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《渾身の長文》紀子さま、1万2千字の60才誕生日文書に綴った“雅子さまへの初めての感謝” 御代がわりから8年かけて、徐々に深まりつつあるお二人の関係

雅子さまへの感謝を綴った紀子さま(左・写真/宮内庁、右・撮影/JMPA) 
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「3LDKのプリンセス」が還暦を迎えられた。今年の誕生日文書に、例年にないお言葉を盛り込まれた紀子さま。そこには皇嗣妃として、天皇皇后両陛下をお支えになる、ある決意が込められていた。

 1万2000字。渾身の長文からは、皇族として過ごされた36年間の歩みを凝縮するような強いご覚悟を周囲は感じ取ったという。9月11日、秋篠宮妃紀子さまが60才の誕生日を迎えられた。宮内庁のホームページでは「秋篠宮皇嗣妃殿下お誕生日に際し」と題した文書を公開。宮内記者会からの3つの質問に答える形で思いの丈を綴られた。

「紀子さまは長らく秋篠宮さまが誕生日に際して行う会見に同席されていたため、当時はご自身の誕生日に合わせて、心情を発信する機会はありませんでした。皇嗣妃となられた2019年から、誕生日に文書を公表するいまの形式になったのです。

 以来、お力を入れて執筆されており、年々長くなる傾向にあります。今年も昨年に続いて1万字を超え、過去最長を更新。異例の長さと言えます。例年通りこの1年を丹念に振り返られた上、ご自身の還暦と悠仁さまの20才という2つの節目が重なったため、読み応えのある文書となりました」(宮内庁関係者)

 ご公務のために日本中を飛び回る紀子さま。この1年間の活動はとみに充実していたようで、文書では地域の健康を支える人々や能登半島地震の被災者との交流をじっくりと回顧された。

 さらに8月に初訪問されたパラグアイについては、10年前に同地を訪れた長女の眞子さんのエピソードに触れながら述懐。今年も眞子さんの“お印”である木香薔薇に絡めたメッセージは健在で、《(庭に作った木香薔薇のアーチについて)昨年はあまり手入れができなかったので、来年は続けてできるようにと思っています》と綴られた。

「眞子さんは昨年第1子を出産しましたが、紀子さまはいまだに孫に会えていません。愛娘のお印に触れ続けることで、“いつでも帰ってきてください”というラブコールを送られているのでしょう。

 もちろん皇族として奮闘される佳子さまと悠仁さまへの言及もありました。ただ、佳子さまは赤坂御用地の御仮寓所で、悠仁さまは主に大学のある茨城県つくば市内でひとり暮らしをして、自分の生活スタイルを大切にされています。家族団らんの時間は限られているようで、頼もしさと同時に寂しさを感じられているようでした」(前出・宮内庁関係者)

 紀子さまは、例年お世話になった方々への思いも綴られるが、今年の文書には大きな変化があったという。前出の宮内庁関係者は、「注目するべきは、天皇皇后両陛下へのお言葉です」と指摘する。

「紀子さまは両陛下に対し、《折々にお優しく親しくしていただき、深く感謝申し上げております》と謝意を述べられました。これまで上皇ご夫妻に対しては、退位に際して《長い間お導きくださいました上皇上皇后両陛下の思し召しに、深く感謝申し上げております》と綴られたことがありますが、両陛下にはっきりと感謝を述べられたのはこれが初めてです。雅子さまへの意識にも変化があったのでしょう」

一時は“立場は逆転”

 雅子さまと紀子さまは、3才違いの同世代。義理の姉妹でありながら、お二人の“距離”は、年齢差以上に離れている時期が長かった。先に皇室に入られたのは紀子さまで、美智子さまをお手本に女性皇族としての立ち居振る舞いを学ばれたという。

「美智子さまのビデオを取り寄せて何度もご覧になったそうです。ご公務にも積極的で、すぐに即戦力としてさまざまな場にお出ましされるように。子供たちを連れてたびたび上皇ご夫妻のお住まいを訪れ、交流を深められていました」(皇室ジャーナリスト)

雅子さまは、紀子さまと一緒に公務に臨まれることもある(2026年6月、写真/JMPA)
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 それとは対照的だったのが当時の東宮ご一家だ。

「雅子さまは2004年に適応障害と診断されて以降、ご公務を制限されるようになりました。さらに愛子さまも小学校に通えなくなってしまった時期があり、東宮御所でお過ごしになる時間が増えるにつれ、両陛下の暮らす皇居からは足が遠のいた。当時、そのことを陛下が非常に気にされていると報じられたこともあります。

 次第に雅子さまの公務を紀子さまが代わりに担われることが増えたため、“立場の逆転”が取り沙汰される場面も増加。美智子さまのなさりようをより色濃く継承されている紀子さまについて、ご体調に不安のある雅子さまよりも頼もしいと語る向きもあった」(前出・皇室ジャーナリスト)

 潮目が変わり始めたのは令和への御代がわりだった。雅子さまは徐々に皇后としての覚悟を強められ、コロナ禍による行動制限が解除された後の2023年には、21年ぶりに国際親善目的の海外訪問を成功させ、伝統ある四大行幸啓にもすべて出席。国民からの信頼もこれまで以上に厚くなり自信を深められた。

「ご自身のできる範囲で公務に向き合い、自然体で国民と交流される雅子さまのお姿は“令和流”として世間に受け入れられていきました。一方で、それまで美智子さまのあり方を模範にして“雅子さまの代わりに”と奮起されていた紀子さまは、アピールがすぎるという反応に直面するなど、時代の変化に戸惑われることもあったようです。

 ただ、紀子さまの中で将来の天皇である悠仁さまのいちばん身近なお手本は両陛下のなさりようだという思いもある。東宮家と秋篠宮家から天皇家と皇嗣家という関係に変わった両家の距離が、8年かけて徐々に縮まったことも相まって、お二人の関係も深まりつつあるようです。実際、紀子さまはご公務で雅子さまを意識した自然体の交流をされる場面が増えているように感じます」(前出・皇室ジャーナリスト)

 その変化が、これまでは「両陛下をお支えできるように力を尽くしたい」と綴られていた誕生日文書にも表れたのかもしれない。

「昨年までの文書で示されたのは、ご自身は雅子さまを補佐する立場にあるということ。その上で還暦を機に“象徴”としてお務めを果たされる両陛下に改めて感謝をお伝えすることで、義理の姉に寄り添う覚悟を新たにされたのでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)

 異例の長さとなった文書には、雅子さまとともに今後も皇室をお支えしていくという思いがにじんでいた。

※女性セブン2026年10月1・8日号

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