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【骨になるまで・日本の火葬秘史】無縁のまま生きて、無縁のまま死ぬ社会はおかしい

横須賀市役所の一室に納められた、引き取り手のない「無縁遺骨」
横須賀市役所の一室に納められた、引き取り手のない「無縁遺骨」
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【女性セブン連載『骨になるまで 日本火葬秘史』第10回
】焼かれた骨を「拾う人」がいなくなりつつある。高齢社会の到来は家族や近隣とのコミュニケーションの希薄化と、その先の「孤独死」を生んだ。誰もが「おひとりさま」になりうる時代、孤独に旅立った人は誰がどう弔い、どこに眠ることになるのか――。ジャーナリストの伊藤博敏氏がリポートする。

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弔ってくれる人のいない「無縁遺骨」が急増している。2021年10月末時点で、誰にも引き取られることなく市区町村が納骨堂や倉庫などに保管している遺骨は5万9848柱(柱は遺骨の数え方)に達し、当時のニュースでも「無縁遺骨6万柱」と報じられて話題となった。

その最大の原因は孤独死の急増だ。核家族化が進み、離婚や死別により身寄りのないひとり暮らしの高齢者が増え、自宅で亡くなるほか、行き倒れた先で命を落とし、身元がわからないケースも増えた。

政府は、警察が把握する65才以上の高齢者の孤独死が推定で年間約6万8000人に達すると公表。その実態の一端がこの5月の衆院決算行政監視委員会の分科会で明らかにされ、武見敬三厚生労働相は「孤独死の確率はこれから確実に高まる」と答弁した。事態を重くみた内閣府は今年4月、孤独・孤立対策推進法を施行した。

誰もが孤独に死んで「無縁遺骨」となる可能性をはらむ時代が到来したわけだが、その亡骸を、責任と熱意を持って弔おうとする人たちがいる――。

「無縁」は必ずしも孤独の果てではない

もし、あなたが“おひとりさま”で最期を迎えたとしても、国が準備した3つのセーフティーネットによって遺体も遺骨も放置はされない。

1つ目は「生活保護法」による保障だ。たとえ生活が困窮し、葬儀費用を準備できなかったとしても、すべての国民は、遺体の運搬から火葬、埋葬、納骨までを「葬祭扶助」によって担保されている。また「行旅死亡人」、つまり行き倒れて身元不明のまま亡くなった人は、「行旅病人及行旅死亡人取扱法」によって、行政が遺体を埋葬ないし火葬することが義務づけられている。加えて遺体の埋葬や火葬をする者がいないときや判明しない際は、「墓地埋葬法」で死亡地の市町村長がこれを行うと定められている。

安全策が張り巡らされた現代の日本において、無縁化はしがらみからの脱却でもある。

かつて冠婚葬祭は家族と地域で完結した。葬式になれば町内会が総出で喪家に集まり準備にあたるのが当たり前だった。しかし、自宅よりも病院や施設で亡くなる割合が高くなると、葬儀社が斎場で葬儀を仕切るようになった。経済成長期になると、企業が主導して行う「社葬」が増えていく。葬儀は会葬者の数を競うようになり、地域が担っていた役割が会社に移行する形となった。それが1990年代後半以降は景気の低迷に伴い、個人の家族や親族のみの少人数で営まれる「家族葬」が増え、コロナ禍がそれに拍車をかけた。

地縁と社縁の薄まりは、「個」を大事にする時代に連動する。個人のプライバシーが尊重され、企業にあってはコンプライアンス(法令遵守)が確立され、2019年にはパワハラやセクハラを厳しく禁じる「パワハラ防止法」が成立した。薄まっているのは血縁も同様で、継承しない墓である樹木葬ブームは、「反りが合わない家族とは一緒の墓に入りたくない」という人が増えたことの表れとも言える。弔いにおける「孤立・無縁」は、自由で縛られない人生を選択した人の終着点でもあるのだ。

生活困窮の果てにせよ、自由を謳歌した果てにせよ、たとえ孤独でも人生の最期は、本人の意思を尊重した弔いであるべきだろう。

「洗濯物だと思ったら遺体」リアルな孤独死は悲惨

米ドラマ『SHOGUN 将軍』(1980年)などに出演し、国際派女優として知られた島田陽子が、2022年7月、都内の病院で亡くなった。69才だった。離婚してひとり暮らしだった島田は、政府が警鐘を鳴らす「65才以上の高齢者の孤独死」に該当する。当時、渋谷区役所が親族に連絡したものの遺体の引き取り手はなく、区役所が2週間後、荼毘に付した。「無縁仏」として合葬に移されるところだったが、事務所関係者の手配で都内の墓に納骨された。

