上手に家で死ぬのなら「何があっても救急車は呼ばないで」
最期について思いをはせるとき、どこで迎えるかを考えると同時に、誰もが思うのが「苦しまずに死にたい」ということだろう。医師で作家の久坂部羊さんが“上手な死に方”について持論を語る。
「自然な状態に近い死に方が上手な死に方だと思います。逆に言うと、余計で無駄な医療をしない死に方ですね。せっかく上手に家で死にかけているのに病院に運ばれて、望まない延命治療や点滴、人工呼吸をさせられることは医療としての意味がなく、本人を苦しめるだけになってしまう」
医師だった久坂部さんの父は80才を過ぎた頃から「もう充分生きた、いい人生やった」と自らの天寿を見据えるようになったという。その後、前立腺がんを患っても治療を選択せず、寝たきりになっても穏やかな日々を過ごして87才で大往生を遂げた。
「父は医師ゆえに、死に対して医療が無力であることを知っていました。いまは医療が進歩して治る病気が増えましたが、“医療が死を遠ざける”なんて幻想に過ぎません。自宅で死にたいなら医療に過度な期待を抱かず、元気なうちから家族との話し合いを進め、在宅医と連携を取っておくことが必要です。“何があっても救急車を呼ばないでくれ”と家族に念を押しておく覚悟も必要かもしれません」(久坂部さん)
エンディングノートを使って“死に方”を家族と共有
上手に逝くためには、エンディングノートを活用することも効果的だ。国内に数少ない緩和ケア専門病院の愛和病院副院長で、緩和ケア医の平方眞さんが言う。
「エンディングノートを書いて、家族の目が届くところにわざと置いておく。するとノートを手にした家族が、『お母さんはこんなことを考えているのだ』と気づいて、会議を始めるきっかけになります。エンディングノートを介して、“自分の求める死に方”を家族と共有するのが第一歩になります」(平方さん)
自分がどのような最期を迎えたいかを考え、老いとともに歩むことを家族と共有し、医療や介護の専門職とも充分なコミュニケーションを取る。そんな理想的な備えを成り立たせるためには、現状の制度の見直しが欠かせない。
「自宅で最期を迎えたいという望みを叶えるためには在宅ケアの充実が欠かせませんが、その支えとなるのは実は医療よりも介護です。ところが訪問介護は診療報酬が引き下げられて崩壊の危機にあり、ハードな仕事なのに給料が上がらないヘルパーは絶滅寸前。訪問介護事業所は次々と倒産しています。
さらに認知症の患者は急増しているのに、もともと認知症対応ではなかった介護保険は、時代に逆行して認知症患者に必要なサービスを削減しています」(中澤さん・以下同)
介護保険がスタートして24年。この間に在宅医療・介護を支えるサービスは拡充し、自宅で旅立つためのサービスを組み立てられるようになった。しかし、その担い手である人材が枯渇している。
「訪問ヘルパー、ケアマネ、訪問看護師の人手不足は深刻です。この問題を解決しないと、自費を潤沢に使うことができるお金持ちしかきちんとした介護を受けられなくなる恐れがあります。国はこうした危機を真剣に受け止めて、制度を変えていく責任があります」
誰も死から逃れることはできない。少しでも後悔のない旅立ちや看取りをするため、国がやるべきこと、そして私たちにできることはたくさんある。
※女性セブン2024年11月28日号