“異様な親子”と猛バッシング
そして、学習院初等科の3年生だった愛子さまもまた、大きな悩みを抱えていらっしゃった時期でもある。
「愛子さまは前年の3月頃から、男子児童の乱暴な振る舞いに恐怖心を感じられ、不規則登校をされるようになっていました。雅子さまは愛子さまになんとか学校に通ってもらうため、愛子さまの登下校に付き添われるようになったのです。
そんな雅子さまに対し、“ご公務はできなくてもお付き添いはできるのか”“プライベート優先”といった、いわれのない批判が相次いだ。遠方でのご公務は、病気療養中の雅子さまにとっては大きな負担が伴います。決して被災地をないがしろにされていたわけではないのですが、雅子さまは当時、張り裂けるような思いを抱えられていたといいます」(前出・別の皇室ジャーナリスト)
愛子さまが登校への不安を乗り越えられたのは、2011年9月、雅子さまが付き添われた山中湖での校外学習がきっかけとされている。
「雅子さまは時間差で愛子さまと同じルートをたどられました。児童たちが乗ったバスを、雅子さまの乗られた車が追い、そのうしろに警察車両や白バイ10台ほどが列をなす光景は、 “異様な親子”と当時波紋を呼んだ。しかし愛子さまはこの行事を無事に終えられたことを機に、次第にお一人での登校ができるようになったのです」(前出・別の皇室ジャーナリスト)

実際、雅子さまは2011年の誕生日文書で、冒頭で東日本大震災に触れた後、《愛子の学校のことが私の生活の中で大きな部分を占めてきた年でした》と振り返り、山中湖の校外学習について《お友達の皆さんととても楽しく参加できたことが、学校生活に戻っていく上での大きな自信と励みになったように感じております》と綴られている。
「その年の誕生日文書では、震災よりも愛子さまについて、より多くの分量が割かれています。それほどまでに、当時の雅子さまは愛子さまのご成長を案じていらっしゃいました。こうした事情については、後年、愛子さまも当時の様子を時間をかけて理解されました。ご自身の状況が結果として雅子さまのご公務の“足かせ”となったことに、忸怩たる思いを抱えていらっしゃったそうです」(前出・別の皇室ジャーナリスト)
それから15年──愛子さまは雅子さまの支えのもとでこうした苦難の時期を乗り越え、国民からの絶大な人気を誇るプリンセスに成長された。
「この間、雅子さまは病の苦しみを抱え、世間の批判にさらされながらも愛子さまを見守り続けました。今度は愛子さまが、“雅子さまを支えたい”という思いでしょう。15年前の心残りを払拭するためにも、愛子さまは雅子さまとご一緒に、被災地に寄り添いたいという思いを強められているのではないでしょうか」(前出・別の皇室ジャーナリスト)
互いに手を取り合い、歩んできた母と娘。この春、積年の思いを胸に、ともに被災地に降り立つ。
※女性セブン2026年1月29日号