生前、遺灰を納めたカプセルをロケットで宇宙空間に散骨する「宇宙葬」を希望していたという島田にとって、家墓の居心地は悪いかも知れない。しかし、引き取り手のない「孤独死」は時として悲惨な状況を引き起こす。

葬儀業歴が40年近い大杉実生・中央セレモニー代表が「リアルな現場」を語る。

「季節や環境によって異なりますが、放置された遺体はだいたい1週間で白いうじが、2週間経つと黒い大きなうじがわきます。それ以上期間が経過すれば、特に夏場はさらに悲惨な状況です。例えば浴室で倒れて2か月が経過した方の場合、洗濯物の山だと思ったら遺体だったこともあった。ほぼ原形を留めていない遺体を、猛烈な臭気のなか遺体袋に入れて運び出したことがあります。臭いが取れないため、畳やふすま、壁紙などすべて取り替えます。仕事とはいえ慣れることができません」

万人が孤独に旅立つ可能性をはらむ中、このような凄惨な状況を生まずに尊厳ある弔いを執り行うために、政府も民間企業もさまざまなサービスを提供している。ただ、民間では病院や賃貸住宅の入居保証や葬儀を含む終活サービスを行う会社はあるが、玉石混淆で、安心できるビジネスに育っておらず、政府は内閣府孤独・孤立対策推進室が「事業者ガイドライン」を作成している段階だ。何より、ビジネスだけで割り切れるものではなく、必要とされるのは弔いの気持ちを大切にする精神性だろう。

東京・台東区の浄土宗光照院には5つの共同墓がある。最初に建てられたのは、新宿周辺で活動するホームレス支援団体から身寄りのない路上生活者のための葬式とお墓の相談を受け、吉水岳彦住職(45才)が2008年に建立した「結の墓」だった。続いて、山谷地区の路上生活者支援のNPO法人、ホスピス団体、訪問看護ステーション、自立支援雑誌「ビッグイシュー」と協力し、4つの合葬墓を次々に建立した。

吉水は「結の墓」をきっかけに、僧侶による生活困窮者支援団体「ひとさじの会」を立ち上げ、事務局長に就いた。同会は山谷、日本堤、上野を中心に活動する数十人のボランティアで、月2回、おにぎりを手渡す炊き出しや夜回り活動を行っている。15年に及ぶ活動のなかで吉水は何を感じたか。

「葬送の場が大切なつながりの場となることを実感しました。お墓は亡くなった人と生きている人間が会える場なんです。自分が時折、本当にしんどくなったり、何か報告したいことがあるとき、必ず墓に行って手を合わせる人がいます。『アイツ、生きていたら何て言うかな』と思いながら。無縁のまま生きて、無縁のまま死ぬ社会はおかしい。やはり、縁や絆は生きているうちも、死んでからもあるべきです。葬送はその縁をつなぎ止めるのですから、15年で5つの合葬墓を建立したように、事例を積み重ねるしかないと思っています」

また吉水は東日本大震災の被災地を支える僧侶のひとりでもある。震災発生から2日後、NPO法人から「お寺さんで支援物資を集めてもらえないでしょうか」と依頼を受け、全国の(浄土)宗派青年会に呼び掛け、米などの支援物資を集めて現地に入り、物心両面の支援を行ってきた。13年経ったいまも、悲しみは消え去るものでないことを痛感している。

「石巻市に大仏を建てるための(寄付を募る)勧進僧という役割を担っています。13年が経過すれば一緒に悲しみを共有した人が亡くなり、住所を移す人もいれば子供が巣立つこともある。宗教者として、いまも当時の記憶とともに現地で生活する方々の思いを受け取る存在が必要だと思っています。そのひとつが大仏です」

横須賀市が行う「エンディングサポート」

故人の尊厳を地方自治体の立場で守るべく、全国に先駆けて取り組んだのが神奈川県横須賀市だ。2015年に「エンディングプラン・サポート(ES)事業」を、2018年に「わたしの終活登録事業」をスタートさせた。

ES事業は、低所得で資産や預金も少なく、独居で頼れる身寄りがない、率直にいえば引き取り手のない「無縁遺骨予備軍」に向けたもの。そうした人に横須賀市が事前相談に応じ、最低葬送額(26万円)を前納してもらうことで、市は葬祭事業者を紹介して契約に立ち会う。以降、契約者を定期訪問して安否を確認しつつ、死後は火葬・納骨を見届ける。制度を設計した北見万幸・地域福祉課終活支援センター福祉専門官が説明する。

「孤独死に適用される墓地埋葬法は、極端な話『死ぬまで何もせず、死後埋葬する』という事後処理のみを担うため、ES事業として職員が市民の生前の希望を聞いておくことで、死後の尊厳を守っているともいえます。職員は市民の社会的孤立を防ぐケースワーカーとして、身寄りのない方に寄り添い、死生観や信教に沿った葬儀、納骨までを見届けているのです」

