「親は大事にしなさい」「きょうだいだからしょうがない」……いまだ日本に根強く残る血縁主義。しかし、それが負担になり、悪影響をもたらしているようなら「絶縁」を考えてもいい。家族と絶縁して、ようやく自分の道を歩み始めることができたという人が、苦悩や葛藤、喜びを明かす。
養父からの性的虐待を黙認する母
「38年前に母と妹と絶縁しましたが、後悔はまったくありません。今後、2人の葬式の連絡が来ても行かないと思います」
そう語るのは、漫画家の内田春菊さん。長崎県長崎市に生まれた内田さんは、子供の頃から養父による性的虐待を受けていた。しかし、母は黙認し、さらには、「漫画家になりたい」という内田さんの夢の邪魔ばかりしていたという。
「養父に殴られたとき、母は“あなたが素直じゃないから”と私を責めて、漫画家についても“バカがなる職業”と否定し続けました」(内田さん・以下同)
家庭に居場所を失い、高校時代に家出。さまざまな仕事を経て25才で漫画家デビューしたものの、実家には仕送りを続けた。それは内田さんなりの家族への愛情であり、同時に“愛されたい”と願う気持ちからだったのだろう。
27才のとき母と妹が上京して近所に居を構えた。2人は最初こそ自活する様子だったが、だんだんと勝手が変わっていく。
「上京した理由は“養父より私を選んだから”と思いましたが、それはぬか喜びで、母も妹もろくに働かず、私のお金で遊んで暮らすつもりだと徐々にわかってきました。話し合っても、母は“あなたのせいで家がおかしくなった”と愚痴を言うばかり。私も、あれだけ母が妨害していた職業で稼いだお金を無心するのはおかしいじゃないかと、本気で腹が立ちました」
堪忍袋の緒が切れて母に電話し、「もう縁を切る。連絡してこないで!」と強い口調で告げた。すると母は電話を切る前にこう言った。
「でも実の親子だからね。一生離れないよ」
内田さんが振り返る。
「まるでホラーですよ。しかも翌日、私が寝ている時間に妹が電話してきて“お姉ちゃん、私の結婚のときのお金は出してくれるの?”と聞かれました。
あまりに自分のことしか考えていない2人に完全にキレて、“もう何もかも嫌になった!”と電話をガチャ切りしました」
母に恥をかかせてやろうと小説を書いた
縁切りの電話後も、妹の結婚や母の交通事故などの知らせが事務所に寄せられたが、すべて無視した。
「いつも私にお金を出してほしいタイミングで連絡が来るんです。母に1円でもお金がいくのが嫌で、自分がうっかり死んだときのために、それまで何をされてきたかを網羅した遺言書を作りました。
でも、税理士からは遺産の一部が法定相続人である家族に渡るのは避けられないと言われました。だったら、母に恥をかかせてやろうと小説を書いたんです」
その決意が結実し、1993年に自伝的小説『ファザーファッカー』を発表。養父からの性的虐待などを綴った衝撃作は70万部超のベストセラーになった。
33才で第1子を出産し、現在4人の子を持つ。自分が子供を産み、母となっても実母への思いは変わらなかった。
「“子供を授かったら親の心がわかるでしょう”とよく言われますが、私は母親になってもなおさら、“何であなたはそうだったの?”と母への疑問が湧くばかり。
私が事故や病気で意思疎通ができなくなった際に母や妹が会いに来たときのことを考えて、“いい人に見えるけどヤバいから気をつけて”と子供たちには言ってあります」
悩んでいたら一回きっぱりと距離を置いた方がいい
虐待は親から子へ、さらに下の世代に連鎖するといわれるが、自身の子育てには細心の注意を払っている。
「子供の私物化を避けて、子供と私の望むことが違う場合は子供が正しいと思うようにしています。誰も漫画家になろうとせず寂しいけど(苦笑)、彼ら、彼女らの人生ですからね」
絶縁してよかったと語る内田さんは、家族との関係に悩み、縁切りを考えている人にこうアドバイスする。
「とりあえず悩んでいたら一回きっぱりと距離を置いた方がいい。うちはダメでしたが、中には反省する家族もいるかもしれない。絶縁しても法的な血縁関係は切れないので、一度やってみて関係が戻せそうならまた戻せばいい。ケースバイケースで、絶縁によって別の風景が見えてくることもあるはずです」
【プロフィール】
内田春菊(うちだ・しゅんぎく)/ 漫画家・作家・俳優 。1959年、長崎県生まれ。1984年に漫画家デビュー。1993年に、育ての父から性的虐待を受けた体験を小説にした『ファザーファッカー』を刊行し、ベストセラーに。
※女性セブン2024年12月12日号