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《乳がんサバイバーの女性に希望を》「人工乳房」を製作した看護師の挑戦 自身も乳がんと診断され、左乳房を全摘した経験

スクラブを着た女性
「人工乳房」製作者の三浦千裕さん(36才)
写真3枚

34才のときに乳がんと診断され、左乳房を全摘──大きな喪失感を味わった三浦千裕さん(36才)が、それまでと変わらない生活を送るために製作したのが「人工乳房」だった。乳がん罹患後も人生は終わらない。すべての女性の希望になる、特別インタビュー。

人工乳房
三浦さんが製作した人工乳房。残った胸から型を取り、シリコンで作る。血管などもリアルに描かれる。ニップル(乳頭)だけの需要も高いという
写真3枚

写真を見てほしい。透明感のある肌、透けて見える血管、なめらかな曲線からは、写真からでも柔らかさが伝わる。本物の乳房かと見紛うほど精巧に作られたそれこそが「人工乳房」だ。体の欠損部を補うエピテーゼ(シリコンなどで再現する人工装具)で、乳がんなどが理由で乳房を全摘した女性のためにオーダーメードされる。

写真の人工乳房の製作者は北海道出身の看護師で、自身も乳がんサバイバーである三浦千裕さん。初めて作ったのは自身のための乳房だった。

「自作の人工乳房を初めてつけたときは、自分の体が戻ってきた気がして涙が出たのを覚えています」(三浦さん・以下同)

消えないアザが警告していた…

三浦さんが乳がんの診断を受けたのは2024年、34才のときだった。異変に気づいたきっかけは、左の乳房にできたあざ。ぶつけてもいないのにいつの間にかできていて、消えない。不思議に思いつつ、そのときは病院を受診しなかった。

「その後、はっきりわかるほどのしこりに気づいたのですが、『まさかこの年齢で』といった思い込みがあり、2か月ほど放置してしまいました。しかし不安が拭えずに受診すると、悪性腫瘍だと判明。消えなかったあざは、がん細胞が毛細血管を蝕み、内出血を起こした可能性があるとのことでした」

診断はステージⅡの乳がん。絶望した―

「仕事柄、たくさんの乳がん患者さんを見てきたはずなのに、自分のこととなると怖くて仕方がありませんでした。というのも、私の場合トリプルネガティブ(※)というタイプの、進行が早くホルモン療法が効かない乳がんだったからです」

※エストロゲン受容体、プロゲステロン受容体、HER2受容体の3つがいずれも陰性である特殊な乳がん。乳がん全体の約10〜20%を占め、若い世代に比較的多く見られる。ホルモン療法薬やHER2を標的とした分子標的薬が使用できないため、抗がん剤(化学療法)が治療の中心となる。

診断を受けた当時は函館に住んでいたため、実家に近い札幌で手術をしようと病院探しに奔走。仕事は休職した。治療が始まるまでにがんが進行しないか不安で、毎日のように泣いていたという。

治療が始まったのは、診断から1か月後。抗がん剤と免疫チェックポイント阻害薬を併用したが、がん細胞は思うように小さくならなかった。そればかりか、薬の副作用で髪が抜け、爪は黒ずみ、甲状腺機能低下症を発症。さらに、味覚障害や手足のしびれが現れ、肝機能も悪化した。

「医師からは、乳房全切除術(全摘)をする方針を聞いていたので、早く切ってほしかった。がんに侵された乳房があることが怖かったんです。でも、全身に回っているがんを消滅させるためにも先に抗がん剤治療が必要だと言われ、6か月続けました。不安で地獄の日々でした」

2人の女性
つらいがん闘病中、家族はもちろん友人(左)たちが支えになってくれたという
写真3枚

乳房再建術は断念。人工乳房の製作を決意

乳房の全摘を決めていた三浦さんは、術後、乳房再建術を検討していた。

乳房再建術は、自家組織、またはシリコン製のインプラントで、切除した乳房を再建する方法だ。現在は、がんとともに乳房を摘出した後に、皮膚を伸ばすためのエキスパンダー(拡張器)を入れて生理食塩水を注入する。数か月かけて皮膚や組織を伸ばしたら、インプラントに入れ替える手術を行う。この手術は保険適用のため、高額療養費制度と併用すれば自己負担額は片胸で3万5000〜20万円程度だ。

「最初は乳房再建手術をする気でいたのですが、長い闘病生活のつらさから、全摘術後に再度入院・手術をする気力が尽きてしまいました。それに、もしがんが再発したら、シリコンを取るためにまた手術をしなければならず、心身への負担が大きい。悩んだ末、着脱可能な『人工乳房』を作ってもらうことにしたんです」

下着に入れて使うパッドタイプの人工乳房もあるが、三浦さんは、医療用接着剤で肌に貼り付けるリアルタイプも一緒に希望。これなら入浴ができるので、温泉にも行けるし、趣味のサーフィンも気兼ねなくできる。

しかし、リアルタイプをオーダーメードすると、30万~80万円ほどかかる。

「全摘術を終えたのが2025年1月。その後、抗がん剤と免疫チェックポイント阻害薬での治療が再び始まりましたが、その間に人工乳房について調べました。その過程で、人工乳房は一生ものではなく、自分の体形の変化に合わせて作り直すことなどを知りました。1つが高額なので、なかなか手が届かないと思いました。同時に、『私と同じ悩みの人が必ずいるはず。自分が製作方法を学ぶことによってその人たちの支えになれるかもしれない』と考えました。闘病中、家族や友人、入院先の看護師、同じ病室で仲よくなったがんサバイバーなど多くの人に助けられたので、その恩返しができれば、という思いもありました」

東京で、人工乳房などのエピテーゼ製作の学校を見つけ、治療をしながら北海道から通って腕を磨いた。さらに、術後の抗がん剤治療を終えると、東京に単身移住して勉強に励んだ。在籍していた病院は退職したが、「残りの人生、やりたいことをやろう」と、後悔はなかったという。そして2026年2月、自分のための人工乳房を完成させた。

乳がん患者のための選択肢を広めたい

「人工乳房を装着しなくても生きていくのに問題はありません。でも、これまで通りの日常を送りたかった私にはどうしても必要でした。また、片側の胸がないと、体のバランスが崩れ、肩こりや腰痛、姿勢のゆがみにつながることがあるので、特に胸が大きい人は検討してもいいと思います」

1960年代から研究が続けられてきた乳房再建術は広く認知されている一方、人工乳房は日本で作り始めてからまだ20年ほど。地方では本物を見る機会があまりないため、全国的に知られていないという。

<キャプ>乳房再建術と人工乳房の足跡

「私は今後、自らが実験台になって製作技術を高め、乳がんに苦しむ女性に人工乳房という選択肢があることを伝えたいと思っています。それが、全摘術後の人生に不安を抱える、私のような女性たちの希望になると思うんです」

今後は北海道で、人工乳房の製作と普及に携わるという。三浦さんの熱意が、多くの女性の希望になる日は、そう遠くないはずだ。

◆「人工乳房」製作者・三浦千裕さん(36才)

1990年、北海道岩見沢市生まれ。21才で看護師に。24才で養護教諭の免許を取るため北海道教育大学函館校で学び、再度看護師として勤務。2024年に乳がんと診断され闘病。現在は看護師として勤務しながら、人工乳房製作の勉強中。趣味は温泉巡り、サーフィン。

取材・文/嶋田久美子 写真提供/三浦千裕さん

※女性セブン2026年10月15日号