強面のヤクザから刑事、真面目な銀行員、ラーメン屋の店主……と、名バイプレーヤーとして、さまざまな活躍を見せる西岡徳馬(徳は旧字体が正式表記)。一方、ひとたび舞台に立てば、品格のある古典を堂々と演ずる。年を重ねるごとに幅広い演技を見せ、存在感を増してきた、78歳の俳優の来し道、これからを聞いた。【全3回の第1回】
武士道精神を貫く作品を作ろうと誓い合った
2024年9月、アメリカ・ロサンゼルスのピーコック・シアターに、タキシードを着た西岡徳馬馬の姿があった。テレビドラマの功績に与えられる、『第76回エミー賞』発表の日で、プレゼンターが作品賞を「SHOGUN!」と読み上げた瞬間、出演者はじめクルーはいっせいに立ち上がり、歓喜に沸いた。
「いやあ、うれしかったね! 今でも興奮さめやらずですよ」(西岡・以下同)
そう言いながら、西岡は満面の笑みを浮かべた。
「あのとき、抱き合った真田の耳元で言ったんだ。『俺たちは日本のために、すごいことやった』って」
ドラマ『SHOGUN 将軍』が、作品賞、主演男優賞(真田広之)、主演女優賞(アンナ・サワイ)……と18部門をも受賞。前代未聞の快挙だった。舞台は戦国時代。関ヶ原の決戦を目前に、陰謀と欲望が渦巻く超大作で、全8話、一瞬たりとも飽きさせぬドラマティックさは圧巻だった。真田扮する殿、吉井虎永ら登場人物は、徳川家康や、石田三成、細川ガラシャ……といった歴史上の人物からインスパイアされた人々で、西岡は戸田広松という、虎永の忠実な家臣を演じた。
「ビデオによるオーディションを受けたんだけど、初めは誰が将軍をやるのか教えてもらえなかった。初めて真田だと知ったときは燃えたね。彼とは何度も共演してるし、どちらも時代劇には強い思い入れがある。そりゃあうれしかった」
ロケ先のカナダ・バンクーバーで8か月を過ごした。
「コロナ禍だった3年前、夏の終わりだよ。きれいに晴れ渡った日の、ハーバーの見える公園で真田と語り合ったわけ。これまでハリウッドで撮られた日本の時代劇は正確じゃない。言葉遣いも、所作も、着る物も音楽も……中国あたりと一緒くたな感じでね、歯痒かった。俺らはすべてが本物のサムライ作品を作ろう。そして武士道精神、その本質を貫いた作品を作ろうと、固く誓い合った」
プロデュースも兼ねていた真田は、徹頭徹尾、本物にこだわり、殺陣、着付け、結髪……と、京都・東映の精鋭らを呼び寄せたという。
「ハリウッドに渡ってから、努力を積み重ねてきた彼の悲願だったと思う。ついにやり遂げたね」
テストなしで、いきなり本番に入る撮り方。ワンシーンを繰り返し、しかも自然さを要求される……など、日本の撮影スタイルとはすべてが違う、驚きと学びの日々であった。そして西岡扮する戸田が、陰謀から虎永を守らんとして切腹する、クライマックスシーンを迎えた。
「ふたり語らず、目と目を見交わしただけで、すべての感情を伝えあった。幼少期から熾烈な時代を共に生きてきた者が、命を切り結ぶ瞬間です。このとき、監督に『今生の別れでございます』という台本にないセリフを提案したんです。僕は輪廻転生というものを信じていて、命は永遠であると思っているから。監督はしばらく考えていたけど、OKを出してくれた」
長くやっていると「こんな奇蹟のような作品にも出会えるんだなって。78歳だよ、今年で」と、感慨深げだ。エネルギッシュで、人生後半に差しかかった年齢には見えない。そしてやはり、どこか色っぽさがある。ダンディーでセクシーといわれる俳優の代表格だった。
理不尽なこと、上からの命令には抗いたい
小1のとき、父親の薦めで劇団に入り、子役を始めた。当時から「德ちゃんうまいね」と言われる、人の目を引く子どもだった。
「お婆ちゃんに言う『ありがとう』というセリフがあってね、皆へたなんだよ。それは本気でありがとうと思ってないから。芝居なんて簡単じゃん、本気で思えばいいじゃんって、そのとき思った」
幼少にしてこの感性である。
「俳優のやってることは感性ぐらいしかないですからね。特に僕なんかは勘で生きてるような人間。そんなに頭もよくないし、インテリジェンスも高いわけじゃないし。人生、勘で渡ってきたんだよ」
3年間で演技を休止。中学、高校と進んだが、思春期に入ってからの西岡のやんちゃぶりは、まるで漫画のごときでエピソードに事欠かない。法政二高では野球部に入ったもののトレーニングを嫌った。
「僕は理不尽なことが大嫌いな人間なんですよ。バットを足に挟んでの正座だの、ダービーと称してグラウンドを全力疾走で40分とか。走れないとケツをバットでバーンと叩かれる。今はさすがにしてないだろうけど、そういう軍隊みたいなやり方、上から命令されるのが、ものすごく嫌だった(この話から戦争についての話になり、どこで止めたらよいか迷うほど延々と続いた)。もう性分なんだね。
弱い者いじめも大嫌い。虐められてるやつを見ると、かあっとしてね、あげく職員室に連れていかれて、事情聴取(笑)。そんな毎日だった。うちは親父が厳しい人でしてね、『義を見てせざるは勇なきなり』って、言われて育ったんです」
どこか武士道につながるかのような話である。時を経て、安寧な世を作らんとする殿様に仕える武士を演ずることになったのも、必然と思いたくなるような話だ。
「結局のところ中退となった。喧嘩じゃなく、試験でカンニングを疑われたんです。全成績の点数が没収されて留年が決まった。親が呼ばれて説明を受けてね。途中で父親が苛立って、『こんな学校はやめる。帰るぞ!』と席を立った」
中退した3日後に、父親から「行け」と差し出されたのは“東宝芸能学校”の冊子だった。
「えーっ、芸能学校かと。今考えると、子役をさせたことも含め、実は親父がしたかったことだったかもな、と思えるんですよ。親父は印刷会社を起こして懸命に働いた人だったけど。そんなことで、ともかく通うことにした。そこで帝劇の第1号女優、村田嘉久子さんと出会ったんです。授業中にふっと『あんた、いい役者になるよ』って言われた。いい役者って何だ?と初めて思って、そのとき、芝居で生きていこうと腹を決めたんです」
【プロフィール】
西岡徳馬(にしおか・とくま)[徳は旧字体が正式表記]/1946年、神奈川県横浜市出身。文学座を経て、ドラマ、映画、舞台で活躍する。代表的な映像作品に『極道の妻たち』シリーズ、『浅見光彦シリーズ』『上品ドライバー』『過保護のカホコ』『緑川警部シリーズ』ほか。初の自伝『未完成』(幻冬舎)が発売中。3人の子女と孫が6人いる。
取材・文/水田静子
※女性セブン2025年1月1日号