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【骨になるまで・日本の火葬秘史】火葬大国・日本の「骨へのこだわり」は失われつつある

桜の木を墓標とする「桜葬」は、ひとりの女性が墓の持つ理不尽さに直面したことから始まった
桜の木を墓標とする「桜葬」は、ひとりの女性が墓の持つ理不尽さに直面したことから始まった
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【女性セブン連載『骨になるまで 日本火葬秘史』第9回】
火葬率が99.9%である日本において、火葬場運営は公共インフラであると同時に莫大な利益を生むビジネスでもある。一方で世界に目を向けても、宗教観にひもづいた土葬が主流の時代が長く続いていたが、多死社会の到来とともに火葬の重要性が急速に増している。ジャーナリストの伊藤博敏氏がリポートする。

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親族や知人が墓地に集まって神父と共に祈りの言葉を捧げ、花を添えた立派な棺を土の中に安置する―ハリウッド映画や海外ドラマで描写される弔いは多くが土葬だ。国民の約7割がキリスト教徒のアメリカでは、死者の魂は「最後の審判」を経て肉体に戻り復活するとされており、そうした宗教観から土葬が選択されてきた。

しかし近年、そのアメリカの風習は急速に変わりつつある。2010年時点では土葬される人が年間約130万人、火葬が約100万人だったが、2015年に逆転し、2023年には火葬率は約60%、約190万人に達している。

日本の火葬の伝統は「きれいに焼いて骨を残す」

その背景には、無宗教の人や、キリスト教徒であっても教会に通わない人が増えるなど宗教意識の変化と、葬儀にお金をかけたくない、あるいはかけられない層の増大がある。昨年9月、ラスベガスで全米葬儀業界の展示会や同市の最も古い葬儀社「Palm Mortuary」が運営する火葬場などを視察した村田ますみ・日本葬送文化学会副会長が印象を語る。

「現地の火葬施設は撮影も家族の立ち会いも禁止です。4基並べられた火葬炉で焼却された遺骨はすぐに施設内の粉骨室でパウダー状にされ、ビニール袋に包まれて依頼元の葬祭ホールに送られます。そこで骨壺に入れられ、家族に渡されるというシステムでした。

驚いたのは、燃焼効率がいいからという理由で段ボールでできた棺を使っていたこと。木製よりも安く、約200ドルです。火葬率の上昇で葬儀単価も下がり、Palm社の最も安いDirect Cremation(直葬)は2600ドルでした」

伝統的な土葬は7000ドルを超すことを考えれば、破格だろう。

火葬が増加傾向にあるのはアメリカだけではない。英火葬協会発表(2021年)の国別火葬率は、日本の99.9%を筆頭に台湾(93.7%)、香港(93.3%)と続く。驚くべきは韓国の伸び率だ。1991年時点では土葬中心で火葬率は約18%だったが、火葬を進める法改正などで2005年に50%を超え、現在は90.6%に達している。

また、この調査では中国の数字は公開されていないものの、中国民生省は2021年末時点で国内の火葬率は59%と発表している。

アメリカ以外のキリスト教圏もデンマークの85.7%を筆頭に、チェコ(84.6%)、スロベニア(84.5%)、スウェーデン(84.3%)、スイス(80.3%)と続き、イギリスが79.8%、カナダが74.8%、ドイツが73%と軒並み高い火葬率を誇る。

とはいえ技術力は各国でばらつきがある。火葬大国である日本の技術は群を抜いて高く、とりわけ火葬炉の性能は突出している。

現在日本で用いられている火葬炉は、金属棒を張り巡らせた格子の上に棺を乗せる「ロストル式」と、主燃料炉に棺を乗せた台車を運び、バーナーで台車ごと燃焼する「台車式」の2種類だ。遺骨が原形のまま残る台車式を採用する火葬場が一般的だが、都市部ではロストル式も多い。実際、都内6か所に火葬場を持つ東京博善はすべてロストル式だ。同社の木場雅仁・執行役員業務本部長が桐ヶ谷斎場の炉前で説明する。

「台車式よりも焼却時間が短く効率的に火葬できるロストル式は、人口が多く葬儀をする回数の多い都市向きだといえます。実際、ロストル式を使えば、遺族のかたは長くても1時間以内にはご火葬とご拾骨をすべて終え、お帰りになることができる。台車式に比べて操作が難しい面もありますが、職員たちは問題なくこなしており、ご拾骨の際のご説明もしっかりやっています」

桐ヶ谷斎場のロストル炉。短時間で効率のいい火葬が叶う
桐ヶ谷斎場のロストル炉。短時間で効率のいい火葬が叶う
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いずれにしろ「きれいに焼いて骨を残す」というのが日本の伝統だ。職員は会葬者に骨の状態を説明し、喉仏など重要なパーツを示して、会葬者の箸渡し(箸で遺骨を骨壺に納める)を手伝った後、骨壺の蓋をして喪家に渡す。

