意中の相手にチョコレートを贈り、愛を告白する……。そんなロマンティックな日にもかかわらず、意外に少ない「バレンタイン・ソング」。特に昭和は国生さゆり『バレンタイン・キッス』(1986年)一強状態。なぜなのか?──。その謎について、1980年代〜1990年代のエンタメ事情に詳しいライターの田中稲さんが考察します。
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36年、ずっと『バレンタイン・キッス』
恋する人の胸騒ぎが聞こえてきそうな今日。2月14日、バレンタインデーである。本命チョコ義理チョコ友チョコが飛び交っていることだろう。
ちなみに私は「我チョコ」。プレゼント用のチョコレートを買い、自分でリボンを解いて食べる。これが数十年続いている。とほほ!
学生の頃、好きな人に板チョコにリボンを掛けて用意したことがあったっけ。渡せないまま2日ほど経ち、チョコがカバンの底でバキバキに割れていたなあ……。ああ、甘酸っぱい(情けない)思い出が甦る。
どんなに時が過ぎようとも、どんな展開を迎えようとも、この時期に私の頭の中で鳴るのはただ一曲。『バレンタイン・キッス』である。
いや、私だけではなく1986年に思春期を過ごした多くのレディ&メンズはそうではなかろうか。平成に入ってからは、松浦亜弥の『チョコレート魂』やPerfumeの『チョコレイト・ディスコ』が出てきたが、昭和のバレンタインソングの大ヒットはこれ一強だったのである。
常々不思議に思っていた。バレンタインソングが少なすぎる。様々なお菓子メーカーが「バレンタインにチョコを送ろう」と仕掛け、実際に盛り上がり出したのが1970年代半ば。アイドル全盛期のど真ん中に当てはまる。愛すべき恋愛ソングを生み出すヒットメーカーはたくさんいた。好きな人にチョコレートを渡し気持ちを伝えるというイベントなんて、最高に腕が鳴るテーマではないか。
松本伊代ちゃんの『チョコの国からトロトロ』とか、シブがき隊の『チョコがNAINAIバレンタインSHOCK!』とかあったら絶対聴いたのに!
素人目線ではわからないバレンタインソングのハードルがあったのでは……。ということで、「バレンタインに聴きたい歌ランキング」などを見て理由を考えてみた。
その結果、【1】シングル曲でバレンタインと歌詞に入れてしまうと、曲の旬が2月14日前後という短期間に限られ売りにくい。そもそもバレンタインは普通の恋愛ソングでも対応可能。【2】バレンタインという「ン」が2つも出てくる単語がけっこう歌詞として使いにくい。【3】実はたくさんあったのだが『バレンタイン・キッス』の衝撃が凄すぎて我々の記憶から消え去ってしまった。
というロマンの欠片もない3つの考えに至ったが、どうだろう……。
いや、答えは求めない。エンタメは、ミステリアスくらいがちょうどいい。
嗚呼、いろんなトキメキを思い出す
ただ、どんなにバレンタインのヒットソングがあったとしても、国生さゆりの『バレンタイン・キッス』は間違いなく王道になっていただろう。それほどの名曲である。
おニャン子クラブがユニットやソロなど、アメーバのように形を変え、曲を乱発していた1985年から1987年。『セーラー服を脱がさないで』でドン引きし、彼女たちに苦手意識があった私だが、大好きな曲もたくさんあった。『バレンタイン・キッス』もその一つ。
この歌のヒロインは、チョコレートを“あなたにあげちゃう”としているが、実際あげるのはチョコではない。2番で“自分の唇”と言っているではないか。タイトルが『バレンタイン・キッス』なので当たり前なのだが、なんと積極的な!
さらに今改めて聴いて萌えるのが「テレフォンコール」という単語。この曲が発売された1986年、一応携帯電話(ポータブル電話)は、あるにはあったが、お相撲さんの弁当箱みたいなやつで、ズバリ業務用。一般人はまだまだ家の固定電話を使っていた。
好きな人と話したいのに、お母様もしくはお父様が「もしもし?」と出てくるのも日常茶飯事。慌てて切った、という経験のある方、静かに挙手お願いします……。分かります、好きな人と話せなかった寂しさと、好きな人の親御さんに迷惑行為をしてしまった罪悪感の混在。忘れよう、苦しくなるから!