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《闇営業から6年》カラテカ入江「今を知ってもらいたいんです」友達5000人の人気芸人が「どん底で見た風景」

地獄のようだった「闇営業問題」から立ち上がるまでの日々を語るカラテカ入江慎也
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「アーイエ、オーイエ、オレ入江」――耳に残るこのキャッチフレーズがテレビから消えてまもなく6年が経とうとしている。2019年6月に世を騒がせた「闇営業」問題。少なからぬ人数のお笑い芸人が不適切な宴会に参加し、ギャラを受け取っていたとされるものだ。なかでも当時の所属事務所から最も重い、契約解除という処分を下されたのがカラテカ・入江慎也(47才)。「友達5000人芸人」として人脈をウリにしていたが、それが裏目に出た形だった。

騒動後、入江は清掃会社「株式会社ピカピカ」を設立し、現在では全国33支店を束ねる経営者として、日々現場や営業に飛び回る充実の日々を送っている。彼は絶望のなかでどんな景色を見て、どうやって再び立ち上がることができたのか――(前後編の前編)

突然の契約解除

『闇営業』騒動という大きな壁にぶちあたり、試行錯誤の末になんとか再起を果たした入江。ふたたび立ち上がるまでに獲得した経験則や自分を奮い立たせる秘訣の数々を『絶望の淵で得た、人生を諦めないための教訓』(三才ブックス刊)としてまとめ、今年2月に出版した。入江が「どん底」で拾い集めた知恵の数々は、最悪すぎる状況を体験したからこそのオリジナリティに富んでおり、一般人も応用できるものばかりだ。

「僕は40才を過ぎてから突然無職になりましたからね。厳しい世の中ですから、僕のように意図せずセカンドキャリアを歩まざるを得ない人も多いと思うんです。でも、とりあえず動こうよ、ということをまず言いたい。僕みたいな人間でも動いてみたらみたで、“なんとかなってる”んですから」

とはいっても、何に向かって、どう動いたらいいかわからない、という声が聞こえてきそうだ。

「たとえば『給料が上がらない』と愚痴をこぼすスタッフがいたらこう言うんです。『不平を言っても何も変わらないから、まずは動こう。たとえば、SNSに現場のビフォーアフターを載せ続けて新規の仕事を取ってきたり、現場で使える壁のクロス貼りの技術を学んできたら、そのぶん上乗せしてきみに給料を払えるよ』って」

動けばなんとかなる。そんな信念を持つに至った入江自身も、突然の契約解除に直面したときには大いに戸惑い、それこそ絶望の淵に立たされた。

中指を立てる訪問者の正体

「騒動のころはしばらく呆然として、ずっと部屋に引きこもっていましたね。電話がジャンジャン鳴るし、自宅にはマスコミが押しかけるし。中にはインターフォンのカメラに向かって中指を立てる記者までいた。僕が怒って飛び出てきたところを撮ろうとしたんでしょうね。正直、参りました」

当時を振り返って話すその顔は、うつむいたままだ。「世の中全員が自分に後ろ指を差している」――そんな絶望の中から、どうやって現在の清掃業にたどりついたのだろうか。

「もちろんすぐに『清掃の仕事をやろう』となったわけではなく、僕もあちこちと迷走しました。まずはわけもわからず、知り合いの飲食店経営者さんを通じて、福井県に農業体験に行った。田植えや牛の餌やりなどの仕事をさせてもらって。2〜3日間の短期ですけどね。なんでかって? そのときは、なんだか人の役に立たなくちゃ、と思ったんです。それがイコール、ボランティアだった。農業体験したら、人の役に立つのかなと。いま思えば、めちゃくちゃ軽薄ですけど」

その体験が人の役に立ったか、軽薄だったかどうかは別にしても、入江にとって決して無駄なものではなかった。

「農業で汗を流すことは、単純に楽しかったですし、体を動かしていれば嫌なことも忘れられた。それに、福井で関わってくれたおじいちゃん、おばあちゃんたちは、僕のことなんかまったく知らなかったんですよね。そのころテレビでは毎日『闇営業』について報じていて、誰もが知っていると思ってビクビクしていたんです。でも騒動の話はまったく出ず、ふつうに優しく接してくれた。だから、『なんだ、単なる自意識過剰か』って、とても救われたんです。自分のことを勝手に悲劇の主人公だと思い込んでいただけだった」

清掃業に足を踏み入れたころを振り返るカラテカ入江慎也
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もう芸人には戻れないんだ

東京に戻った入江は、気持ちを整理することに努めたという。

「もう芸人には戻れないんだ、ということを自分に言い聞かせるように、衣装や台本などを処分したんです。過去にしがみつかないために。ごみを捨て、床を磨き上げると、部屋が広々するのと同時に心もスッキリして気持ちよかった。それが清掃の仕事をしようと思った“原点”です。新しく仕事を探すならと、自分で決めていた3つ条件である『なくならない仕事』『人脈が活かせる仕事』『手に職になる仕事』に合致していたことも後押ししてくれました」

ネットで求人を出していた掃除会社に電話し、入江は40才過ぎのセカンドキャリアをアルバイトからスタートさせた。

「その面接で、何を血迷ったか僕はこう言ってしまったんです。『掃除の基礎を覚えて2か月で独立したいので2か月の限定で働くということでもいいでしょうか』って。それでも嫌な顔ひとつせず、『2か月でも死に物狂いで頑張れば覚えられると思いますよ』といって採用してくれました」

「セカンドキャリアも人に恵まれた」と入江は言う。確かにそうだろう。清掃業の素人が訪ねてきて、「あなたの仕事を2か月でマスターする」と言われて温かく受け入れられる人は、それほど多くないはずだ。

「年下の先輩」の前で捨てられなかったプライド

スポットライトを浴びる華やかな世界から清掃業への転身。「いまは笑い話ですが」と前置きして入江はこう明かす。

「文字盤が派手なイタリア製高級ブランド腕時計と、赤いグッチの長財布をつけて出勤していました。もちろん作業中には外すのですが、きっと過去の栄光にしがみつきたかったのでしょう。プライドを保つための『鎧』のような存在だったのかもしれません」

現場仕事で一緒に組んだのは10才も年下の先輩。テキパキと仕事をこなし、人間的にもいい人だと感じたが、寡黙な人柄でなかなか打ち解けることができなかった。そこで入江は一計を案じた。

「その先輩の趣味である競馬の予想を聞き、毎週同じ馬券を買うことにしたのです。僕はまったく興味がなく完全に聞き役でしたが、先輩がレース予想を熱く語り、それを買った僕が『また外れたじゃないですか〜』とツッコむことで、急速に距離を縮めることができました」

小さなことだが、こういったことも入江のいう「動く」ことなのだろう。

「2か月で独立する」と宣言して清掃業入りした入江だが、さすがに2か月ですべてを習得するのは難しく、アルバイト生活は1年に及んだ。入江が代表取締役社長を務める「株式会社ピカピカ」が産声をあげたのは、2020年7月7日のことだ。

「僕はたくさんの先輩やお世話になった人に迷惑をかけたし、いまでも禊が済んだとは思っていません。それでも、このままでは人生を終われないと強く思っているんです。『反社の人と付き合いがある人だ』と思われたままでは終われない。入江は変わったんだよ、いま、こういうことをやっているよ、って知ってもらいたいんです」

(後編へ続く)

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