
若年層のSNS投稿を機に巻き起こった「昭和歌謡ブーム」の象徴的存在として再び脚光を浴びている伝説の歌姫・ちあきなおみ(78才)。活動休止後の日々に寄り添ってきた親友が秘められた思いを『女性セブン』に明かした。
2022年に30年ぶりに発売されたアルバムはオリコン1位を獲得し、2024年にデビュー55周年記念でサブスク解禁されると、代表曲の『喝采』や『雨に濡れた慕情』が時代を超えて多くの人の耳に届いた。
名曲の数々が聴き継がれる一方、ちあきの“活動休止期間”は今年でもう33年を超える。
「これまでたくさんよくしてもらって、どうやって恩返しをしたらいいかなって考えていたんです。“ちあきさんって歌だけじゃなくて、こんなに素晴らしい人なんだよ”ということが、世間の皆さんに伝わってほしいと思っています。
昨年末にも、電話で話をしました。“お肉送ったから、お正月にすき焼き食べて”って。レンジでチンすれば食べられるハンバーグとかの“お取り寄せグルメ”も送ってくれるんですよ」
そう話すのは、歌手の津軽ひろ子(78才)。彼女とちあきの交流は60年以上に及び、活動休止後のちあきを知る、数少ない親友のひとりだ。
青森県出身の津軽は、流しの旅芸人の家庭に生まれた。生活は苦しく、住んでいたのは無料で住まわせてもらっていたという「馬小屋」。5才の頃には母が病気で倒れて寝たきりになり、父が付きっきりで看病するようになったため、2才下の妹・民子さんと2人で夜の街を回って、歌と三味線でお金を稼ぐようになった。
後に民子さんと『東京三味線姉妹』として活動する津軽が、デビューを目指して所属した事務所にいたのがちあきだった。1960年代前半頃、まだ「ちあきなおみ」という芸名が生まれる前の出会いだったため、いまでも津軽はちあきのことを、本名の「みえちゃん」と呼ぶ。

「同じ時期に下積みをしていて、昼はレッスン、夜はキャバレーで歌ってという生活でした。マネジャーなんていない時代でしたから、みえちゃんは衣装も化粧品もバンド用の譜面もすべて1人で持って、地方の営業先を回っていましたね。
別々の店で歌って、朝一番の列車で一緒に東京に戻ってくることもありました。寒い時期は、みえちゃんが持っていた1着のコートに、私と妹とみえちゃんの3人でくるまったりしながらね」(津軽・以下同)
苦労が実り、津軽と民子さんは1967年にデビュー。その2年後にちあきはデビュー曲『雨に濡れた慕情』で音楽シーンに鮮烈な印象を与え、一気にスターダムを駆け上がった。多忙になったちあきと津軽は一時期疎遠になったが、その数年後に地方でのコンサートで再会。以来、気心の知れた友人として、関係が続いた。
その間、ともに大きな人生の転機があった。1977年、民子さんが腎不全を患い歌手を引退。7年間の闘病の末、1983年に脳出血で倒れてこの世を去った。
一方のちあきは、映画俳優の郷鍈治さんと1978年に結婚。郷さんはちあきの個人事務所社長として彼女を支え、固い絆で結ばれていた。だが、郷さんは1992年に肺がんのため55才でこの世を去ってしまう。
「郷さんの闘病中、みえちゃんは病院から仕事場、仕事が終わったら病院へという生活を続けていました。でも、“そばにはいられるけど、お医者さんじゃないから何かをしてあげられるわけじゃない”って、つらさを感じていたようです。
郷さんが亡くなったときに、お別れをしに行ったんですけど、“顔を見てあげて”って私に言うみえちゃんが心配になるくらい痩せていて、見ていられなかった。その頃は、みえちゃんにしょっちゅう電話して励ましていました」
郷さんの死後、ちあきは「主人の死を冷静に受け止めるにはまだ当分時間が必要かと思います」というコメントを発表し、芸能活動を休止した。
1月22日発売の『女性セブン』では、ちあきが33年間表舞台に戻らない理由や活動休止後に披露した歌声などについて、親友・津軽ひろ子の証言を詳報している。