
女優・古村比呂さん(56歳)の人生には、何度も試練がありました。2度の調停を経た離婚、子宮頸がん、リンパ浮腫、がんの再発、再々発…。そのたびに古村さんを支えたのは、3人の息子たちでした。「親子というより同居人」の関係性だという子供たちについて、話を聞きました。
目を覚まさせてくれた三男の言葉
1992年にドラマで共演した布施博さん(63歳)と結婚。同年に長男、1993年に次男、1997年に三男と、3人の息子に恵まれた。
「長男は真面目で慎重、性格的には私に一番近いかもしれません。次男は嘘のつけない正直者で、相手の気持ちをくんで寄り添える子です。三男は子供のころから大人びていて、感受性が豊か。同じ家庭環境で育ったのに、3人の性格はおもしろいほどバラバラです」(古村さん・以下同)

結婚して15年後の2006年、古村さんが40歳のときに布施さんと別居を始める。要因はさまざまだが、決定打は3度目になる夫の裏切りだった。
「当時は子育てに専念するため、仕事をしていませんでした。3人の子供を抱えてこの先どうやって暮らしていけばいいのだろう。離婚をしたら、これまでの時間に意味がなくなるのではないか。私が我慢すれば丸く収まるのかもしれない。“我慢の限界”が来ていることに気づきながらも離婚の決断ができず、苦しんで、死んでしまおうかと考えることもありました。その目を覚ましてくれたのが三男でした」
3人の息子に個別に離婚を“相談”
「このまま森に入ったら死ねるかな」という古村さんのつぶやきを聞いた当時、まだ小学生だった三男が、「オレは死にたくないよ。頑張るしかないよ」と訴えた。その後、古村さんは息子たちそれぞれに時間を取り、離婚の了解を得た。家庭裁判所に離婚調停を申し立て、2009年4月に離婚が成立した。
「兄弟3人で集まると、本音を言えないんじゃないかな、と感じて個別に話をしました。長男に“離婚したいんだけど”と話すと、“わかってたよ。いいと思うよ。言ってくれてよかった、ずっと気を使ってたから”と言われました。驚かれるかと思ったのですが、3人ともそんな調子で、私の方が緊張していました(笑い)」

離婚後、息子たちから「父親代わりでもあるから、もっと強く叱ってほしい」と言われたのも印象的だった。
「男3人がケンカをすると壮絶なんです。“やめなさい!”って止めに入ると、次男に“そんな叱り方じゃ甘いよ!”と私が叱られた。あれ、君たち今ケンカをしてたよね?ってこともありました(苦笑)」
「子供のために生きたい」は子供に負担
離婚という壁を乗り越えた家族4人。古村さんは一家の大黒柱として女優業を再開し、息子たちは進んで家事に協力した。そこに襲ってきたのが子宮頸がんだった。
「正確な検査結果を医師に聞いた日に、息子たちに報告しました。離婚の件以降、子供たちには正直に伝えようと決めていたんです。私はピンピンしているのに、なぜ子宮を全摘しなければいけないのか、子供たちははじめは理解できなかったようです。状況を説明すると、“悪いものなら早く取って元気になればいいよ”と三男に言われ、そのシンプルな言葉が私の心の平穏を取り戻してくれました」
自分のために長生きしたい、でいい
「もし私が死んだら、子供たちはどうなるのか」と不安が常によぎった。しかし古村さんは、「子供のために生きたい」と口に出したことはない。子供たちには聞かせたくない言葉だったという。

「子供のために治さなきゃ、という言葉は、子供の負担になると思うんです。ぼくたちのためにお母さんはつらいこともしているんだ、となると、子供に“業”を背負わせてしまう感覚がある。それに私の人生なのだから、自分のために長生きしたい、でいいじゃないですか。
そもそもうちはシングルなので、母親になにかあったとき、自分たちで生きていかなきゃいけないというのは、言葉にせずとも息子たちは理解していたはずです」
兄弟は対等、そして親子も対等が古村流
一度目のがんが落ち着いてからも、リンパ浮腫、がんの再発、再々発と何度も病に苦しむことになる。それを支えてくれたのはまたしても息子たちだった。
「落ち込んだとき、しんどい時に前向きな気持ちにさせてくれるのは、いつも子供たちです。ベッタリではなく、いい距離感なんですよね。ただ不思議なことに、親子という感じがしないんです。同居人とシェアハウスで暮らしている感覚。それは子供たちが小さいころから変わりません。
それは私の価値観からくるものです。私自身は次女ですが、“お姉さんだから我慢しなさい”という言葉が、どうしても引っかかる。なぜ姉だとしっかりしなければいけないのか。だから子育てで“お兄ちゃんなんだから”“子どもなんだから”などという言葉を使ったことはありません」

兄弟は対等。そして親子でも対等というのが古村流の生き方だ。ヒロインを演じたドラマ『チョッちゃん』(NHK)でも、共感する言葉があった。
「私は黒柳徹子さんの母親・黒柳朝さんがモデルの役を演じたのですが、朝さんが“私は子供に育てられたのよ”とおっしゃっていた。親が子供に教えることも、親が子供に学ぶこともある。お互い“初親”“初子”で日々過ごすのだから、対等です」
「私が息子たちの一番の応援団長」
古村さんは現在、次男、三男と同居中。長男も近くに住んでいて、家族仲は良好だ。

「次男は一時的に戻ってきているだけです。長男は離れて暮らすようになったら、マメに連絡をくれるようになりました。私はYouTubeで配信をしているのですが、次男がディレクション、編集を担当してくれています。三男はまだ一度も家から出ていないので、そばで愚痴を聞いてくれたり、料理を作ったりしてくれます」
息子たちの言葉に、行動に、何度も救われた。「いつもありがとう」と感謝を語る。
「10年前にがんになったとき、息子たちはまだ学生でした。我慢させてしまったことも、たくさんあったでしょう。これからも、どんなときでも、私が息子たちの一番の応援団長です。息子たちは女優である私をあまり知らないので、これからは芝居をする私も見せていきたいですね」
◆女優・古村比呂さん

1965年11月24日生まれ。北海道出身。1985年、クラリオンガール準グランプリ、東映映画『童貞物語』にて映画デビュー。1987年、NHK朝の連続テレビ小説『チョッちゃん』のヒロインを務める。2012年に子宮頸がんが発覚し、子宮を全摘出。2017年、がんが再発して抗がん剤治療を行うが、半年後に再々発。2019年2月より、経過良好のため抗がん剤治療を中断中。今年3月、『手放す瞬間 子宮頸がん、リンパ浮腫と共に歩んだ私の10年』(KADOKAWA)を出版。5月より公開中の映画『パティシエさんとお嬢さん』に出演。https://ameblo.jp/komurahiro/
撮影/浅野剛 取材・文/小山内麗香