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《津田寛治×アンミカ対談》映画人を夢見た上京当時を振り返り、北野武監督との運命的な出会いを明かす「アルバイト先がたまたま監督の行きつけで…」

津田寛治さんとアンミカさん
津田寛治さんとアンミカさん(撮影/田中智久)
写真3枚

モデル・俳優のアンミカさんが「ずっと会いたかった人」をゲストに招き、軽やかに奥深く人生を語らう注目連載「アンミカのカラフル幸福論」。第17回ゲストは北野武監督の『ソナチネ』(1993年)でデビューし、数々の作品でご活躍されている俳優の津田寛治さん。映画が大好きな私は、スクリーンで何度お目にかかったことかわかりません!映画を愛し、映画に愛される津田さん。その映画愛をたっぷり聞かせてください!

アンミカ:津田さんといえば、名バイプレーヤーとして数多くの作品で活躍されていますが、今年3月に公開された映画『津田寛治に撮休はない』では主役を務めていらっしゃいますね。

津田:監督から、「津田さんが、津田さん自身を演じる作品を撮りたい」とオファーがあったんです。まさか、映画のタイトルに自分の名前が入る日がくるなんて思わなかったので、役者冥利に尽きます。

アンミカ:想定外すぎるオファーですよね。

津田:タイトルに名前が入るなんて、チャップリンやエノケン(榎本健一)の世界ですからね。

アンミカ:撮影中は、演じているのか自分自身なのか、わからなくなりませんでしたか?

津田:なるんですよ! ある日を境に、私生活と映画の役が混ざりあって自分が何者なのかわからなくなるミステリー要素もある作品なのですが、ぼく自身も完全にその世界観に翻弄されてしまいました(笑い)。

アンミカ:これまで700本以上の作品に出演されている津田さんが撮影中に翻弄されるなんて! 幼い頃から映画が好きだったという津田さんの俳優としてのキャリアの原点や、忘れられない作品が気になります。

津田:なんといっても北野武監督の作品です。監督にいただいた役のおかげでいまの役者人生がありますから。

アンミカ:たしかに津田さんといえば北野映画の常連俳優のイメージです。出演されるきっかけはオーディションだったんですか?

津田:いや、ぼくからの熱烈なラブコールです(笑い)。俳優を目指して上京したときの話からしていいですか?

アンミカ:もちろんです。

津田:映画人を夢見て、18才で福井県から上京して劇団や事務所に入りましたが、これがインチキ臭いところばかりだったんです。仕事なんか全然なくて、レッスンばかりしてお金を取られる日々。ぼくのプロフィールも、「とにかくたくさん書いておけばそれっぽくなるんだよ」と、やってもいない作品をバンバン書かれたりして。

アンミカ:失礼ですけど、その事務所は怪しすぎる(笑い)。

津田:事務所を移っても、似たり寄ったりの環境でした。そんなある日、マネジャーさんに「最近いい映画ありましたか?」と聞いたら、「こっちは映画を見るほど、暇じゃねぇんだよ」と言われて。その言葉を聞いて、自分は映画の世界に入りたくて上京したのに、ひょっとしたらいちばん遠いところにいるのかなと気づいてしまったんです。

アンミカ:夢を追いかける青年にとっては耐えられない環境ですね。

アンミカ
アンミカさん(撮影/田中智久)
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俳優人生が動いた北野武との出会い

津田:自分の環境を一度リセットして、日本の映画を勉強する時間をつくることにしました。レンタルビデオ店や映画館に通い、片っ端から作品を見まくりました。

アンミカ:映画修行ですね。

津田:映画を見ている中で、“この監督すげぇ!”と心から思ったら、その監督の事務所を調べて、直接プロフィールを渡しに行ったり、郵便受けに入れたりしはじめました。自分の言葉で思いを伝えたら、暑苦しくても聞いてもらえるんですよね。少しずつ、「お前よく見てくれてるな。今度オーディションやるから来いよ」という反応をいただくようになりました。

アンミカ:すごい行動力。そこで北野映画に出会うんですね。

津田:衝撃でしたね。北野監督の作品は日本映画の概念を覆す映像かつ、俳優がとてもリアルな芝居をしていて、どうやったらこんな作品を撮れるんだろう、見学だけでもさせてもらいたいと憧れていました。そうしたら、ぼくのアルバイト先がたまたま北野監督の行きつけだと知ったんですよ。

アンミカ:まさに映画のような展開ですね!

