
専業主婦から17年ぶりにキャリアを再開し、電話番やレジ打ちを経て外資系ホテルの日本法人社長となった薄井シンシアさん(63歳)。連載「もっと前向きに!シン生き方術」では、これまで経験してきた紆余曲折な人生を豊富なエピソードとともに振り返ります。今回は、現在社長を務めているホテルで人材の採用・育成を経験して感じること。就業経験が少ない人、離職期間が長い人が新たに仕事を始めるための準備方法が分かります。
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学ぶ意欲は何よりも大切
私がカントリーマネージャーを務める「LOF」ブランドのホテルは、2021年7月から日本に上陸。新橋、秋葉原、東神田の3か所に相次いでオープンしました。もちろん、その間、スタッフをたくさん採用してきました。雇用でこだわったのは多様性を確保すること。この1年足らずで採用した専業主婦の方は12人にも上ります。
しかし、残念ながらほとんどの方が既に退職されました。会社から解雇した例は一つもありません。理由はさまざまで、何か事情があったのかもしれませんが、おおまかにまとめると、職場で思うように活躍できず、そのことがつらくなって退職に至る人が多いようです。
では、専業主婦はキャリアを始める前にどんな準備をしておくと可能性が広がるのか。(専業主婦で40代、50代など)条件が決して良くない働き手という立場と、人を雇い入れる経営者という立場を両方経験した私なりに整理してみることにします。
まず大切なのが、学ぶ意欲です。これは、私が採用面接の時点で最も大切にしている採用基準でもあります。就業経験がない(少ない)人が働きに出るなら、新しく覚えることばかりのはず。人から教わったり注意を受けたりするのが嫌だとは言っていられません。
「学ぶ方法」を学んでおく
ただし、意欲はあっても、うまく学習できない人もいます。ホテルでは「コーナーダブル」なら「CD」など、客室タイプを略称で表していますが、元専業主婦のスタッフで、初出勤の日に略称を教わったのに、次の出勤日にも、その次にも同じ質問を重ねる人がいました。このときは私も思わず「出勤のたびに新人じゃ困ります!」と言ってしまいました。
私は普段、スタッフに何か改善してもらいたいとき、改善してほしいことを具体的に伝え、余計な叱責の言葉などは加えないようにしています。
仕事のメールで関係者に情報共有できるように複数の宛先がCCに入っているのにCCを外してしまう人がいた場合、「今度から『全員に返信』機能を使ってくださいね」とシンプルに言う。「常識でしょう」などとは言わない。人それぞれ背景が違うので知っていること知らないことがあるのは当然で、知るべきことをこれから知ればそれでいい話です。

でも、教わったことを忘れてしまうばかりか、覚えようともしないのでは困ります。社会人としての経験が浅いけれどこれから働きに出ようと考えている人は、就職活動の前に、学ぶ方法をまず学んでおくべきです。
私の場合は専業主婦時代も、気になったことはすぐネット検索してヒットした情報を精査して参考にする、それで足りなければ、それについて書かれた本を1冊、頭から終わりまで読み通す、それでもまだ不足だと思えば短期のスクールに通う。そうやって、趣味であっても系統立てて学習してきました。
自分でこのスキルを習得すると決めれば、その目標に対して覚えるべきこと、覚えなくていいことの仕分けをしたり、覚えるべきことはメモを取るなどの工夫をしたりするものです。そうした体験から学び方を身に付けることができれば、仕事に就いた当初は知らないことだらけでも、知識はすぐに増えて自分のものになっていきます。
事前に組織の一員として活動を。「社会性」を養う
もう一つ、大事なことは、意識の持ち方です。「社会性」と言えばいいでしょうか。職場は仕事をする場所であり、会社は(経済的な)成果を上げるための組織であるということ。これを理解する必要があります。
例えば、働き始めたばかりの時期から、立場を踏み越えて自論を述べることが多い人。同僚からの注意に対して「言い方がキツい」「同じことを何度も言われる」といった不満を抱く人。こうした人は、目的を見失っていると言わざるをえません。

