
モデル・俳優のアンミカさんが「ずっと会いたかった人」をゲストに招き、軽やかに奥深く人生を語らう注目連載「アンミカのカラフル幸福論」。第24回のゲストは俳優の秋野暢子さん。
秋野さんは同じ大阪出身の憧れのお姉さん。幼い頃からテレビで拝見していた私にとって雲の上の存在でした。いまでは誕生日を祝い合える仲になれて幸せです。いつお会いしてもおきれいで、飾らず細やかな気遣いにあふれた温かいかた。肩の力を抜きながら、これまでお伺いしてこなかった人生のお話をたっぷり聞きたいです!
アンミカ:私、秋野さんにとても感謝していることがあるんです。14年前に大阪から出てきた私が、東京を自分の居場所だと思えたのは、秋野さんのおかげなんです。
秋野:それは初耳だわ。アンちゃんと初めて会ったのは、テレビの生放送だったよね。
アンミカ:情報番組『知りたがり!』(フジテレビ系)でご一緒したのが最初です。その後、共通の知人が「アンちゃんを東京でよろしくね」と秋野さんに伝えてくれて。すぐに秋野さんがご自宅のお食事会に呼んでくださったんです。まだ大阪と東京を行き来している時期でした。
秋野:確か、旦那さんのテディとゴルフ場で知り合って、交際し始めた頃じゃなかった?
アンミカ:よく覚えてくださっている(笑い)。あの頃は東京の現場がどんなに素敵で楽しくても、 大阪が恋しくて地元を離れられなかった。でも秋野さんのご自宅で武田真治くんをはじめ同年代の人たちと深い話をする時間が増えていって、東京にも居心地がいい場所があると本気で思えたんです。
秋野:話が盛り上がって遅くまでよくいたもんね。
アンミカ:秋野さんの手料理がおいしすぎるから、ついつい長居しちゃって。お料理上手なのはお母さまからの直伝ですか?
秋野:母は45才で初めて米をといだようなお嬢様だから、料理はまったく。呉服店に嫁いで、そこでもかわいがられたから台所に立ってなかったんです。
アンミカ:えっ、でもじゃあどうして45才で台所に…!?
秋野:父が知人の保証人として借金を負って、家族の生活が一変してね。私が中学生で、母が45才のとき。もちろん料理以外にもやることはたくさんあったし、そもそも台所に立ったことのない人だったから料理のレパートリーも少なくて、栄養も偏っていて。中学生なりに危機感を持って、私が料理の勉強を始めることにしたんです。だから料理は独学なの。
アンミカ:すごい!それは料理本を見たり?
秋野:NHKの『きょうの料理』を欠かさず見て、基礎から応用まで見よう見まねよ。9才上の兄なんて、その後調理師になったから、私よりも必死に学んだんじゃないかな(笑い)。
アンミカ:当時はご苦労されたでしょうけど、きょうだい揃って、逆境を糧にする強さがあったんですね。
秋野:アンちゃんのそういう何気ない前向きな一言がうれしいわ。

「がんも防災」「病は知から」
秋野:そういえば私、この前ふとアンちゃんの顔が浮かんできてね。絵を描いてみたの。(スマホを渡して)ほら、これ見て。
アンミカ:うわぁっ、感激!めっちゃアンミカですやん!秋野さんの絵は、いつも筆のタッチや色使いからエナジーが伝わってきますけど、これは特にエネルギーに溢れていてうれしいです(笑い)。
秋野:実際、描くのはパワーを使うの。だけど、やっぱり描くことはすごく楽しい。ちょうど9月から始まる個展の作品を描き終えたところです。
アンミカ:そもそも絵を始めようと思われたきっかけは何だったんですか?
秋野:50才の節目で何か新しいことを始めたいと思って加山雄三さんに相談したんです。そしたら「絵はどう? 自分の好きに描けばいいんだから、気楽にさ」って。それがきっかけで始めました。
アンミカ:まさか若大将がきっかけとは。いまでは個展も開かれて、もう趣味の域を超えていますね。
秋野:最初は趣味だったの。でも、60代でがんを経験したことで、個展を開いて収益の一部をがん研究などの団体に寄付するという目的ができたんです。自分の活力のために始めた趣味が、社会に還元されて、素敵な感想をいただいて私の喜びになる。いい循環よね。
アンミカ:4年前に食道がんを患われたと聞いたときは、こんなに健康的な生活をしている秋野さんが…とびっくりしちゃって。
秋野:私もよ!