津田:当時、少しでも映画の世界を感じていたくて港区の麻布十番にある録音・編集スタジオ『アオイスタジオ』の喫茶店で働いていたんです。お店のママが「監督ならこのスタジオでよく仕事しているから、来たときにプロフィールを渡したら?」と背中を押してくださって。すると『あの夏、いちばん静かな海。』(1991年)の仕上げで監督がスタジオに来られて、編集の合間に喫茶店を利用されたんです。

アンミカ:話を聞いているこっちまで緊張してきます。

津田:店員の立場をわきまえつつも、なんとか話せるタイミングはないかと様子をうかがっていたら監督がひとりでトイレに向かわれたので、「ここだ!」と。

アンミカ:まるで、北野映画のヒットマンの動き(笑い)。

津田:あははは。トイレで声をかけたのに、ぼくのつたない話をじっと聞いて、手紙とプロフィールも受け取ってくださったんです。一歩踏み出せたと思いましたね。

アンミカ:それからお返事は?

津田:少し期待はしましたが、ありませんでした。けどその1年後に、またその喫茶店でお会いすることになるんです。

アンミカ:すごい!

津田:監督は年に1本のペースで映画を製作されていて、そのときは『ソナチネ』(1993年)のクランクイン前日にいらっしゃいました。「あんちゃん、まだ俳優やってんのかい?」と声をかけてくださって感激していたら、ママが「この子は北野作品に出るのが夢で俳優を頑張っているのに。オーディションにも呼んでくれないなんてひどい!見損ないましたよ!」と猛烈に抗議してくれました(笑い)。

アンミカ:ママさん、愛情深い~。

津田:感謝しかありません。そうしたら監督が、「そうか、ごめんごめん!」と言い残して、スタッフさんとの打ち合せに戻りました。しばらくして、監督に「あんちゃん」と呼ばれたので注文を取りに行ったら、スタッフに向かって、「このあんちゃんのシーン増やすから」と説明をはじめたんです。

アンミカ:その場で!?クランクインの前日にシーンを増やすなんて、監督も義理堅いですね。

津田:喫茶店のウエーター役で出番をつくってくださり、「(せりふが)『すみません』のひと言だけでごめんな」と気遣ってくださったんですが、もう夢見心地です。

アンミカ:憧れの世界にグッと距離が近づきましたね。現場はいかがでした?

津田:事前に渡された台本はA4の紙2枚だけ。ぼくが出るシーンの抜粋かなと思ったら、作品の筋書きがすべて書かれていて“これで全部!?”って驚きました(笑い)。それで現場に入ったら「お茶をしている女性客をナンパする設定です。ハイ」と、5行くらいのせりふが手書きされた紙きれを渡されたんです。

アンミカ:話が違う~(笑い)。でもせりふが増えたんですね。

津田:うれしいけど焦ってしまって、テストはしどろもどろ。すぐ本番だったので、そのせりふは忘れて自分の言葉でナンパしようと腹をくくったんです。アドリブでバーッと演じたら「うん、はいOK」と監督の声が聞こえました。スタッフさんがすぐに来て、「監督が、沖縄のシーンにも津田さんに出てほしいと言っています」と、さらに出番が増えたんです。

アンミカ:津田さん自身の言葉が監督に伝わったんでしょうね。

津田:不思議なもんですね。気づいたら東京に出てきて10年くらい経っていました。『ソナチネ』が生まれた現場に立ち会えて、「芝居は自分をさらけ出すことなんだ」と、北野監督が背中で教えてくださったから、ぼくはいまでもここにいられるんです。

津田寛治
津田寛治さん(撮影/田中智久)
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チャンスをくれた俳優「大杉漣」

アンミカ:それにしても『ソナチネ』は、錚々たる俳優のかたがたが名を連ねていましたよね。

津田:そうなんです。この作品で大杉漣さんにも出会えました。大杉さんはとてもフランクで、駆け出しのぼくにも「津田くんだよね。ぼくも現場でシーンが増えて沖縄に行けるようになったんだ。一緒に頑張ろうね」と声をかけてくださったんですよ。

アンミカ:なんて気さくな先輩!