職場の仲間と、家族や友人に求めるような“共感”ができたら理想ですが、大切なことは業務上の目標を達成することです。そのためにすべきことは何なのか。それは、注意を受けたとき、「相手の言い方がよくない!」と言って否定しにかからないで、注意を受けたところをただ修正、改善してみることだと思います。
そこで傷つく必要はないんですよ。同僚は働き始めて日が浅い人に「そのやり方はダメ」「こうして」と教えているだけなので、教わったことを吸収して成長すればいいだけ。そして、感情的になったり、自分を大きく見せようとしたりする必要はありません。
そもそも自信がないところに、他人から何か指摘されてつらくなってしまう気持ちも分かりますが、誰に褒められなくたって、雇用されて給料が支払われるということは、会社がその働き手を評価しているということ。自信を持って堂々と働いて、注意はただ注意として受け止めて前進しましょう。
また、もし相手の言い方に不満を感じたとしたら、相手の裏を考えてみることも大切。もしかしたら、相手だって余裕がないだけで、そういう言い方になっているかもしれないですし。
こういうことは、頭で理解しても感覚が追いつかなかったりしますよね。ですから理想は、本格的なキャリア構築に向かう前に、ボランティアや地域活動、パート、アルバイトなどで組織の一員になって一定の責任を負いながら活動してみることだと思います。いきなり就職してつまずいて「やっぱり私に仕事は無理なんだ」と思い込んでしまうのはもったいないですから。
働き始めたつもりで生活する
体力も身に付けたいですね。外出って疲れるものです。混み合う電車やバスに乗って通勤するだけでも大変。加えて、当然ですが会社に着けば慣れない仕事をするわけです。通勤と、職場に着いてからの仕事と、どちらも初めてだと、最初から問題なくこなすのは無理な話だと思います。

ですから、働き始める前に、仕事以外のことにあらかじめ慣れておくことが大切です。例えば、決まった時間に起床すること、短い時間でビジネス用のメイクをすること、出かける前と帰った後だけで家のことが回るように下地づくりをすること、公共交通機関を使って外出すること。要は、働き始めたつもりで日々を送ってみることです。筋トレなどでは得られない、社会人に必要な体力が培われます。
家事など自分が普段の生活でどんなタスクを抱えているか洗い出してみて、手に余るものを家族に割り振ったり外部サービスに頼ったりする作業も必要です。「うちの夫は何もしてくれない!」と嘆いてもしょうがないので、具体的に何をしてほしいのか言いましょう。
みんながいいと思う生き方より自分の生き方
他にもありますが、『専業主婦が就職するまでにやっておくべき8つのこと』(KADOKAWA)という拙著がありますので、もっと知りたいという人は手に取ってみてください。
これは本の宣伝がしたいから言うのではなくて、本をもっとみんな読むといいのになと思います。SNSで気の合う人たちやお気に入りのメディアに接している時間を今より少し減らして、その分を自分1人で勉強したりものを考えたりするのに回してみると、自分というものがしっかりしてくると思うからです。
何にでも“今の主流”を決めては、それに乗っていないと焦ったり、乗っていない誰かをバカにしたりする風潮に、私は違和感があります。「好きを仕事に」とか「いまどき転職もしたことがないなんて」とか「ワーク・イン・ライフ」とか、人それぞれの事情や考えがあって当然のことにまで“常識”をつくってしまうのはおかしいですよね。
子どもが生まれたり、離婚したり、親の介護が必要になったり、人生にはいろんなことがある。タイミングによっては「好きを仕事に」も「ワーク・イン・ライフ」も人をみじめにさせる呪いの言葉になります。
それに“今の世の中で是とされていること”に乗っかって、自分の人生に関わる決断をしてしまうと、その先で嫌な事、つらい事があったときに、やっぱりどこか他人のせい、社会のせいという気分になってしまう。当然、他人や社会は変えられないので、「もやもやする」と言って、フォロワーにグチを聞いてもらうことになります。
もやもやしていないで、そろそろ自分を持ちませんか。自分を真ん中に置いて、さまざまな物や事に直接向き合って考えてみる。転職って今の私にとっていいことか、働くって今の私にとって本当に必要なことか、リモートワークって私が求める働き方か。“みんな”を経由しないで答えが出せるようになったら、今よりポジティブに働きに出られるし、今よりポジティブに専業主婦を続けることもできるはずです。
◆LOF Hotel Management 日本法人社長・薄井シンシアさん

1959年、フィリピンの華僑の家に生まれる。結婚後、30歳で出産し、専業主婦に。47歳で再就職。娘が通う大学のカフェテリアで仕事を始め、日本に帰国後は、時給1300円の電話受付の仕事を経てANAインターコンチネンタルホテル東京に入社。3年で営業開発担当副支配人になり、シャングリ・ラ 東京に転職。2018年、日本コカ・コーラ社に入社し、オリンピックホスピタリティー担当就任するも五輪延期により失職。2021年5月から現職。近著に『人生は、もっと、自分で決めていい』(日経BP)。@UsuiCynthia
撮影/黒石あみ 構成/赤坂麻実、編集部
●専業主婦から社長になった薄井シンシアさん、専業主婦を雇用して感じた「覚悟」がいかに大切か