
一見華やかな芸能界にも人知れず苦労した人は少なくない。ヒット曲やベストセラーを出しても生活の安定は保証されず、奈落の底に落ちることもある。そんなどん底から這い上がった人生の「転機」と「勝機」を聞いた。
225万部ベストセラーで約9000万円の印税
M-1グランプリの決勝“常連”として上り調子だった、お笑いコンビ麒麟・田村裕(45才)の作家デビューは2007年。子供時代の貧困生活をつづったエッセイ『ホームレス中学生』が225万部のベストセラーになった。
作家という“副業”で、約9000万円もの印税を手に入れ、中学生の頃に離れ離れになった父親とも再会。父親のためにマンションを購入するなど、親孝行を果たし、貧困から脱出して“成功者”になったかのように思えた。

「『ホームレス中学生』で脚光を浴びたことで実力以上の仕事を引き受けてしまい、テレビに出ると、全国で活躍するタレントさんの前で緊張し、萎縮してしまうことがありました。
業界の人たちからは“田村では力不足”と見極められてしまい、仕事は激減していったのです」(田村・以下同)
2010年代に入ると、田村とは対照的に相方の川島明の人気が上昇。田村は川島の活躍を見て、複雑な思いを抱いたという。
「決して相方と人間関係が悪くなったわけではないのに、川島の話をするのも嫌になり、テレビに映る姿を見たくなくなりました。きっと、芸能界を駆け上がっていく相方のことをやっかんでいたのでしょうね」
バーでのアルバイトがきっかけで芸人復帰への道
印税も貯金も底をつき、生活費に事欠くようになった田村が後輩に頼み込んで始めたのがバーでのアルバイトだ。これが、再び芸能界に戻るきっかけとなった。
「この頃はテレビにも出ていなかったし、田村の名前を出さずに普通に働けると思っていました。ところが、お客さんは『あれ、田村さんじゃないですか!』と声をかけてくれたのです。それならばと、バーでトークライブを催すようになり、少しずつ芸人に復帰しようと思い始めた。もし違うアルバイトをしていたら、芸人をやめて普通のサラリーマンになっていた可能性もありますね」
同じ頃に田村は新たな活路を見出す。高校時代から続けていたバスケットボールだ。
「ぼくは芸人になってからも、プロからアマチュアまであらゆるバスケの試合を観戦していました。こんなに面白いスポーツはないと思うのに、20年くらい前までは日本での人気はいま一つでした。そこで、自分が大好きなバスケを発信していこうと思いました。もともと貧乏には慣れているし、“バスケと心中しよう”と決めたのです」
時代は田村に味方した。2016年には男子プロバスケットボールリーグのBリーグが発足し、“バスケ芸人”としての地位を築くまでに。
ホームレス中学生の逆転人生はまだまだ続く。
※女性セブン2025年3月6日号