津田:感激しました。大杉さんは転形劇場という前衛的な劇団の看板俳優で、ぼくはずっと大ファンでした。それなのに、初対面ではご本人だと気づけなくて。沖縄ロケで食事をしたときに大杉さんだとわかって、どれだけ魅力的な舞台だったか機関銃のようにしゃべりまくったんです。竹中直人さんの初監督映画『無能の人』(1991年)での大杉さんの演技や、作品についても熱弁をふるったら「竹中さんに今度紹介してあげるよ」と言ってくださいました。

アンミカ:映画修行期間のマシンガンラブコール作戦が見事に功を奏しましたね。それにしても、大杉さんのお人柄とやさしさが胸に染みます。

津田:はい。その言葉だけで大満足だったのに、沖縄から帰ってきたら「あさってあたり竹中さんと会う予定だけど来られる?」って、わざわざ電話をくださったんです。

アンミカ:その場のサービストークで終わらせず、本当に義理堅いかた!

津田:竹中さんに会う日、大杉さんは「ぼくはきみの親ではないから、自分の思いは自分で伝えるんだよ。自分の言葉が大切なんだからね」とおっしゃった。そして竹中さんに「彼はいま頑張っている若手の俳優です」と紹介してくださったんです。そこでぼくがまたマシンガントークで竹中さんが撮った映画への愛を語っていたら「ちょっとこれ読んでみて」と原稿用紙に鉛筆で書かれた『ホテル』という詩を渡されました。

アンミカ:緊張する展開ですね。

津田:その場で朗読をしました。それがきっかけで『119』(1994年)という竹中さんの映画に出演させていただけることになって、びっくり仰天でした。

アンミカ:映画愛という芯があって、常に心を動かし続けてウオーミングアップができていたから、目の前のチャンスをつかめたんですよ。大杉さんとのご縁にしても、津田さんの実直な熱があってこそだと思います。

津田:大杉さんは、まず演劇の世界に役者として入ったのに制作の仕事ばかりだったんです。ようやく役をもらえて看板俳優になったのち、映像の世界に行ったらピンク映画の仕事が続いて。苦労された期間が長いんですよね。でも、それを若手に強いることはなくて、大杉さんはぼくたちに積極的にチャンスを与えてくれました。

アンミカ:簡単そうにみえて、なかなかできることじゃありません。

津田 ほかの俳優のかたからも「実はぼくも大杉さんに若い頃お世話になって…」という話をよく聞くんですよ。

アンミカ:津田さんにとって、大杉さんはどんな存在でしたか。

津田:東京のお父さんです。竹中さんを紹介してくださる日、本当は幼稚園にお子さんを迎えにいく予定だったそうなんです。でも「いま、若い俳優が人生の瀬戸際で戦っているからおれがいないとダメなんだ」と長い時間つきあってくださったんです。あとから奥さんにうかがいました。

アンミカ:「親じゃないからね」とおっしゃりながらも…。

津田:親以上ですよね。心根のやさしいかたなんです。いまでも「寛ちゃん、大丈夫?」と、声が聞こえてくる気がします。大杉さんを他人とは思えないんです。

アンミカ 本当にあたたかくて器の大きな先輩ですね。素敵な出会いの話、ありがとうございます。

(次号、後編へ続く)

津田寛治さんのHLLSPD

津田寛治さんに、Happy、Lucky、Love、Smile、Peace、Dreamについて答えてもらいました。今回はHappy、Lucky、Loveについて直撃!

Happy:何をしているときが幸せですか?

娘と映画を見に行っているとき

Lucky:小さなことでも「ラッキー!」と思ったことは?

朝起きたら晴れていたこと

Love:あなたが好きな言葉は?

柔よく剛を制す

周りとの違いを感じた少年時代から上京物語、そして幸せを感じる散歩論まで! 後編も幸福論がたくさん!

◆モデル・俳優・アンミカ

アン ミカ/1972年生まれ。1993年パリコレ初参加。モデル業以外にもテレビ・ラジオMC、俳優、歌手、テレビCM出演と多彩に活躍。「日本化粧品検定1級」など20個以上の資格を生かし、化粧品、洋服、ジュエリーなどをプロデュース。

◆俳優・津田寛治

つだ かんじ/1965年生まれ。北野武監督『ソナチネ』で映画デビュー。デビュー以後、数多くの映画やドラマ、舞台などに幅広く出演し、自ら映画の監督・脚本も務める。現在、自分自身を演じた主演映画『津田寛治に撮休はない』が全国公開中。

構成:渡部美也 衣装:ワンピース/レオナール イヤリング/アビステ(アンミカさん) コート、シャツ、パンツ/ともにヨーガンレール(津田さん)

※女性セブン2026年6月18日号

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