「子供のために生きたい」は子供に負担
離婚という壁を乗り越えた家族4人。古村さんは一家の大黒柱として女優業を再開し、息子たちは進んで家事に協力した。そこに襲ってきたのが子宮頸がんだった。
「正確な検査結果を医師に聞いた日に、息子たちに報告しました。離婚の件以降、子供たちには正直に伝えようと決めていたんです。私はピンピンしているのに、なぜ子宮を全摘しなければいけないのか、子供たちははじめは理解できなかったようです。状況を説明すると、“悪いものなら早く取って元気になればいいよ”と三男に言われ、そのシンプルな言葉が私の心の平穏を取り戻してくれました」
自分のために長生きしたい、でいい
「もし私が死んだら、子供たちはどうなるのか」と不安が常によぎった。しかし古村さんは、「子供のために生きたい」と口に出したことはない。子供たちには聞かせたくない言葉だったという。
「子供のために治さなきゃ、という言葉は、子供の負担になると思うんです。ぼくたちのためにお母さんはつらいこともしているんだ、となると、子供に“業”を背負わせてしまう感覚がある。それに私の人生なのだから、自分のために長生きしたい、でいいじゃないですか。
そもそもうちはシングルなので、母親になにかあったとき、自分たちで生きていかなきゃいけないというのは、言葉にせずとも息子たちは理解していたはずです」
兄弟は対等、そして親子も対等が古村流
一度目のがんが落ち着いてからも、リンパ浮腫、がんの再発、再々発と何度も病に苦しむことになる。それを支えてくれたのはまたしても息子たちだった。
「落ち込んだとき、しんどい時に前向きな気持ちにさせてくれるのは、いつも子供たちです。ベッタリではなく、いい距離感なんですよね。ただ不思議なことに、親子という感じがしないんです。同居人とシェアハウスで暮らしている感覚。それは子供たちが小さいころから変わりません。
それは私の価値観からくるものです。私自身は次女ですが、“お姉さんだから我慢しなさい”という言葉が、どうしても引っかかる。なぜ姉だとしっかりしなければいけないのか。だから子育てで“お兄ちゃんなんだから”“子どもなんだから”などという言葉を使ったことはありません」