アンミカ:秋野さんほど健康に気をつけていらっしゃるかたを本当に知らないんです。
秋野:どれだけ健康を意識した生活を送っても、がんになるって思い知ったわ。関係ないのよ。だからこそ、がんという病気を事前に知っておいた方がいいと伝えています。対処法や薬のことを知っていれば慌てないでしょ。講演では「がんも防災」「病は知から」と、いつも話してるの。
アンミカ:知識がないから必要以上に怖がってしまうのは、どんなことでも同じですよね。
秋野:それに知識がない状態で焦ってしまうと、不確かな情報を信じてしまう危険性にも晒される。
アンミカ:お料理を始めたときと同じで秋野さんはいつだって常に一歩先を読みながら、前向きな姿勢を崩さないですよね。でも、闘病中はなかなか周囲に言えなかったつらさや悩みはありましたか?
秋野:そういうのも本当になかったのよ。
アンミカ:お強すぎます!
秋野:アンちゃんもそうだったし、皆たくさん心配してくれてね。電話で泣いている人もいてね。
アンミカ:それで秋野さんが逆に励ましてくれるっていう(笑い)。
秋野:さっき話したように、事前にがんについて学んでいたからね。女の人は抗がん剤の副作用で髪が抜けることで、精神的に強く落ち込むと知っていたから、だったら事前になくせばいいじゃないって、治療前に自分でそったんです。
アンミカ:すごい覚悟でしたよね。
秋野:病院に行ったら、主治医の先生が驚いちゃってね。「秋野さんが使う抗がん剤は、ほとんどの人が抜けない種類ですよ」だって。
アンミカ:ずてーっ!
秋野:そこまで調べきれてませんでしたー!
アンミカ:大変なことなのにオチまで最高です。病を前にどうしてそんなに朗らかなんでしょうか?
秋野:秋野暢子の「暢」は暢気の「暢」なのよ。アンちゃんもそうだけど普段から物事を悪く考えないでしょう。
アンミカ:そうですね。起こることを変えられないなら、自分の考え方と視点を変えることで物事は好転すると信じています。
秋野:それと同じよ。悲しんでも病気は治らない。皆が元気になれと祈ってくれているんだから、きっと大丈夫ってね。
アンミカ:秋野さんは、プライベートでも「大丈夫よ」とよくおっしゃってくださいますよね。
秋野:大丈夫はすべてに「人」の字が入っているでしょ。そのことに気づいて、いい言葉だなって。人は支え、支えられながら寄り添って生きているの。大丈夫と思い込むことで自分も支えられるしね。
アンミカ:常に人に囲まれている秋野さんらしい素敵な気づきです。

尊厳死協会の会員証は親から子への贈り物
アンミカ:私、いま自分が終活をすべきかどうか考えているんです。
秋野:50代に入ると、親や知人が亡くなったり、いろんなことをきっかけに考えるわよね。
アンミカ:両親も子供もいないんですけど、きょうだいが5人いて、残したものを分けるということがだんだんリアルになってきて。争ったりはしないと思っているんですが。
秋野:アンちゃんのごきょうだいは争わないわよ。
アンミカ:終活って自分の持ち物の整理以外もあるじゃないですか。秋野さんはお母さまと、終活について話されていたんですよね。
秋野:私が当時20才のとき、60才だった母が「お母ちゃん、これに入ってん」と日本尊厳死協会の会員証を見せてきたの。「私が死にかけて、もうあかんと医者が言うたら『延命措置をせんといてください』と表明するカードや」って。
アンミカ:成人したタイミングで意思を伝えられたんですね。
秋野:ピンとこなくて、ふーんという感じだったんだけど、母が78才のときに腎臓を患って、肺炎にもなり危篤状態になったの。そのときにお医者さんに「尊厳死協会の会員であると承知しています。判断はご家族になりますが、どうされますか」と聞かれて、“昔言っていたアレだ!”と思い出した。
アンミカ:どのくらいで決断を迫られるものなんですか。
秋野:延命措置を施さなければ、1時間持つかどうかと言われて、30分間悩みました。最終的に、母は機材やチューブをつけて生きることは望まないだろうと思い「母の思った通りにしてあげてください」とお願いしました。それから30分くらいで息を引き取ったの。
アンミカ:お母さまの意思だとはいえ、決断をするのは簡単ではなかったと思います。
