
専業主婦だった女性が突如、有名企業のトップに抜擢されたら――。会長を務めていた夫が急逝し、「幻の手羽先」で有名な居酒屋チェーン「世界の山ちゃん」のエスワイフードを率いることになった山本久美さん(54歳)。カリスマ創業者のあとを継ぐという難業に山本さんはどう取り組んだのでしょうか。ご本人にインタビュー。山本さんの自分の心の声の聴き方や、人との接し方に前向きに生きるヒントが見つかるかもしれません。【前後編の前編】
家族を喜ばせることが喜び
山本さんが代表取締役に就任したのは、今から6年前のこと。それ以前は約15年間にもわたって、専業主婦として家事に育児に精を出す日々だった。結婚前の職業は小学校教諭。ミニバスケットボールの監督を務め、チームを全国優勝に導いたこともあった。

「チームが強くなって、やりがいも感じていましたが、主人(エスワイフード創業者で代表取締役会長だった山本重雄さん)に『11年もやったなら、もういいんじゃない?』と言われて、それもそうだと思って、仕事は辞めて家のことに専念することにしました。もともと1つのことにのめり込むタイプなので、専業主婦の方が向いてると思ってました」(山本さん・以下同)
専業主婦は自分にすごく合っていた
その決断に後悔はなく、日々充実した生活を送っていた。
「食べることが好きで料理も好きだし、手芸やお菓子作り、ガーデニングなんかも楽しくて。誰かに何か作ってあげるとか、家を安らぐ場所にするとか、そういうことが好きなんですよね。自分の時間っていうのはあまり必要としていなくて、家族の喜ぶ顔が見たいっていうか。だから専業主婦、私にはすごく合っていたんだと思います。ハロウィンとかクリスマスも特別なお料理とか飾り付けとか、楽しんでやっていました」
子供は女の子が2人と男の子が1人。同社の会長を務めていた夫の重雄さんが多忙だっただけに、いわゆるワンオペ育児に近い時期もあったのだとか。

「でも、苦にはしていませんでした。1人で子供3人連れて、ディズニーランドにもよく行っていました。大変は大変ですけど、むしろ私の好きなところに子供たちを連れ回していた気がします(笑い)」
手を動かしながら自分の思いに気づく
しかし2016年、夫が急な病気で59歳という若さで帰らぬ人となり、山本さんは悲しみに沈む間もなく、会社の将来に直結する重大な決断を迫られる。
「社員の中から誰かを二代目社長に指名するのか、社外から招聘するのか、それとも(企業や事業を売却する)M&Aか、いろんな選択肢がありました。夫が救急搬送されて亡くなった病院で、私に社長をやってほしいと言う人もいて…。私は会社より子供たちを大切にしたかったので、一度はお断りしました。
とはいえ、主人亡きあとの会社のことを放り出すのもよくないと思って、かなり悩みました。会長はまだ若かったので、そろそろ後継者の育成を考えようとしていた矢先で、社内から新社長を選ぶのは難しい。といって、社外から優れた人を招くと、『明るく元気にちょっと変!』『立派な変人たれ』といったエスワイの自由なムードが失われてしまうだろうと思いました」

「私がやるしかないのかもしれない」
M&Aは、実は重雄さんも一つの選択肢として検討した時期があったという。しかし、元の従業員の雇用を維持するという条件で売却しても、買収先の下で社風が急に変わったりして、結果的に従業員が居心地の悪さを感じたり自主的に辞めたりする例もあることから、重雄さんは「社員が幸せにならない選択はできない」と話していたのだそうだ。
「それで、『今はとりあえず私がやるしかないのかもしれない』という思いになりました。15年も専業主婦をしたあとに、なぜそんな思い切った決断をしたのか、とはよく聞かれることですが、多分、知らなかったからですよね(笑い)。企業に勤めた経験がないから、社長がいて幹部がいて社員がいて、というピラミッド構造や、そのトップに立つ人の重圧が想像できなかった。だから飛び込めたんだと思います」
山ちゃん各店舗に貼り出す壁新聞「てばさ記」の作成という仕事も、背中を押した。山本さんは重雄さんから頼まれて、この壁新聞を長年手書きで作成してきたが、会長が急逝したときは社員から「さすがに休みましょう。1か月ぐらい休んでもやむをえないと思います」と休刊を提案されたという。
「でも、テレビや雑誌で会長の死が皆さんへ伝わっているのに、『てばさ記』を1か月休んで1か月後にかいちょうの死を伝えるのもおかしいですよね。会長なら、自分がこの世を去るならすぐに、皆さんにご挨拶したり、これまでのご厚情にお礼を言ったりしたいだろうなとも思いましたし。それで、会長が亡くなった日から約1週間後でしたが、当初の締め切りを守って壁新聞を作りました。そうしながら、私って自分が思っていたより会社のこと、お店のこと、ちゃんと思っていたんだなって気づいたんです」
一人ひとりの専門性や責任感を強める経営
業界未経験ながら熱い思いで代表取締役に就任した山本さんの下で、「世界の山ちゃん」は業績を落とすことなく、コロナ禍に見舞われる前の2019年には過去最高の売上高を達成した。就任から3年で結果を出した山本さんの経営とはどのようなものなのだろうか。

