターの野口美惠さんが語る。
「年を重ね、現役時代と同様の技術力は見せられないなか、みどりさんはダブルアクセルを自分の象徴のように考え、新たな生きがいにしていました。アクセルは彼女にとって非常に重要なジャンプですから」
「50才でダブルアクセルを跳ぶこと」を目標に
迎えた国際アダルト競技会(2011年)の本番、伊藤さんは見事にダブルアクセルを跳んでみせた。現役時代を彷彿とさせる、きれいな放物線を描く、高く跳び上がるジャンプだった。
フィニッシュポーズを取ると、「あぁ、気持ちよかった!」、そうつぶやいた。結果は2位。それでも、ダブルアクセルを決め、「滑る楽しさ」を存分に味わった伊藤さんの顔は、充足感でいっぱいだった。続く2012年にアダルト競技会で初優勝を飾ると、それ以降も見事なダブルアクセルを跳び続けた。
「大会には、80代でアクセルジャンプに挑戦するスケーターもいます。体がちょっとふくよかでも、何才でも、着たい衣装を着て、やりたい表現をする。それを見て『フィギュアスケートってなんて奥深いスポーツなんだろう』って思ったんです」(伊藤さん)
勢いに乗った伊藤さんは「50才でダブルアクセルを跳ぶこと」を目標にした。そのためには、49才で迎える2019年の競技会での成功が必須。そう考えた伊藤さんは、これまでにないほど入念に準備を重ねた。
半年かけて、体重を絞り、陸上トレーニングで筋肉をつけた。かつて「練習嫌い」を自称していたとは思えないほど練習に打ち込んだ。それでも、1年前までは普通に成功していたダブルアクセルが、どうしても決められなかった。
必死で調整を重ねたものの、本番では序盤で失敗。アルベールビル五輪のときのように演技後半でもう一度アクセルに挑むも、やはり失敗してしまう。演技後、伊藤さんは両手で顔を覆った。
「練習のときから跳べないからいつもイライラして、苦しそうでした。いつの間にか、楽しく滑ることを忘れてしまい、『跳べなかったらおしまいだ』という選手時代の気持ちに戻ってしまい、彼女の心がポキッと折れてしまったようでした」(野口さん)
これまで、試合で「跳びたい」と思ったアクセルを跳べなかったことは一度もなかった。それだけにショックは大きかった。
「もうドイツには行かない」──失意の底で伊藤さんは帰国した。
(第3回へ続く。第1回を読む)
※女性セブン2024年8月8・15日号