秋野:決めてすぐに亡くなったから、その後がつらかったわ。母の寿命を自分が決めてしまった後ろめたさが、墨を水面に落としたように心に広がって消えなかった。
アンミカ:でも秋野さんご自身も、お母さまと同じく60才になったときに、尊厳死協会の会員になられていますよね。
秋野:私にも娘ができて、母は家族に迷惑をかけたくなかったんだ、って気づいたの。それで心の底にあった墨のにごりがスーッと溶けていってね。私も同じように「ママさ、こんなのに入ったんだけど」と、成人した娘に会員証を見せたら「ふーん」って私とまったく同じ反応よ(笑い)。
アンミカ:私も親とそういう会話が元気なときにできていたらよかったなと思いました。
秋野:アンちゃんは、若いときにご両親を亡くされているのよね。
アンミカ:母は植物状態になってから長く生きたので、10代の私から見てもかわいそうでした。
秋野:自分がしてあげられることが少ないのもつらいよね。
アンミカ:床ずれであちこち痛いだろうし、器具を外してほしいだろうけど、意思表示ができない。貧乏なうえに医療費がかさんで父は出稼ぎをして、私たち子供は別の家に預けられて。何が正解なのかわからないまま、家族バラバラで植物状態になった母の医療費を払い続けていました。
秋野:誰かが悪いという話じゃないから責めることもできないもんね。よく頑張ったね。
アンミカ:その経験があるから、「親はあのとき、ああ言っていた」と決断のよりどころになる会員証の存在は、救いになる贈り物だなって思うんです。
秋野:そうやっていつか私の娘もわかる日が来るのかもね。
アンミカ:そうですね。
秋野:贈り物といえば、アンちゃんがよく来てくれるあの家は、私が母へ20代のときにプレゼントしたものなのよ。
アンミカ:秋野さんのお宅は立地もいいし、建物も素敵で大好きだけど、20代で買われていたとは!
秋野:20才になったときに親に恩返しがしたくて欲しいものを聞いたら、「そうやなぁ、東京に家買うて!」と言われてね(笑い)。
アンミカ:20才には、荷が重いお願いですね(笑い)。
秋野:かけだしの女優ですぐには銀行がお金を貸してくれなかったけれど、支店長さんが「25才までちゃんと積み立ててください。そうしたら貸せるようにします」と、計画を立ててくれたんです。それで無事に、25才のときに融資が受けられて、母にプレゼントすることができました。
アンミカ:思いの詰まった場所にお邪魔させてもらっていつもありがとうございます。秋野さんの俳優としての駆け出し時代についても、後編でぜひ伺いたいです!
(次号、後編へ続く)
秋野暢子さんのHLLSPD
秋野暢子さんに、Happy、Lucky、Love、Smile、Peace、Dreamについて答えてもらいました。今回はHappy、Lucky、Loveについて直撃!
Happy:何をしているときが幸せですか?
「今日もいい日になりますように」と空を見上げて深呼吸しているとき
Lucky:小さなことでも「ラッキー!」と思ったことは?
病を乗り越えて、新しい人生の目標や経験を共有できる仲間ができたこと
Love:あなたが好きな言葉は?
大丈夫
朝ドラヒロインの誕生秘話から、いつまでも輝き続ける健康の秘訣まで! 後編もポジティブ対談が続きます!
◆モデル・俳優・アンミカ
アン ミカ/1972年生まれ。1993年パリコレ初参加。モデル業以外にもテレビ・ラジオMC、俳優、歌手、テレビCM出演と多彩に活躍。「日本化粧品検定1級」など20個以上の資格を生かし、化粧品、洋服、ジュエリーなどをプロデュース。
◆俳優・秋野暢子
あきの ようこ/1957年生まれ。NHK連続テレビ小説『おはようさん』のヒロインに抜擢され一躍注目を集め、映画・テレビ・講演などで活躍。9月9~14日、銀座三越本館7階ギャラリーにて『〜この桜は散りません〜秋野暢子と希望の輪展』を開催。会期中は全日11~17時本人在廊。
撮影/田中智久 構成/渡部美也 衣装/ブラウス、ショートパンツ/ともにドゥクラッセ ネックレス/アビステ ピアス/グロッセ ジャパン(アンミカさん) アクセサリー/QAYTEN(秋野さん)
※女性セブン2026年9月3日号