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《完璧なペアルック》雅子さま、被災地訪問で陛下と「インナーまで」同一コーデ 「独自のスタイルを打ち出されて」

被災地に思いを寄せられた両陛下(2024年12月、撮影/JMPA)
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12月17日、元日の能登地震に続き、9月にも豪雨の影響で大きな被害受けた石川県輪島市を訪問された天皇皇后両陛下。

「午前11時半ごろ能登空港に到着された両陛下のお姿を見て驚きました。お二方ともインナーのタートルネックのニットまで濃いグレーでそろえられたコーディネイトだったのです。いままではお召し物の一部分を同じ色にそろえるなどの“リンクコーデ”はよく見せていたものの、今回はまるで完璧なペアルック。もしかすると、雅子さまがこのスタイルを提案されたのかもしれません」(皇室担当記者)

ご自身のお誕生日挨拶で見せた変化

「ここ最近、雅子さまのなかには何か大きな変化があったのでしょう」と語るのは、ある皇室ジャーナリストだ。

雅子さまのお誕生日に仙洞御所へご挨拶へ(2024年12月、撮影/JMPA)
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即位関連のときにお召しになったのも同じドレス(2019年5月、撮影/JMPA)
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「雅子さまは両陛下のお誕生日の挨拶や、上皇ご夫妻のお誕生日のお祝いの際は、いまも変わらず、上皇ご夫妻のお住まいである仙洞御所に出向かれています。そのようななか、今年の12月9日の雅子さまの誕生日の際、お召し物に大きな変化がありました。この日、雅子さまが選ばれたのは、即位関連の時にお召しになったクリーム色系のドレス。つまり、雅子さまが皇后になられてからのものだったのです」

これまで雅子さまが仙洞御所に出向かれる際にお召しになっていたのは、毎回のように皇太子妃時代から何度もお召しになっているドレスだったという。

「たとえば、昨年の美智子さまのお誕生日の際は初見が2002年のライトブルーの帽子とドレス。今年の美智子さまのお誕生日の際は2015年のトンガ国王の戴冠式の際にお召しになったオフホワイトのレースをあしらったドレスでした。

あえて、昔のお召し物を選ばれることで、“自分の気持ちは皇太子妃時代のままです”ということを暗にお伝えになっているのだと考える関係者も少なくなったのですが、今回、初めて皇后になられてからのドレスをお召しになった。もしかすると、10月に上皇后さまが大腿骨を骨折されたことで、自分が女性皇族を引っ張っていかなければいけないということを、強く自覚されたのかもしれません」(前出・皇室ジャーナリスト)

2023年の美智子さまのお誕生日の際は、過去に何度も一般参賀でもお召しになっていたデザインで(2023年10月、撮影/JMPA)
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飲料水や食料を東京から持参

先述の輪島市への訪問の際も、「雅子さまカラー」が光った。

日帰りというタイトスケジュールの中、両陛下は塚田川の氾濫によって住宅などが濁流に飲み込まれ、中学生など4人が亡くなった現場に立たれ、川の上流に向かって深く一礼。その後、地震によって避難生活を送っていた仮設住宅が豪雨で浸水した人々が身を寄せる輪島市内の中学校に足を運ばれた。

グレーのタートルネックを合わせて(2024年12月、撮影/JMPA)
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その数50人あまり。雅子さまはかがんで一人一人と目の高さをあわせられ、「大変な思いをされて」などと被災者の思いを受け止められた。災害対応にあたった警察や消防、自衛隊の関係者らもねぎらわれた。

「2回も立て続けに被害を受けられた人々を目の当たりにして、雅子さまはいてもたってもいられないお気持ちでいらしたのだと思います。年が明けると、被災された方々にとって災害が去年のことになってしまうという思いから、年内にどうしてもお見舞いしたいというご希望があったのでしょう。

平成時代は被災からあまり時間をおかずにお見舞いするのが通例でしたが、令和になって被害状況や被災された方々の日常生活がある程度一段落したタイミングで、少し時間をあけてお見舞いするようになったと思います。地元の負担を軽減するために、ご自分たちの飲料水や昼食を東京から持参するのも令和になってから。平成時代は両陛下と地元の関係者が同じカレーライスを召し上がっておられましたが、そこから一歩進んだお気遣いは雅子さまならではのスタイルだと思います」(宮内庁関係者)

雅子さまがのびのびと活躍される姿を国民は大歓迎するだろう。

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