「代表取締役になって最初にしたことは、これまでのようにトップダウンでいろんな決定が下りてくる経営ではなくなったので、『そこをどうかご理解ください』『一緒に考えてください』と社内や取引先に伝えることでした。どうしたって、私が会長と同じようにできるはずがないので、それを正直に言って助けてもらう道を選びました。
『私も一から勉強しますから、ちょっと年を取った新入社員が入ってきたと思って教えてください。皆さんと一緒にやっていきたいと思っているので助けてください。会長がいない今こそ、皆さんのお力が必要です』、そう訴えました」
社員それぞれがスペシャリストに
山本さんのこの率直なメッセージが効いて、会社は従来よりもボトムアップでさまざまな活動や提案が生まれやすい体質に変わった。また、社内の組織も再編成した。
「これまでは社員みんながいろんな業務を兼任していました。営業や企画、管理といった部門に関係なく、いろんな仕事をしていたんです。しかし、兼任者ばかりでは責任の所在もはっきりしませんよね。そこで、明確に部門を分けてそれぞれの仕事に専念してもらう形に変えました。営業部なら営業の仕事に専念して、逆に他の部門の人は営業にはノータッチ。経営幹部にもそれぞれ担当を割り振りました。
会長の時代は、みんな会長が指示した仕事をしていたので、失敗しても責任は会長にありました。でも会長亡きあとは、それぞれが自分の仕事のスペシャリストになって、各部門でみんなが“小さな会長”になったつもりで責任を持って取り組む。そうでないと会社は回っていかないんだと理解してもらいました」

会社の理念を明文化
この組織改革で、社員それぞれの持ち場が明確になって責任感がこれまで以上に強くなると同時に、一つの業務に集中して経験を積むことで、スキルが身に付きやすくなった。
「もう1つ、会社の理念を明文化しました。それまで、会長の頭にあった思想、哲学、そのときどきにいろんな人に対して発していた言葉。そういうものを集めて、まとめ直したんです。プロジェクトチームを設けて、幹部や社員はもちろん、アルバイトの皆さんからも企業理念に盛り込むべき言葉を募りました。勉強会を開いて、集まった言葉を精査し、編集しながら盛り込んでいきました」
企業理念を文章に表して社内に浸透させることで、社歴が浅い人も、アルバイトのスタッフも、会社の目指す方向や大事にしているものを理解しながら働けるようになった。理念がつねに頭にあることで、一つひとつの仕事の質が高まっていくことにつながったのだった。
【後編に続く】
◆株式会社エスワイフード代表取締役・山本久美さん

やまもと・くみさん。1967年生まれ。居酒屋「世界の山ちゃん」などを展開する株式会社エスワイフード代表取締役。2000年、エスワイフード創業者・山本重雄氏と結婚。2016年8月、急逝した夫に代わり、専業主婦から転身して同月より同社の経営トップに就任した。3児の母でもある。『世界の山ちゃん』は1981年に創業し、現在60店舗(4月1日オープン新店含む、のれん分け店舗含む)を展開。エスワイフードグループは77店舗(他業態・海外店舗含む)を展開。https://www.yamachan.co.jp/
取材・文/赤坂麻実