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《実録事件簿》元日に訪れた介護の限界、義母の頭部に木製バッドを振り下ろし続け…「こんなに世話をしているのにどうしようもない人」

シニアの肩に服をかけている
嫁は約3年、介護を続けていた。(写真/PIXTA)
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古今東西、家族関係の悩みはなくならず、とりわけ嫁姑問題は時代が変わってもなお永遠だ。実際の事件を紐解くと、深い憎しみが、一線を越えてしまう悲劇が明らかに──。

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「やらんでいい!」

 2002年1月1日、午前4時半。新しい年を迎えたばかりの元日に、福岡県郊外の戸建てで老女の怒号が響いた。声の主は前田タエさん(仮名・85才)で、怒鳴られたのはタエさんの長男の妻・芳江(仮名・52才)。

タエさんは2001年7月に脳梗塞で倒れ、左半身が不自由になったため近所の病院の介護病棟で入院生活を送っていた。しかし、自宅で正月を迎えたいと、12月30日から一時帰宅。芳江はその介護のため、夫の実家を訪れていた。

冒頭の怒号は、左手が動かないタエさんのトイレ介助を終え、下着の着替えを手伝おうと芳江が手を差し出した瞬間に発せられた。と同時に、芳江の手はタエさんに激しく振り払われ、その瞬間、芳江は感情のまま体が動き、タエさんの首を絞めた。そして、そばにあった長さ86cmの木製バットを手に取り、何度もタエさんの頭部に振り下ろし続けた―

「騒ぎに気づいた芳江の夫が、倒れているタエさんを発見しました。まだ息があり救急車を呼びましたが、半日後に亡くなりました。芳江は犯行後、放心状態で真冬の田園地帯を2時間近くさまよっていましたが、一緒に実家を訪れていた息子に発見され、促されるまま警察署に出頭しました」(当時を知る地元関係者・以下同)

芳江は結婚後、息子2人と娘1人に恵まれ、幸せな生活を送っていた。しかし、婚姻前から嫁姑の確執があったという。

「一人息子の結婚相手である芳江が外国籍であるという理由から、タエさんは結婚を強く反対。結婚して20年以上経った頃の芳江の日本語は当初よりかなり上手になりましたが、少しでも違和感があるとタエさんは“ちっともうまくならない”となじったそうです」

一方、子供会の役員を務めるなど、明るく控えめな人柄で周囲に溶け込んでいた芳江は、親を大切にする「孝行嫁」として近所で評判だった。

「1998年に義父が入退院を繰り返すようになると、芳江が介護を担うように。実家から1時間ほど離れた場所に住んでいた芳江は、車の運転ができないため雨の日も風の日もバスと電車を乗り継ぎ、1時間以上かけて通い続けました」

2000年の春、ようやく義父を看取ったのも束の間、その翌年にタエさんが倒れ、再び終わりの見えない介護が始まった。タエさんはかつて理容店を営み、60才を過ぎても元気に働いていただけに、突如として動けなくなったことへの葛藤があったのだろう。そのいら立ちからか、芳江へのあたりはよりいっそう強くなったという。

「芳江もがまんの限界が来たのでしょう。警察の調べに対し“日頃から折り合いが悪かった”“こんなに世話をしているのにどうしようもない人だと思った。おばあちゃんを殺して自分も死のうと思った”と供述しています」

福岡地裁が芳江に下したのは懲役7年の実刑判決。裁判長は「家族に尽くしてきており、不幸で残念な事件だ」と述べた。

※年齢は事件当時。

※女性セブン2026年4月30日号