実は、この「拾骨」というシステムは日本独自のもので、海外では粉骨してパウダー状にするのが一般的だ。明治後期以降に火葬が弔いの主流になるに従い、普及したとされている。墓石に「○△家」と刻印された「家墓」が増加した時期と時を同じくする。

そうした日本古来の「骨へのこだわり」のもと発展を遂げてきた弔い文化だが、近年は衰退の兆しを見せている。墓の形態が、建物の中で遺骨を保管する「納骨堂」、花や木を墓碑とする「樹木葬」、複数の遺骨を同じ土中に埋葬する「合葬墓」、海などに骨を撒く「散骨」などと多様化しており、遺骨を骨壺に納めてカロート(安置スペース)に収納する「一般墓」は確実に減っている。

変化の胎動を伝えるのは、終活サービスを提供する鎌倉新書が行った「第14回お墓の消費者全国実態調査」で、同調査によれば2022年に購入された墓地の中で樹木葬の購入者が過半数を突破して51.8%となっている。納骨堂は20.2%、一般墓は19.1%に留まった。2015年の調査では永代供養・納骨堂・樹木葬すべて合わせて15%。10年足らずで割合が逆転したことになる。中堅葬儀業者は「この結果には大きなインパクトがあった」と率直な感想を漏らす。

「墓石を立てて戒名を刻む一般墓の時代は終わったと思いました。平均購入価格は一般墓が約150万円で納骨堂は77万円。樹木葬は67万円。ショッキングだったのは値段だけでなく、『継承者不要』のお墓を選んだ人が約41%いたうえに、翌年の調査ではさらにはね上がって約64%に達したこと。お墓は、引き継ぎたくないし、引き継がせたくもない存在になりました」

樹木葬の需要増加はいまの社会そのもの

樹木葬が日本で最初に行われたのは平成11(1999)年。岩手県一関市の千坂嵃峰・祥雲寺住職が祥雲寺子院の知勝院で実験的に始めたものだった。地域の自然を守る活動を続けてきた千坂が里山への散骨という形で弔いを実践したいと考えたことがきっかけだ。

遺骨は墓地埋葬法によって墓地に埋葬することが義務づけられているため、初期の樹木葬は県から墓域として指定を受けた山に穴を掘り、遺骨を直接収納して土を埋め戻し、その上に苗木を植樹するというものだった。千坂にとっては自然再生事業の一環だったが、全国の墓地関係者は「宗派不問」「継承者不要」の自由度に注目した。

マスコミも「新しいお墓の形」として報じたことでたちまち人気となり、千坂が「樹木葬」を商標登録しなかったので、実にさまざまに発展していった。平地を造成し、苗木を植えて樹林を形成する樹林型、桜などの樹木の周りを共同墓として利用するシンボルツリー型、芝生に植え込みや花壇を作って遺骨を収納するガーデニング型…。収納の形態も個人や家族単位、多くの人を一緒に納める合葬墓形式などさまざまで、価格の幅も広い。

都立小平霊園内に整備されている樹林墓地は、2016年度に1600人分の募集に対して10倍の申込みがあって話題となった。コブシやネムノキなどが植えられた芝生の地下に遺骨を埋葬するための「共同埋葬施設」が27箇所設けられ、1つにつき400柱(遺骨の単位)を納めることができる。

NHKの人気番組『ドキュメント72時間』では、「桜の下のあなたへ」というタイトルで桜の木に特化した「桜葬墓地」が紹介され視聴者投票で放映された2019年のベスト4に選ばれている。

その「桜葬」を企画したのはNPO法人「エンディングセンター」の井上治代理事長。井上は「墓の変化」を主導してきた第一人者である。きっかけは1981年、井上の母親が62才で亡くなり墓の持つ理不尽さに直面したことだ。

「母のために新たにお墓をつくることになったんですが、うちの家族は両親と姉と私の4人家族で、当時すでに姉も私も結婚して夫側の姓に変わっていた。すると私と姉はゆくゆくは夫側の墓に入ることになり、両親は『無縁仏』になるというんです。終戦後の法改正で『家制度』は崩壊しているのに慣習として残り、結婚して改姓した娘は墓を継ぎにくい。『このままだと将来、たいへんなことになるぞ』と思い、調べ始めました」

その過程で出会ったのが、1989年に新潟で「安穏廟」という継承者を必要としない永代供養墓をつくった妙光寺の小川英爾住職だった。井上は自身と同様、墓の継承問題に悩んでいる人にその存在を知らせる意味もあり1990年に「21世紀の結縁と墓を考える会」を発足させる。以降、参加者の関心が葬式にも向けられるようになったため、「21世紀の結縁と葬送を考える会」に改めた。

