家事・ライフ

《夫との死別の向き合い方》突然の別れは後悔ばかり…女優・高田敏江が独身を貫く理由とは?

女優の高田敏江(89才)
夫の死に直面した女優の高田敏江が前を向くことができた瞬間とは?
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女性は男性よりも6年ほど平均寿命が長いため、女性の方が伴侶との永遠の別れを経験する確率が高い。思いもよらない病や事故で天寿を迎えてしまったら、別れを受け入れることすら時間を要する。愛する夫の死に直面した女優の高田敏江(89才)が“前を向くことができた”瞬間を振り返った。

舞台中は夫の死を忘れられた

夫で心理学者の相場均さん(享年51)が亡くなってから48年の間、高田はずっと独身を貫いている。

「主人との結婚生活はわずか15年で終わりました。それなのに私が再婚したら、主人がかわいそうかなという気持ちがあった。
また、当時は子供が中学生だったので、仕事と子育てに夢中である程度の時期まで来てしまいました」(高田・以下同)

相場さんは1976年に出張先の長野県松本市で急性心不全を患い急逝した。朝4時に連絡を受けた高田は遺体を引き取るため東京から松本に駆け付け、とんぼ帰りした。翌日は、帝国劇場で行われる舞台『風と雲と虹と』の初日だった。

「無我夢中でしたが、帝劇の初日には必ず出るつもりでした。結果的に舞台に立つ1か月間は緊張しっぱなしで、夫の死という現実を忘れることができました」

それでも舞台が終わり外に出るとふっと我に返り、胸を締めつけられる思いをすることもあった。

「自分の運転で帝劇とわが家を行き来しているとき、渋谷の宮益坂でものすごくきれいな夕日が見えたんです。そのとき、“ああ主人はもうこの夕日が二度と見られないんだ”と思って、激しい喪失感が湧き上がりました」

突然逝ってしまうと残された者は後悔ばかり

舞台が終わってから襲ってきたのは、喪失感だけではない。

夕方の道を運転する車内からの風景
運転する車内で喪失感が湧き上がった(写真/イメージマート)
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「どなたも実感があると思いますが、彼のように突然逝ってしまうと残された者は後悔ばかりなんです。あのときああすればよかった、こうすればよかったという思いがしばらくありました。夢に主人が出てきて、夢のなかで“やっぱり生きていたじゃない!”と言ったのをよく覚えています」

そんな深い後悔の気持ちに苛まれていたとき、夫の知人である精神科医から手紙が届いた。

「そこには、“死に別れでも生き別れでも残された者には必ず傷があり、それは6か月は治りません”とあった。さらに“本当に立ち直るには3年かかるから、自分を責めない。時間が癒してくれる”ともありました。主人が書いた本のなかにも同じようなことが書いてあったことを思い出し、その言葉を支えにしました」

息子の前では絶対にメソメソしないと誓った

亡き夫がしたためたような手紙に勇気づけられ、3年の月日が流れる頃には涙を流すことなく夫のことを話せるようになったと振り返る。

当時13才だった息子の気遣いも母に力を与えた。

朗読劇のメンバーと女優・高田敏江
高田(前列右から2人目)は、戦争の悲劇を二度と繰り返さないよう朗読劇で次世代に平和の大切さを伝える活動を行う
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「息子は父親のことをダディをもじって“ダダ”と呼んでいましたが、私が悲しくてメソメソしているとき、“ダダってそんなにいい人間だけじゃなかったんだよ”と言いました。
まだ13才なのに私のことを気遣っていることが伝わってきて、息子の前では絶対メソメソしないでいようと誓って、早く立ち直りました。もしも息子がいなかったら、もっと悲しみを引きずっていたでしょうね」

相場さんの死から半世紀近く経ち、90才を目前にしたいま、高田は息子とその妻、孫と一緒に趣味のスキーを楽しんだことを「最高の思い出」と語る。

「主人が亡くなった後、まずは子供のためにと仕事と育児をがんばることで道が開けた。子供が独立してからは、自分の人生を生きています。いまでも続いている趣味は『ちぎり絵』で、ライフワークは朗読劇です。来年は戦後80年の節目なので、有志と一緒に広島で朗読劇を上演予定です」

後悔ばかりしていた日々を振り返り、世の夫婦たちにメッセージを送る。

「私は結婚生活が短かったので、長く結婚生活をしている人を見ると本当にうらやましい。でも、いつか別れは必ず来ます。その日まで、何でも言える伴侶がいることは最高の幸せです。

だからこそ、1日1回でいいから相手に優しい言葉をかけてほしい。私は仕事と子育てに追われて、主人についつれない言葉をかけていたことをいまでも反省しているから、どうか優しい言葉をかけてあげてください。日本人は互いにあまり口に出さないけど、言葉にしないとわからないことがあるんです」

◆女優・高田敏江

1935年群馬県出身。東映ニューフェイスの第1期生で、旧芸名の高原紀子でデビュー。1961年に心理学者の相場均さんと結婚するも、その15年後に相場さんが急性心不全で亡くなった。

※女性セブン2024年9月26日・10月3日号

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