
古今東西、家族関係の悩みはなくならず、とりわけ嫁姑問題は時代が変わってもなお永遠だ。実際の事件を紐解くと、深い憎しみが、一線を越えてしまう悲劇が明らかに──。
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「義母が血を流して倒れている」
1997年5月10日の夕方、119番に通報があった。
救急に連絡を入れたのは、神奈川県川崎市在住の藤岡明美(仮名・45才)。パートを終えて自宅に帰った明美の目に飛び込んできたのは、畳の上で、鼻と口から血を流して倒れている義母・ヨシ子さん(仮名・77才)だった。
「警察は何者かによる殺人の可能性が高いと、すぐさま特別捜査本部設置の意向を発表しました。しかし、翌日に事件は思わぬ展開を迎えます。通報者の明美がヨシ子さんの遺体から目を背けるなど、不審な行動をしていたことを重要視した警察が明美を追及したのです。すると、明美はあっさりと犯行を認めました」(全国紙社会部記者・以下同)
第一発見者が犯人―まるで“2時間ドラマ”のような展開だが、嫁姑の間にいったい何があったのか。
藤岡家は明美と夫の英夫さん(仮名・51才)、息子の英嗣さん(仮名・20才)、そしてヨシ子さんの4人家族だった。
「当時、夫は茨城県に単身赴任中で、息子は消防士の学校に通うために家から離れており、休日しか家族がそろうことはなかったそうです。実際は、明美とヨシ子さんの嫁姑の2人暮らしだったといえるでしょう」
同じ家に住む2人の女。しかし暮らしぶりは異なった。
「ヨシ子さんは編み物や園芸が趣味でした。腰痛のために通院はしていましたが、買い物にも出かけ、近所の友人と育てた花を交換するなど地に足のついた生活を送っていました。
一方、明美は何に使っていたかわかりませんが、借金で首が回らなくなっていたといいます。事件当日、パートから一時帰宅してヨシ子さんと昼食を共にした際に借金を頼んだようです」
しかし、ヨシ子さんはその申し出を拒否した。
「それもそのはず、その申し出のわずか3日前に明美はヨシ子さんの銀行口座から無断で10万円を引き出していたのです。明美の“窃盗”はすぐにばれて、ヨシ子さんから“おまえだけ無駄遣いしてはだめだよ”と諭されたばかりだったといいます」
しかし、明美にヨシ子さんの思いは届かなかった。借金を断られて逆上した明美は、台所にあった約5kgの漬けもの石やゴルフクラブでヨシ子さんの頭や顔などを殴打して殺害。
その後は何食わぬ顔でパートに戻って仕事をし、アリバイを作った。そして第一発見者を装い、罪を隠そうとしたのだ。
「裁判の起訴状によると、明美は10万円を盗んだことをほかの親戚に知られることを恐れて犯行に及んだとされます」
明美は逮捕直後の供述でも「日頃から借金のことで注意されていたので、カッとなって殺した」と明かしている。
浅はかな行動によって、明美の所業は親戚どころか全国に知れ渡った。
※年齢は事件当時。
※女性セブン2025年12月18日号