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《ひろみちお兄さん闘病記1》「酒もタバコもしないのに…」下半身麻痺で死を覚悟「支えた家族の言葉」

「明るく振る舞ってもらえたのはありがたかった」

――家族とはどんなやり取りを。 佐藤:妻とはLINEでもやり取りをしていたのですが、最初のうちは「ごめんね」とか「この先どうなるか分からない」とか、ネガティブな言葉しか返信できませんでした。妻は「頑張って」と励ましてくれるのですが、「もう頑張れないし」と思ってしまって……。

妻にはネガティブな言葉で返信をしてしまう(撮影/横田紋子)
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――今日は妻の久美子さんにも同席していただいています。突然、病魔に襲われた佐藤さんを、久美子さんや家族はどう受け止めていたのでしょうか。

久美子さん:過去にたった1度だけ、夫が弱音を吐いたことがあるんです。『おかあさんといっしょ』で体操のお兄さんを務めさせていただいていたときに、一緒に出演していたほかの3人が卒業して、彼が1人だけ残ったことがあったんです(1999年4月)。1人で番組を引っ張っていけるのかというプレッシャーやストレスに負けそうになって、私の前で「もうできない、やめたい」と漏らしたことがありました。でもその状況を乗り越えて、いまの夫があります。ですから今回も大丈夫と信じていました。でもいまだから本音を言えば、55才という年齢と脊髄梗塞という聞き慣れない病名が重なって、私も最初は絶望しました。

――成人されている、2人の息子さんの反応はどうでしたか。

久美子さん:息子たちに伝えたら「え? どういうこと? 生きてるんでしょ?」と返ってきたんです。私が「生きてるよ。でもお医者さんから“覚悟しないといけない”と忠告されたし、東京に帰ってくるまでに相当時間がかかるよ」という話をしたんです。それでも息子たちは、「生きてるんだったら大丈夫」って言ってましたね。

息子たちの提案で、家族のグループLINEで、毎日お父さんを励ますメッセージを送ろうということになったんです。入院2日目から「そんなことでダメになるお父さんじゃないでしょ」とか「またみんなでゴルフができるようにトレーニング頑張って」みたいなメッセージを送っていました。でも、本人からしたら「何言ってるんだよ、できないって言ってるじゃん」という複雑な思いもあったと思います。

――そうした家族の対応を、佐藤さんはどう感じましたか。

佐藤さん:僕の気持ちは完全に沈んでいましたから、家族みんなで考え込むのではなく、明るく振る舞ってもらえたのはありがたかったですね。入院中、妻はもちろんですが、長男と次男がそれぞれ鳥取の病院までサプライズでお見舞いにも来てくれました。入院して1週間後くらいに「ウーバーイーツで~す」って言って、突然病室に入ってきたり(笑い)。息子たちの顔を見たときは、号泣してしまいました。

家族は明るく振る舞ってくれた(撮影/横田紋子)
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絶望のどん底にいた佐藤さんだが、ある日を境に前向きにリハビリに取り組むようになる──。【全3回の第2回】へ続く

取材・文/剣慧人

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