無縁遺骨が増えているのは横須賀市も同じ。身元がわかっていながら引き取り手のない遺骨も多く、年間50柱前後に達し、市では庁舎の一室などに保管している。北見はその理由は血縁の薄まりに留まらないと分析する。

「確かに縁は薄くなったけれど、それだけで人間の気持ちや心の温かさが失われるものじゃない。

どちらかと言えば通信環境の変化に理由があると考えています。決定打となったのは、多くの家庭が固定電話から携帯電話に切り替わったこと。それによってタウンページ(電話帳)が廃止され、近いうちに104による番号案内も無くなると聞きます。固定電話が機能しなくなったいま、亡くなった人の身元が健康保険証や運転免許証でわかっても、携帯にはロックがかかりアクセスできないし、引き取り手となる親族の連絡先も探せない。だから戸籍を辿って手紙で知らせるのですが、中々双方向の話し合いにつながらず無縁遺骨になってしまいがちなんです」

「わたしの終活登録事業」はそうした実態を改善するために、元気なうちに「終活情報」を市に登録してもらうサービスだ。70代、80代、60代の順に登録者数が多く、今年7月末時点で924名が登録する。登録項目は、緊急連絡先、かかりつけ医、本籍、墓(寺など)の場所など11項目でいずれも任意。本人が倒れるなどして、警察・救急・病院などから市に問い合わせが入った場合、本人に代わって市が登録内容を回答する。

100年以上続く「無縁仏」の救済団体

近年、横須賀市のような自治体の数は増え、社会福祉法人でも同様に最期を「孤」に終わらせないための役割を担う団体がある。

その元祖として都内で100年以上無縁仏に関わっているのが、練馬区の江古田斎場と隣接する聖恩山霊園を持つ社会福祉法人「東京福祉会」だ。同会の前身は大正8(1919)年、神田の油問屋・渡邊竹次郎が貧困により葬儀が行えない人を救済するために設立した「助葬会」にある。渡邊はその趣旨をこう書いている。

《貧困のまま死亡してしまったため人生最後の礼(葬儀)をいとなむこともできない人たちがいる。これには社会の無情を感じる。そんな人たちを救済する機関がないことは、社会救済事業の大きな欠落だと言える》

創業の精神はいまに引き継がれ、前述の「葬祭扶助」を適用される葬儀を2022年は年間で2521件引き受けた。そのうち1033柱の遺骨が遺族に引き取られ、残る1488柱は無縁遺骨として一定期間保管された後、埼玉県の第二聖恩山霊園に送られて合祀墓に移される。現在、聖恩山霊園に保管されている無縁遺骨は4485柱ある。火葬場での立ち会い事情を江古田斎場長が明かす。

「福祉事務所が連絡を取ると『遺骨は引き取りませんが、火葬には立ち会います』とおっしゃる遺族の方が3分の1はいます。残りは当会の職員が立ち会い、拾骨して持ち帰り納骨します」

宗教、自治体、社会福祉法人――ひとさじの会も横須賀市終活支援センターも東京福祉会も、三者三様にそれぞれの方法で孤独死した人の尊厳を守っているのだ。

「骨になる」過程でどれだけ故人に敬意を払えるかを「豊かさ」ととらえたい
「骨になる」過程でどれだけ故人に敬意を払えるかを「豊かさ」ととらえたい(写真/PIXTA)
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2013年に封切られた映画『おみおくりの作法』は、孤独死したロンドン市民の埋葬を22年間、ひとりで行っている民生係ジョン・メイの物語。交通事故で亡くなり、自らも孤独な死を遂げたジョンの葬儀に参列者はいなかったが、彼が弔った数百の霊が集まってくるという感動作だった。

孤独であるなしに関わらず、死を迎えた人は火葬されて骨になる。その一連の過程で我々はどれだけ「死に行く者」に畏敬の念をもって接することができるのか。それが国家の成熟度であり、国民個々の豊かさであることを、いま改めて認識する必要があろう。

【プロフィール】

伊藤博敏(いとう・ひろとし)/ジャーナリスト 1955年、福岡県生まれ。編集プロダクション勤務を経て、1984年よりフリーに。経済事件をはじめとしたノンフィクション分野における圧倒的な取材力に定評がある。『黒幕 巨大企業とマスコミがすがった「裏社会の案内人」』(小学館)、『同和のドン 上田藤兵衞 「人権」と「暴力」の戦後史』(講談社)など著書多数。

(文中敬称略)

※女性セブン2024年9月19日号

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