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《栄光と黄昏の37年間》中居正広が歩んできた“逆境人生”「4畳の部屋に一家5人」極貧幼少期から「ジャニーズの落ちこぼれ」、そして「ジャニーズの申し子」へ

芸能界から引退を表明した中居正広(1997年)
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トラブルが発覚し、引退することとなった中居正広(52才)は、かつて長者番付の上位に名を連ね、自身の貯金額について「残高にびっくりする」と発言したこともある。芸能界の“成功者”となった中居の原点には、食事や風呂に不自由し、生活苦を経験した幼少期があった──。

スタッフやマネジャー、後輩らに「気遣いの人」

無数のシャッター音とフラッシュの光に囲まれた中居は意気揚々と記者会見に臨んでいた。あれから間もなく5年。状況は一変した。

「2020年2月、中居さんが旧ジャニーズ事務所から退所する際の会見は伝説的でしたね。自ら司会も務め、質問にはすべて答え……あの当意即妙ぶりは、その後の活躍を予感させました。当時、SMAP再結成の可能性を問われた中居さんは、1~99%の間と答えていましたが、この一件で、その可能性はゼロになってしまいました」(芸能関係者)

中居が自ら引き起こした深刻なトラブルは、彼の芸能生命を終わらせたが、一方で、テレビ局関係者の中には「この終わり方は違う」と残念がる人もいる。

旧ジャニーズ事務所からの退所を発表した際の中居正広(2020年)
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「中居さんはとにかく気遣いの人で、出演番組のスタッフには頻繁に高級焼き肉弁当を差し入れていました。担当マネジャーが辞めるときには現金を包み、名前を刺繍した高級ブランドのスーツをプレゼント。解散したV6のメンバーには、フランスの高級ブランド・ベルルッティの革靴を贈ったことも知られています。

そんな中居さんだけに、関係者からは彼の過ちに怒りを覚える一方で、人間性すべてが否定されるのは違う、という声も出ています」(テレビ局関係者)

極貧だった幼少期

神奈川・藤沢出身の中居。かねて地元愛を公言し、昨年末も地元の飲食店で友人らと泥酔する姿が目撃されるなど、芸能界で成功した後も頻繁に帰省していた。父親は北海道出身で、9才年下の母親は福岡県出身。男ばかり3人兄弟の末っ子として育った中居は、湘南エリアという海の街ののどかで、それでいてやんちゃな風土に染まって成長する。

「中居さんが通っていた中学は当時、地元の人間も『本当にやんちゃだった』と語るほどでした。中居さんは“札付きのワル”というわけではないですが、ガキ大将みたいな印象。やっぱり女の子からの人気はすさまじく、学園祭には他校から女子生徒たちが殺到していました」(地元の知人)

そんな中居だが、幼少期は極貧生活を経験している。

学生時代の中居正広
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「時には食べるものにも苦労する生活で、食卓におかずはなく、バターやしょうゆをご飯にかけて食べていた。調味料がなくなると、水をかけただけのご飯で飢えをしのいだこともあったと、中居さん本人も明かしています。実家の部屋は狭く、天井の低い4畳の居室に一家5人で身を寄せ合って寝ていたそうです。お風呂は週に2回で、それ以外の日は体にホースで水をかけ洗っていた。

中居さんは以前『家賃が3000円値上がりしたときに、大家さんに何度も頭を下げる父の姿を覚えている』と語っています。父の“こんな姿を見たくない”という心境になったそうです」(前出・芸能関係者)

そんな中でも家族仲はよく、父親の正志さんは末っ子の中居を「ヒロちゃん」と呼んでかわいがった。

「3人目は女の子が欲しかったお父さんは、2人の兄とは年の離れた中居さんを女の子のように育てようとした時期もあったとか。それでも中居さんが成長してくると、一緒に野球をしたりして、父と3兄弟のよい関係を築いていきました」(中居家を知る人)

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