桐衣朝子さん、61才で作家デビューしたきっかけは乳がん闘病 死を意識した手術後の病室で執筆始める「“人生は虚しくない”と自分自身を説得するものを書こうと」
28才で結婚し専業主婦として2人の娘を育て、46才で大学に入学、61才で作家デビューした桐衣朝子さん(63才)。7月には新刊『赤パンラプソディ』(小学館)を出版した。年齢にとらわれないチャレンジングな生き方は、私たちに勇気と希望を与えるが、「小説家になるとは夢にも思っていなかった」と語る。人生の荒波を乗り越え、自分らしい生き方を手に入れた秘訣とは? 小説家デビューのきっかけや書く理由についてうかがった。【前編後編の前編を読む】
乳がんを患い、死を意識したことが小説を書くきっかけに
「娘たちには夢を叶えるために頑張ることが大事だと言いながら、自分は10代で夢をあきらめていた」と話す桐衣さんだが、一念発起し46才で念願の大学生に。チャレンジはそこで終わらず、小説家という華々しい肩書きも手に入れた。
「小説家を目指したことはなかったのですが、もともと文章を書くことが好きだったので大学や大学院で論文を書くのが楽しかったんです。私はサービス精神が旺盛なので、論文に面白いネタやオチを盛り込んじゃう。そしたら、教授に『あなたの論文は小説っぽいね』と言われ、その言葉で楽しいものを書きたいという熱が高まりました」(桐衣さん・以下同)
実際に小説を書き始めたきっかけは、生まれて初めて行った乳がん検診でがんが見つかったこと。
「59才のときでした。医師から『良性である可能性は限りなくゼロです』と言われ、すごくショックを受けました。死ぬかもしれないと思ったときに、この恐怖や孤独な気持ちを文章にして、同じ境遇の人たちに『あなたは一人じゃない』といつか伝えたいと思ったんです。
書き始めたのは、手術後の病室。ネタのストックも何もなかったのですが、『書こう』と思い立って、娘にペンとノートを持ってきてもらいました。
振り返ってみると、死を意識したときに、『人生はなんて虚しいんだろう。頑張って子育てしたことや勉強したことが、死んでしまったら全て消えてしまう』と思ったんです。反面、そうじゃないと思っている自分もいて。『人生は虚しい』という自分を『虚しくない』と説得するものを書こうという感じでした」
病室で書き始めた小説がきっかけで小説家デビュー
病気療養中に書いた作品『薔薇とビスケット』が小学館文庫小説賞を受賞し、小説家としてデビュー。
「応募したことも忘れていたら、出版社から電話がきて。絶対に詐欺だと思いました(笑い)。それから編集長と担当の方にお会いして初めて、本当なんだと。
私はあまり考えずにパッと行動するタイプでよく失敗もするんですが、行動しなければ何も変わらない。だから、思いついたら思い切ってやってみる。そうすると運命って変わりますよね」
その年齢でなければわからないことがある。すべての経験が財産
持ち前の好奇心や思い立ったら行動する性格で、次々に新しい扉を開きてきた桐衣さんだが、「年齢を重ねたからこそできることがある」と話す。
「私は46才で大学に入って特待生になりましたが、10代や20代だったら特待生にはなれなかったと思います。40代だったから特待生になれたし、60才だったから小説も書けた。
若いから可能性があるとばかりは言えなくて、年齢を重ねないとわかないこともたくさんある。経験してきたことが財産になると思うんですよ」
その言葉の通り、これまでの経験は作品に生かされている。小説『僕は人を殺したかもしれないが、それでも君のために描く』では、自身が患った強迫性障害を抱える男性が主人公。7月30日に発売された最新刊『赤パンラプソディ』は自身の人生や家族をモチーフにした小説だ。
「うちは私が作家で、娘ふたりは漫画家というちょっと変わった家族。『赤パンラプソディ』はフィクションではありますが、私や娘たちが普段大事にしている思いや悩み、葛藤を描いたほうが共感してもらえるのかなと思いました。
私もこれまでにたくさんの小説やエッセイで癒しをもらってきたので、私の小説で誰かが笑ってくれたり、慰められたりしてくれたらいいなと思いながら書いています」
ネタを書き留めて、90才で作品を発表するのが目標
最後に、これからの目標について伺った。
「私は佐藤愛子さんや瀬戸内寂聴さんといった先輩方に、作品を通してその年齢だからわかることをたくさん教えていただきました。ですから、自分が90才になった時に60代や70代のかたのお手本とまではいきませんが、少しでも参考になるものが書けたらいいなと思っているんです。
それまでネタをしっかりと書き留めておいて、90才で発表したいです(笑い)」
◆桐衣朝子さん
きりえ・あさこ。1951年大阪府生まれ。福岡県在住。福岡市の高校を卒業後、歯科衛生士などを経て28才で結婚。専業主婦となり2人の娘を育てる。46才で社会人入試で福岡大学入学、52才で九州大学大学院に進学。59才のときに乳がんが発覚したことをきっかけに小説家を目指す。第13回小学館文庫小説賞受賞し、61才で受賞作『薔薇とビスケット』(小学館)で作家デビュー。著書に、実の娘で漫画家のキリエ原作の『4分間のマリーゴールド』ノベライズ、『僕は人を殺したかもしれないが、それでも君のために描く』があり、最新刊『赤パンラプソディ』が7月30日に発売。
撮影/眞板由起 取材・文/青山貴子