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《多忙のなか葬儀に参列》綾瀬はるか、最愛の祖母と涙の別れ 祖母が語った原爆で姉を亡くした経験談が「戦争の記憶を伝える活動」の原点に

多忙のなか葬儀に参列した綾瀬はるか
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 猛暑日が続いた7月下旬。広島県広島市の古刹で、しめやかに葬儀が営まれた。悲しみに包まれた境内で、ひとりの女性が時折肩を震わせている。親族に声をかけられ、気丈に顔をあげたのは、綾瀬はるか(41才)だ。あふれる涙を何度もぬぐいながら、最愛の祖母と過ごした日々を心の中で辿っていたのかもしれない──。

 99才の祖母が7月に老衰で亡くなったことを、『週刊文春』(2026年9月24日・10月1日号)のインタビューで明かした綾瀬。最初の異変は昨年に訪れていた。

「これまで大きな病気やけがとは無縁のおばあちゃんでしたが、98才で初めて入院したんです。2か月近く寝たきりで、一時は危ない状態に陥ったんです。東京から駆けつけた綾ちゃん(綾瀬の本名)が、涙ながらにお別れを伝えたほどでした」(綾瀬の親戚)

 だがその後、祖母は驚異的に回復し、散歩や畑仕事ができるまでに元気を取り戻した。再び影が差したのは、今年6月下旬のことだった。

「かかりつけのお医者さんが、頻繁に自宅を訪ねるようになりました。綾ちゃんも仕事の合間を縫っては実家に帰り、時間の許す限り、おばあちゃんに寄り添っていたみたいです。東京に戻ってからも、1日1回は電話で様子を確認していたそうですよ。最期のとき、綾ちゃんはそばにいられなかったけど、自宅で家族に見守られて旅立ったと聞いています」(近隣住民)

 綾瀬の心に残るのは、どこまでも美しく、凜としていた祖母の姿だろう。生前、綾瀬はそんな祖母を「理想の女性」と語っていた。

「おばあさまは年を重ねても、毎朝まずメイクをして、“これは女としての礼儀じゃけ”と背筋を伸ばしていたそうです。床や庭の掃除、さらに開脚や太極拳まで、何十年も変わらないルーティンをきちんとこなす。その姿に、綾瀬さんは強い影響を受けています」(芸能関係者)

 広島出身の綾瀬が2005年のテレビ番組をきっかけに続けてきた「戦争の記憶を伝える活動」。その原点にも、祖母の存在がある。

「綾瀬さんのおばあさまは、原爆で実のお姉さんを亡くしています。二度と口にしたくないほどつらい記憶でしたが、2005年のテレビ番組で綾瀬さんに打ち明けたんです。綾瀬さんはボロボロと大粒の涙をこぼしていました“もう話さんからね。よう覚えておいてね”。静かにそう語り終えたおばあさまは、後日、知人に“綾に話すことができて、本当によかった”と振り返っていたそうです」(前出・芸能関係者) 

 遠く離れた東京で活躍する孫を、祖母はいつも静かに見守ってきた。

「綾ちゃんが載った新聞記事を見つけては、丁寧に切り抜いてスクラップにしていました。手先が器用で裁縫も得意だから、綾ちゃんが着なくなったセーターでベストを仕立てて、着ていたこともありました。離れて暮らす孫を、いつもそばに感じていたかったのでしょうね。

 昨年体調を崩した後には、“私らは先に逝くから、綾には家族を持ってもらいたい。いい人と結婚してくれたらなぁ”とこぼしたこともあったんです。華やかな活躍よりも、綾ちゃんが家族に囲まれて暮らす幸せを願っていたのかもしれません」(前出・近隣住民)

 葬儀が営まれた今年7月、綾瀬は10月2日に公開された主演映画『ファーストボイス』を控え、多忙な日々を送っていた。

「親族の間では“綾ちゃんは仕事が大変だし、参列は見送ってもいいのではないか”と気遣う声が上がっていたそうです。でも彼女の中に参列しないという選択肢はなかった。親族の間には、どんなに仕事が忙しくても、家族の一大事には何をおいても駆けつけるという固い約束があるんです。今回もスケジュールをやりくりして広島に帰った。おばあちゃんは本当に大切な人でしたから、その約束を果たしたかったのでしょう」(前出・綾瀬の親戚)

 祖母の凜とした背中を、綾瀬はこれからも追い続けていく──。

※女性セブン2026年10月22日号

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