その後1999年に祥雲寺が「樹木葬」を始めると千坂住職の趣旨に賛同し、広報活動や東京での事務活動を手伝うようになる。21世紀になると「考える会」を「実践の会」にすべく「エンディングセンター」に改め、桜の木を墓標にした「桜葬」を始めるに至った。

桜葬墓地は東京(町田市)と大阪(高槻市)の霊園を借りる形で運営され、継承者不要、宗教不問、永続使用だ。活動を始めて34年が経過し、井上は「樹木葬50%超え」を感慨深く聞きつつ、当然の結果と受け止めてもいた。

「私は墓地を取り巻く問題の歪みを訴え続けてきましたし、それは修正されるべきことでした。『樹木葬は誰が買うんですか』とよく聞かれますが私は『いまの社会そのものです』とお答えしています」

大勢の遺骨の粉を固めて作った「お骨佛(こつぼとけ)」

継承不要の「安穏廟」が井上との連帯などで知られるようになった頃、朝日新聞記者だった安田睦彦が「死者の弔いはもっと自由であるべきだ」という考えのもと、退職後の’91年、「葬送の自由をすすめる会」を立ち上げた。会は同年10月、神奈川県沖の相模灘で初めての海洋散骨を行ったが、墓地埋葬法は霊園など決められた区域で埋葬することを定めており、散骨は「法の想定外」という扱いだった。つまり法務省は「節度をもって行われる限り違法ではない」という見解を示したのだ。半ば“お墨付き”を得て、海洋散骨に踏み切る人が増えた。前述の村田ますみもそのひとりである。

「2003年に亡くなった母が『遺骨は海に撒いて欲しい』と私に託しました。ダイビングで訪れた沖縄の伊江島がいいと。手探りで海洋散骨を終えました」

村田はその後、一隻の船を購入して海洋散骨の会社を立ち上げる。設立当時は海洋散骨をビジネス展開する会社は珍しく、認知度も低かったが、2011年の東日本大震災がひとつの転機になったという。

「津波に襲われ、お墓が流されていく映像もありました。それを見て『命を含めて永続するものはない』と無常観を感じた方は多いと思います。もうひとつ印象に残ったのは僧侶が海に向かって読経する姿。海もお墓だととらえ、祈ってもいいのではないか。私自身もそう考えるようになりました」

樹木葬と散骨の共通点は墓とともに骨へのこだわりも捨てるという点だ。海洋散骨の業界団体は自主ルールで「2㎜以下」という散骨の際の粉骨サイズを設けており、樹木葬においても容積が少なく土に混じりやすい粉骨が推され、合葬墓などでの値段も安くなる。

長らく「拾骨」を主としてきた日本の葬送文化だが、その陰で現代に通じる粉骨もまた、独自の発展を遂げてきた。それを示す例が大阪にある。納骨された膨大な遺骨を粉骨の上、セメントで固めた「お骨佛」(高さ1.5mほどの阿弥陀如来座像)を製作する一心寺である。江戸時代末期に年中無休で施餓鬼供養が始まり、納骨に訪れる人が後を絶たなかった。そのお骨を丁寧に祀るために「お骨佛」の造立が発願され、明治20(1887)年に一体目が開眼した。以来戦前に6体、戦後は10年ごとに造立、開眼されており、2017年に開眼した「お骨佛」には約22万柱の遺骨が使われた。

天王寺駅から徒歩15分の一心寺には、現在も早朝から遺骨の入った3寸(約10㎝)壺を抱えた人が、受付の前に列をつくって順番を待っている。納骨冥加料は2万から5万円。境内の参拝者は午後4時の閉門まで途切れることがなく、「お骨佛」は灯屋のロウソクに照らされ、線香の香りが満ちている。参拝に訪れた遺族たちは「ここなら寂しゅうないわ」と口々に語る。

墓石を買わずに樹木葬や納骨堂を選ぶ人が多数派となった
墓石を買わずに樹木葬や納骨堂を選ぶ人が多数派となった(写真/PIXTA)
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墓石を買わずに樹木葬や納骨堂を選ぶ人が多数派となった
樹木葬(写真/PIXTA)
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少子高齢化の進行、核家族化、生涯独身の増加など「家族の在り方」とともにその送り方も多様化している。「おひとりさま」も増え、年間の孤独死が約7万人、無縁遺骨が6万柱に達するなか、人の尊厳を失わせない弔いは誰の手に委ねられるのか――。

【プロフィール】
伊藤博敏(いとう・ひろとし)/ジャーナリスト 1955年、福岡県生まれ。編集プロダクション勤務を経て、1984年よりフリーに。経済事件をはじめとしたノンフィクション分野における圧倒的な取材力に定評がある。『黒幕 巨大企業とマスコミがすがった「裏社会の案内人」』(小学館)、『同和のドン 上田藤兵衞 「人権」と「暴力」の戦後史』(講談社)など著書多数。

(文中敬称略)

※女性セブン2024年9月12日号

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