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《黒柳徹子、『徹子の部屋』50周年の異変》同番組プロデューサーらが『記念財団』の理事を辞任 その陰で存在感を強める“ビーズ作家”、辣腕ぶりに黒柳は全幅の信頼 

テレビ界の“レジェンド”黒柳徹子
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 放送開始から50年の節目を迎え、ギネス記録を更新し続ける“お化け”番組の名司会者。いまなお意気軒高な彼女だが、昨年、その周囲から姿を消した人もいるという。その陰で存在感を強める人物とは──。【全文】

《あと何年『徹子の部屋』と一緒に居られるか分かりませんが、少なくとも100歳までは共にやりたいと思っています》

 2月1日、自身のインスタグラムにそう綴ったのはテレビ界の“レジェンド”黒柳徹子(92才)である。1976年にスタートした『徹子の部屋』(テレビ朝日系)は今年50周年の大きな節目を迎え、同日夜に放送された記念特番にはSnow Manの目黒蓮(28才)や明石家さんま(70才)、宇多田ヒカル(43才)ら錚々たるゲストがお祝いに駆け付けた。

「目黒さんと一緒にSnow Manの『カリスマックス』の振り付けを踊ったり、速射砲のようにしゃべり続けるさんまさんに鋭いツッコミを入れたりと、黒柳さんならではの名司会ぶりは特番でも健在でした。特に印象的だったのは、ゲストのサンドウィッチマンの伊達みきおさん(51才)から番組の“継承者”について聞かれたときのこと。黒柳さんは『そんな大それたこと考えたこともないわよ』と謙遜しつつも『100才のときにやりたいという人がいたらお譲りしてもいい』と打ち明け、あと8年は番組を続ける意向を表明したのです」(芸能関係者)

 放送回数は1万2600回超。ギネスブックにも認定された《同一司会者によるトーク番組の最多放送回数》の世界記録は、現在も更新され続けている。

「5年前に米寿を迎えたとき、黒柳さんは『50周年で(番組が)終わると思う』と予言し、その後は『政治記者をやってみたい』などと話していました。2017年に大腿骨を骨折し、その後も腰痛に悩まされコルセットを巻いて収録に臨んだこともあるそうです。さすがに弱気になった時期もあったようですが、周囲の支えもあって次第に気力を取り戻し、いまでは若い頃以上に番組を続けることに前向きになっています」(前出・芸能関係者)

 卒寿を超えてもなお休みなく働き続ける黒柳。彼女を公私ともにサポートしているのは、黒柳が“親友”と呼ぶビーズ刺繍作家の田川啓二氏である。

「スタイリッシュな風貌で、ファッション業界では“ビーズの貴公子”と呼ばれたイケオジです。宮沢りえさん(52才)や後藤真希さん(40才)、中尾ミエさん(79才)も彼がデザインするオートクチュールドレスの顧客。黒柳さんの亡くなったお母さんも彼の大ファンで、2002年に『徹子の部屋』に出演したのを機に家族ぐるみの交流が始まりました」(別の芸能関係者)

 田川氏は黒柳の衣装を制作するだけでなく、仕事全般を手伝うようになり、2016年に黒柳の個人事務所の社長に就任。2年ほどで退任したが、現在も田川氏の部下が代表を務めている。同時期にこれまで独身を貫いてきた黒柳の心境にも大きな変化が起きていた。

大学で教鞭を執ることもある田川氏(田川氏のHPより)
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「2017年頃に出演したバラエティー番組で、黒柳さんが突然“結婚したい”と発言して周囲を驚かせたのです。その後もファッション誌のインタビュー動画で『私、年上の人が好きだったんですけど、そうすると介護になるぞと皆に言われるので、若いかたでもどなたでも』と願望を明かし、お相手とは『一緒にお茶飲んだり、ご飯食べたりするの』とうれしそうに語っていました」(前出・別の芸能関係者)

 黒柳らしいリップサービスとも受け止められたが、その後も黒柳と田川氏の距離は急速に縮まっていった。

「2021年に開設したYouTubeチャンネル『徹子の気まぐれTV』では、2人が“お茶を飲んだり”、“ご飯を食べたり”する場面が盛んに投稿されています。田川さんと出会ってからの黒柳さんは以前より若々しくなったと評判で、YouTubeで焼き肉や中華料理を“爆食い”したり、ファストファッションを“爆買い”する姿が話題を呼びました」(ファッション誌関係者)

 公益財団法人「黒柳徹子記念財団」(“柳”は異体字)が田川氏の会社と同じ所在地に設立され、田川氏が代表理事に就任したのは2018年。昨年7月には財団が管理・運営する『黒柳徹子ミュージアム』(“柳”は異体字)が長野県・軽井沢町にオープンした。

「黒柳さんがテレビの出演料のほとんどを注ぎ込んだという美術品などのコレクションが飾られ、番組で実際に着たハナエモリなどのきらびやかな衣装が所狭しと展示されています。入場料は1800円とやや強気な設定ですが、休日ともなれば観光客で賑わい、軽井沢の新しい名所として定着しています」(地元関係者)

 異変が起きたのはミュージアムの開館から数か月後のことだった。

「昨年11月に長年、黒柳さんを支えてきたテレビマンユニオンの会長が財団の評議員を辞任し、長きにわたってCMスポンサーを務めた薬品会社の会長も理事を辞任しました。周囲を驚かせたのは『徹子の部屋』のプロデューサーで、黒柳さんの“盟友”として知られる田原敦子さんまでもが理事を辞めたこと。田原さんは2003年から20年以上、『徹子の部屋』を盛り立ててきた功労者ですが、以前から田川さんとは折り合いがよくなかったとの話もあり、関係者の間で波紋が広がっています」(前出・芸能関係者)

 入れ替わるようにして、新たに財団の理事に就任したのは田川氏とも親しい中尾ミエだった。

「田川さんが、黒柳さんの仕事やイメージを守るために心を砕いていることは間違いなく、その辣腕ぶりには黒柳さんも全幅の信頼を置いています。しかし、周囲を関係者で固め、古くからの知り合いを遠ざけるようなやり方は反発を受けることもあり、黒柳さんの仕事にも影響が出ている。終活に否定的で、『行き倒れたら誰かが助けてくれる』と言っている黒柳さんですが、すべてを田川さんに託しているようにも見えます」(前出・別の芸能関係者)

 黒柳は『徹子の部屋』を始める際、テレビ局側に「できるだけ長く続ける」、「なるべく編集をしない」という2つの条件にくわえ、「スタッフを変えない」というルールを課し、50年間、守られてきた。この期に及んでなぜ恩人や盟友と“決別”したのか。財団に複数の役員が辞任した理由を尋ねたが、締め切りまでに回答はなかった。『徹子の部屋』の継承者は未定でも、彼女の理念を継ぐ“後継者”はすでに決まっているのかもしれない。

女性セブン202621926日号

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