
「自宅で最期を迎えたい」と願う人は多くても、簡単にはその希望は叶わない。そこで注目されているのが、最期について家族で話し合う「家族会議」だ。欧米などでは「アドバンス・ケア・プランニング」(ACP)という呼称で、将来の医療やケア、看取りについて、本人や家族、医療・ケアチームが話し合い、意思決定を支援することが推奨され、多様なプログラムが展開されている。日本でも厚労省が2018年、ACPに「人生会議」という訳語をあて、コロナ禍を経てその重要性がさらに浸透しつつある。ACPの最前線に迫る。【前後編の後編】
亡くなる前日に母と交わした言葉が“最高の贈り物”
実際に会議を経て、大切な人との別れを経験した人は何を感じるのか。
「お母さん、お父さん、どこで死にたい?」
ある年の正月の夕食時、実家に帰省したノンフィクションライターの中澤まゆみさんは80代の両親に明るく尋ねた。母は即座にこう答えた。
「そりゃ、家がいいさ」
中澤さんが振り返る。
「当時、母はC型肝炎の治療で通院中で、いずれは死につながる肝硬変になるとかかりつけ医から聞かされていたため、最期をどこで迎えたいかを確認しておこうと思いました。母のかかりつけ医は訪問診療も行っていたので、遠距離介護中の私にとっては、とても安心できる存在でした」(中澤さん・以下同)
89才のときに母が認知症と診断されると、中澤さんはかかりつけ医に頼んでケアマネと訪問看護師を紹介してもらい、さらにヘルパー、デイサービスを加えケアチームを整え、月1回の遠距離介護を開始した。

母と同居する高齢の父が見守りと簡単な家事を行い、配食弁当や介護保険サービスを活用して自宅での暮らしをサポート。中澤さんはかかりつけ医、ケアマネ、訪問看護師と頻繁にメールをやり取りし、情報交換と相談を重ねた。
92才のとき、母は朝、起き上がることができなくなって寝たきりになる。中澤さんは実家に戻って自宅で看取る準備を進め、母は3週間後に枯れるように亡くなった。中澤さんの心にあるのは母への感謝だ。
「亡くなる前日に私が講演のために家を出るとき、母に『明日帰るから、待っていてね』と声をかけると『うん、待っているよ。ありがとう』と答えてくれたのが最後の会話になりました。この会話が母からの最高の贈り物でした。医療と介護の専門職でチームを作り、密にコミュニケーションを取ったおかげで、母は望んだ通り自宅で安らかに旅立つことができました」
自宅で最期を迎えるために不可欠なものは「お金」
おかやま在宅クリニック院長で、『それでも病院で死にますか』の著者の岡山容子さんも、自身がかかりつけ医となって母を見送った。岡山さんの母はがんを患い、化学療法を受けたのち、現代医療への強い拒否を示した。
「もともと医療への不信感がある人でしたが、抗がん剤治療の副作用のしんどさもあり、強い意思で治療拒否を選択しました。最終的には本人の意思を尊重して、積極的な治療を中断しました」(岡山さん・以下同)
その後、岡山さんが主治医になり、父とともに施設に入所し、母を看取った。
「医療を全部拒否して旅立ったのは、母らしい最期だったと思います。私らも悔いはまったくなく、母を見送った充足感でいっぱいです」
そう笑顔を見せる岡山さんは、自宅で最期を迎えるために不可欠なものは「お金」であると言い切る。

「ある介護従事者が、『お金がないのはうんこを拭く手がないのと一緒や』と言ったんです。強烈な言葉ですがその通りやと思いますね。私たち娘4人で月1万円ずつ母のために姉妹貯金をして、年間約50万円ずつ貯まったお金を遠距離介護の交通費などで活用していました。
自宅で最期を迎えようとするとどうしても人に委ねる必要があって費用もかさむので、看取りをするにはお金が絶対に必要。母の意思のためにできることを考えたとき、やっぱり必要なのは資金でした」



