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《国内最高齢の女性監督を偲んで》若村麻由美、渡辺いっけいが明かす山田火砂子監督からの「叱咤」「励まし」(後編)

2019年に撮影された若村と山田監督の2ショット(提供/若村麻由美)
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多くの名優がこぞって出演する社会派インディーズ映画を手掛けてきた、国内最高齢の女性映画監督・山田火砂子さんが今年1月、誤嚥性肺炎や敗血症のため亡くなった。92才だった。世の中にはびこる差別や理不尽を力に変え、誰もが人間らしく生きられる世界を目指し、最期まで現役にこだわった山田監督。その矜持や半生を、「山田組」常連の俳優たちが明かす。

国内最高齢の女性映画監督だった山田火砂子さん(提供/現代ぷろだくしょん)
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「山田監督は小柄なかたですが生命力の塊のようなかたで、誰よりも気力がみなぎっていました。世の中の理不尽なことに立ち向かった先人を取り上げ、その中に山田監督自身が闘っている思いを作品に重ねているように感じました」

そう語るのは、若村麻由美だ。明治時代に日本初の女性医師となった荻野吟子の半生を描いた『一粒の麦 荻野吟子の生涯』(2019年公開)で主演を務めた。

「最初にオファーをいただいたとき、女性が医師になることに門戸が開かれていなかった時代に、男性社会の中で命を懸けた人物だと知り心を打たれました。また、それを世に出したいという山田監督の情熱にも心を動かされました。

訃報を聞いて、驚きと悲しみの入り混じるなか当時の写真を見返したんですが、連日、早朝から夜までの撮影の中、監督の“よーい!スタート!”とはつらつとした声が響き渡っていたのを、つい昨日のことのように思い出しました」(若村・以下同)

山田組の現場は、ほかの映画の現場とは違ったと振り返る。

「昔から“映画は監督のもの”と言われているので、監督がどう撮りたいかというのを理解して演じたいなと思っていたんです。だけど、山田監督から“若村さんがやってくれたらなんでも大丈夫”と言われ‥‥そのときは困りましたね。そこをなんとか一つずつ、“この場面はこうでしょうか?”と確認しながら演じさせていただきました」

最初のオファーのときから若村の演技を「やっぱり若村さんがいい」「若村さんすごい」とずっと褒めたという山田さん。

「役者を信じてくださり、あれだけのエネルギーや思い、覚悟を持って現場に立ち向かった山田監督と出会えたことは、負けずに生きる力になります。妻として母として映画人として、全力で完走された山田監督が生んだ映画はこれからも多くのかたたちの心に届き続けるはずです。この作品に参加できたことは誇りです」

映画『われ弱ければー矢嶋楫子伝』で常盤貴子演じる主役・楫子の夫を演じた渡辺(提供/現代ぷろだくしょん)
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笑うシーンではないのに笑われた

遺作となった映画『わたしのかあさん―天使の詩―』など3作品に出演した渡辺いっけい(62才)は目頭を熱くし、こう話す。

「人生100年時代と言われていますが、監督のように魂を燃やして、最後の最後までエネルギー120%で生きる人はなかなかいないと思います」

山田さんに初めて会ったときのことは、いまでも忘れられないという。

「撮影場所から離れたディレクターズチェアに座って、モニターを見ていました。山田さんは現場を助監督に任せて本番を待っていたんですが、助監督が段取りを説明している最中、“本番いくよ!”と遠くから声がかかるんです。つまりせっかち(笑い)。とにかくカメラを回したくて仕方がないんだなって思いました」(渡辺・以下同)

山田さんから役や演技について指導されたことは一度もなく、「役者として与えられた役に、血と肉をつけるというシンプルな役割に挑戦できるのがおもしろい」と語る渡辺には、印象深い作品がひとつある。明治・大正時代に女子教育に力を注ぎ、女性の人権活動に尽力した矢嶋楫子を描いた『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』(2022年)だ。

「撮影は1、2日ぐらいでしたけど密度の濃い撮影でした。ぼくの役は元武士で、時代に取り残されたイライラを、お酒を飲んで家族に当たり散らす男。子供にまで刀を振り上げるような役で、夢中で演じていたら子役の子があまりに怖くて泣き出してしまってね。

何とか本番を終えると監督が“あんたおもしろいねぇ”って笑ったんです。笑うシーンじゃないのに、そう言ってもらったのは鮮明に覚えています」

以降、山田さんからのオファーは台本を見る前に「やります」と即決。『わたしのかあさん―天使の詩―』では寺島しのぶ(52才)の夫役で、役者人生で初めて、吃音を演じた。

「実際に吃音のかたも見るだろうし、役者として生半可なことはできない。いつも以上に演技は繊細でしたが、どう演じようかと真剣に考えたことは役者人生の糧になりました。現場でしのぶちゃんや子供たちと実際に演じると、台本を読んでいた以上のことができる。それがまたおもしろかったです」

3作品を通じて、山田さんが映画に込めた思いを渡辺はこう考える。

「大人になると処世術として覚えていく嘘もある。丸だと思っても三角だと言わなきゃいけないこともある。でも監督は“丸いものを丸いと言える人になりなさい”“おかしいことはおかしいと言える人になってほしい”と願っていたと思います。そういう人が多くなれば社会を変えることができると信じていたんだと思います。

山田さんの作品はこれからも多くの人に見ていただける。映画の中に監督は生きていて、多くの人に山田さんの熱い思いに触れてほしいですね」

92年の生涯に幕を閉じた山田さんの作品は、いまも全国各地で上映会が開催されている。

3月に行われたお別れ会で山田監督との思い出を述べる渡辺(提供/現代ぷろだくしょん)
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映画『一粒の麦 萩野吟子の生涯』で主演を務めた若村(提供/現代ぷろだくしょん)
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(前編はこちらから)