一方で、お迎えは“年齢通り”というわけではない。
「必ずしも人生会議は高齢者が中心になるわけではありません。例えば、先天的に障害を抱えて生まれてきて、話すことができない子の場合、この子の好きなことは何だろう、喜ぶことは何だろうと医療者みんなで語り合います。診療中は反応がなくても、リハビリの先生と遊ぶときはすごく喜ぶ子もいるんです。そうした様子を見逃さず、この子にはどういう医療がふさわしいかを必死で考えて話し合うことこそが、その子にとっての人生会議になります」
最期を見据えた話し合いは、愛情と思いやりをもって相手のことを語り合う場でもある。話し合いを通じて生前に信頼関係を築いておくことで悔いのない別れを迎えることもできる。
「絶対に延命治療はしない」と宣言していた、岡山さんの知る患者は、生命を維持するため鼻からチューブを入れて胃に栄養剤を流し込むことが必要になった。判断を迫られた患者の娘は悩みに悩んだ末、一縷の望みを託して栄養剤の注入を希望。結果的に、栄養剤が胃で逆流して誤嚥性肺炎になって患者は死亡したが、娘が後悔することはなかったという。
「亡くなってから娘さんに『後悔していますか』と聞いたら、娘さんは『いいえ。生前の父は私を信用して、“お前に託す”と言ってくれる人でした。だから父は私に賛成してくれたと思います』ときっぱり答えたんです。たとえ最終的な意見が違っても、全体としての信頼感を得ていれば何の問題も生じません。人生会議を通じてそうした関係性を築ければ、看取る側にとっても大きな意味をなします」
上手に家で死ぬのなら「何があっても救急車は呼ばないで」
最期について思いをはせるとき、どこで迎えるかを考えると同時に、誰もが思うのが「苦しまずに死にたい」ということだろう。医師で作家の久坂部羊さんが“上手な死に方”について持論を語る。

「自然な状態に近い死に方が上手な死に方だと思います。逆に言うと、余計で無駄な医療をしない死に方ですね。せっかく上手に家で死にかけているのに病院に運ばれて、望まない延命治療や点滴、人工呼吸をさせられることは医療としての意味がなく、本人を苦しめるだけになってしまう」


医師だった久坂部さんの父は80才を過ぎた頃から「もう充分生きた、いい人生やった」と自らの天寿を見据えるようになったという。その後、前立腺がんを患っても治療を選択せず、寝たきりになっても穏やかな日々を過ごして87才で大往生を遂げた。
「父は医師ゆえに、死に対して医療が無力であることを知っていました。いまは医療が進歩して治る病気が増えましたが、“医療が死を遠ざける”なんて幻想に過ぎません。自宅で死にたいなら医療に過度な期待を抱かず、元気なうちから家族との話し合いを進め、在宅医と連携を取っておくことが必要です。“何があっても救急車を呼ばないでくれ”と家族に念を押しておく覚悟も必要かもしれません」(久坂部さん)
エンディングノートを使って“死に方”を家族と共有
上手に逝くためには、エンディングノートを活用することも効果的だ。国内に数少ない緩和ケア専門病院の愛和病院副院長で、緩和ケア医の平方眞さんが言う。
「エンディングノートを書いて、家族の目が届くところにわざと置いておく。するとノートを手にした家族が、『お母さんはこんなことを考えているのだ』と気づいて、会議を始めるきっかけになります。エンディングノートを介して、“自分の求める死に方”を家族と共有するのが第一歩になります」(平方さん)

自分がどのような最期を迎えたいかを考え、老いとともに歩むことを家族と共有し、医療や介護の専門職とも充分なコミュニケーションを取る。そんな理想的な備えを成り立たせるためには、現状の制度の見直しが欠かせない。
「自宅で最期を迎えたいという望みを叶えるためには在宅ケアの充実が欠かせませんが、その支えとなるのは実は医療よりも介護です。ところが訪問介護は診療報酬が引き下げられて崩壊の危機にあり、ハードな仕事なのに給料が上がらないヘルパーは絶滅寸前。訪問介護事業所は次々と倒産しています。
さらに認知症の患者は急増しているのに、もともと認知症対応ではなかった介護保険は、時代に逆行して認知症患者に必要なサービスを削減しています」(中澤さん・以下同)
介護保険がスタートして24年。この間に在宅医療・介護を支えるサービスは拡充し、自宅で旅立つためのサービスを組み立てられるようになった。しかし、その担い手である人材が枯渇している。
「訪問ヘルパー、ケアマネ、訪問看護師の人手不足は深刻です。この問題を解決しないと、自費を潤沢に使うことができるお金持ちしかきちんとした介護を受けられなくなる恐れがあります。国はこうした危機を真剣に受け止めて、制度を変えていく責任があります」
誰も死から逃れることはできない。少しでも後悔のない旅立ちや看取りをするため、国がやるべきこと、そして私たちにできることはたくさんある。
※女性セブン2024年11月28日号